「D.B.クーパー事件」の版間の差分
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捜査官や記者、アマチュアたちにより、長年の間に数多くの仮説が提唱されてきた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" /><ref name="AP2008-01-02">{{cite news|title=F.B.I. makes new bid to find 1971 skyjacker|agency=Associated Press|date=January 2, 2008|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/n/a/2008/01/01/national/a100412S30.DTL|accessdate=January 2, 2008|newspaper=The San Francisco Chronicle|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080102170246/http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=%2Fn%2Fa%2F2008%2F01%2F01%2Fnational%2Fa100412S30.DTL|archivedate=January 2, 2008|deadurl=yes|df=mdy-all}}</ref>。1980年2月、[[コロンビア川]]の沿岸で、ある少年が身代金の紙幣の一部を発見した。この発見により事件は新たな関心を惹き付けたが、結局謎が深まっただけだった。身代金の大部分はいまだに回収されていない。
[[2016年]]7月、FBIは公式に捜査を停止したが、捜査官はパラシュートや身代金に関係する物的証拠の発見を今も待ち望んでいるという<ref
==ハイジャック==
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操縦士のウィリアム・スコット ({{lang-en-short|William Scott|links=no}}) はシアトル・タコマ国際空港の[[航空管制官]]に連絡をとり、管制官は地元警察とFBIに通報した。他の36名の乗客には、シアトルへの到着が機械の軽度のトラブルにより遅れているという偽の情報が与えられた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=20}}。ノースウエスト・オリエント航空社長のドナルド・ニューロプ ({{Lang-en-short|Donald Nyrop|links=no}}) は身代金の支払いを承認し、全従業員にハイジャック犯の要求に十分に協力するように命じた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=19}}。飛行機は[[ピュージェット湾]]上空を約2時間旋回し、その間に{{仮リンク|シアトル警察|en|Seattle Police Department}}とFBIがパラシュートと身代金を集め、救急隊員を動員した<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。
FBIの捜査官たちはシアトルにある数箇所の銀行から身代金を集めた。用意したものは無傷の20ドル紙幣1万枚で、そのほとんどが[[シリアル番号|通し番号]]が"L"から始まるものだった。このことはこれらの紙幣が[[サンフランシスコ連邦準備銀行]]により発行されたものであることを示す。また、ほとんどがシリーズ1963Aやシリーズ1969からのものだった<ref name="check-six">{{cite web|url=http://www.check-six.com/lib/DBCooperLoot.htm|title=D B Cooper's Loot Serial Number Searcher|publisher=Check-six.com|date=October 19, 2010|access-date=November 29, 2010}}</ref>。紙幣は全て[[マイクロフィルム]]の記録が取られた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=25}}。クーパーはマッコード空軍基地の人員が提供した軍の支給品のパラシュートは受け取らなかった。代わりに手動でリップコードを操作する民間用のパラシュートを要求した。シアトル警察は要求通りのパラシュートを地元の[[スカイダイビング]]・スクールから入手した<ref name="crime museum" />。
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飛行機に燃料を補給する間、クーパーはコックピットにいる乗員に対して自身の飛行計画のあらましを説明した。南東へ進路を取って、最高高度1万[[フィート]] (約3千メートル)、失速しないで済む最低速度、つまりは約100[[ノット]] (時速約190キロメートル) で[[メキシコシティ]]の方向へ向かうというものだった。クーパーはさらに、[[降着装置|ランディング・ギア]]は離着陸時の位置のままにすること、フラップの角度を15度に下げること、客室の[[与圧#航空機|与圧]]はかけないでいることといった詳細な指示も与えた<ref name=":9">Rothenberg and Ulvaeus, p. 5.</ref>。フラップとは主翼の後縁に備わる[[高揚力装置]]である。フラップを出すことで、低速飛行時に翼で発生する[[揚力]]を大幅に増やすことができるが、[[抗力]]の増加も招く<ref>{{Citation|和書 |last=李家 |first=賢一 |contribution=高揚力装置 |editor= 飛行機の百科事典編集委員会 |title=飛行機の百科事典 |date=2009-12 |pages=221–223 |isbn=978-4-621-08170-9}}</ref>。副操縦士のウィリアム・ラタクザック ({{lang-en-short|William Rataczak|links=no}}) はクーパーに、指定の条件での航続距離は約1千マイル (約1,600キロメートル) までしかないと伝えた。この条件では[[メキシコ]]に辿り着く前に2度目の燃料補給が必要になる。クーパーと乗員たちは話し合い、[[ネバダ州]][[リノ (ネバダ州)|リノ]]で燃料補給することで合意した{{sfn|Gunther|1985|p=45}}。機体後方の出口が開いてエアステアが展開されると、クーパーは操縦士に離陸を指示した。ノースウエスト・オリエント航空本社は機体尾部のエアステアが展開されたまま離陸するのは危険であるとして異議を唱えた。クーパーは実際には安全であると反論したが、この件で言い争おうとはしなかった。離陸した後にエアステアを展開するつもりだったのである{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=33–34}}。
