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== 装飾における鳳凰 ==
[[古代]]から[[中世]]にかけて東アジア全域にわたってその意匠が装飾に使用された。中国の殷王朝期の陶器に見られる
 
調度品としては、中国の殷王朝期の陶器に見られる。[[周]]代初頭の[[:zh:周公東征方鼎|周公東征方鼎]](しゅうこうとうしょうほうかなえ)には、方形の[[鼎]]の側面四面に、一対の鳳凰が打ち出され、[[鼎]]の四本の脚も鳳の形に作られている。
 
服飾としては、[[漢]]代には鳳冠が出現し、[[武周]]代には女帝[[則天武后]]が鳳冠を被った<ref>[[水原紫織]]著『もう1人の「明治天皇」箕作奎吾』2020年、ヒカルランド 。p.157</ref>。日本でも、能『[[羽衣 (能)|羽衣]]』の[[天女]]が鳳を象った天冠を被り、また[[雛人形]]の女雛(皇后)も鳳を象った天冠を被っている<ref>[[水原紫織]]著『もう1人の「明治天皇」箕作奎吾』2020年、ヒカルランド 。p.155</ref>。
 
日本では伝説にちなんで桐の家具に鳳凰を彫刻するものが流行したと『[[枕草子]]』にある<ref>現代の植物学ではアオギリと桐は相が異なるため、誤りともいえる。</ref>。装飾芸術としては[[宇治市|宇治]][[平等院|平等院鳳凰堂]]や、[[京都市|京都]][[鹿苑寺|鹿苑寺金閣]]の屋上にあるものが知られている。戦国大名の[[里見氏]]は鳳凰が描かれた[[印判]]を使用している<ref>滝川恒昭「房総里見氏の印判について―鳥の形像を有する印判をめぐって―」(中世房総史研究会編『中世房総の権力と社会』高科書店、1991年)</ref>。