連邦航空局はクーパーが航空機に乗った状態での面談を要求したが、受け容れられなかった<ref name=":10">{{cite book|last1=Rothenberg|first1=David|last2=Ulvaeus|first2=Marta|title=The New Earth Reader: The Best of Terra Nova|publisher=[[MIT Press]]|year=1999|location=Cambridge, Massachusetts|page=4|isbn=978-0-262-18195-2|
===再度離陸へ===
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離陸後、クーパーはマックローにコックピットにいる残りの人員と合流し、ドアをしめてコックピットにとどまるように言った。マックローがそれに従うと、クーパーは自分の腰に何かを巻きつけていたという。午後8時ごろ、コックピットで警告灯がついた。このことは機体尾部の[[エアステア]]の設備が起動したことを意味していた。航空機の内部通話システムを通じて乗員が援助を申し出ると、そっけなく断られた。それからすぐに乗員は気圧が体感的に変化したことに気がついた。機体尾部のドアが開けられたことを示唆している{{sfn|Gunther|1985|p=56}}。
午後8時13分ごろ、突然に飛行機の尾部が上方に動き続け、飛行機を水平に立て直さなければならなくなった{{sfn|Gunther|1985|pp=58, 66}}<ref name="Braggp4">Bragg, p. 4.</ref>。午後10時15分ごろ、スコットとラタクザックは飛行機を[[リノ・タホ国際空港|リノ空港]]で着陸させたが、機体尾部のエアステアは展開された状態のままだった。FBIの捜査官や州警察、保安官代理、リノ警察は飛行機を取り囲んだ。クーパーが飛行機から脱出したのかまだ確実に断定できなかったためである。武装した人員が捜索した結果、すぐにクーパーが飛行機の中にいないことが確認された{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=48}}。
==捜査==
FBIは飛行機の中から未特定のかすれた指紋を66点回収した<ref name="Pasternak-USNWR2000-07-24" />。クーパーが身につけていた黒いネクタイやネクタイ留め、4つのパラシュートのうちの2つも発見した<ref name="parachutes" />。残された2つのパラシュートのうちの1つは展開されており、キャノピーからシュラウドラインが2本切断されていた<ref name=":12">{{cite news|title=F.B.I. reheats cold case|work=[[National Post]]|last=Cowan|first=James|date=January 3, 2008|url=https://nationalpost.com/news/story.html?id=211616|archive-url=https://archive.today/20080121231748/http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=211616|
地元警察とFBIはすぐに被疑者の尋問を開始した。800名以上が被疑者と考えられたが、20名ほどを除き捜査対象から除外された<ref name=":13">{{cite web|title=D.B. Cooper Hijacking|url=https://www.fbi.gov/history/famous-cases/db-cooper-hijacking|accessdate=7 December 2018|language=en-us|publisher=FBI|first=Maria|last=Motaher}}</ref>。軽犯罪の前科を持つD.B.クーパーという名前のオレゴン州在住の男がこの事件の最初の被疑者の1人だった。ハイジャック犯は実名や以前に行った犯罪で使用したのと同じ偽名を使っていた可能性があることから、ポートランド警察はこの人物に接触した。結局、この人物はすぐに被疑者から外されたが、地元の記者のジェームズ・ロング ({{Lang-en-short|James Long|links=no}}) が、差し迫った締切に間に合わせようとしているうちに、この人物の名前とハイジャック犯が使用した偽名とを混同した<ref name=":14">{{Cite news|title=One mystery solved in 'D.B. Cooper' skyjacking fiasco|date=July 22, 2016|accessdate=July 29, 2016|url=https://www.cjr.org/the_feature/db_cooper_mystery_solved.php|last=Browning|first=William|newspaper=Columbia Journalism Review|location=New York}}</ref><ref name=":15">{{Cite news|title=D B Cooper was not really D B Cooper? A journalist added swagger to mysterious hijacker's legacy|date=July 28, 2016|newspaper=India Today|url=https://www.indiatoday.in/fyi/story/d-b-cooper-was-not-really-d-b-cooper-a-journalist-added-swagger-to-mysterious-hijackers-legacy-331971-2016-07-28|accessdate=July 29, 2016}}</ref>。[[通信社]]の記者 (ほとんどの情報源では[[UPI通信社|UPI通信]]のクライド・ジャビン <{{Lang-en-short|Clyde Jabin|links=no}}><ref>{{Cite news|title=Update: Everyone wants a piece of the D. B. Cooper legend|date=November 27, 2007|accessdate=February 25, 2011|last=Guzman|first=Monica|newspaper={{仮リンク|Seattle Post-Intelligencer|en|Seattle Post-Intelligencer}}|url=https://blog.seattlepi.com/thebigblog/2007/11/27/update-everyone-wants-a-piece-of-the-d-b-cooper-legend/}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.cjr.org/the_feature/db_cooper_unsolved_hijacking_mystery.php|title=A reporter's role in the notorious unsolved mystery of 'D.B. Cooper'|last=Browning|first=William|date=July 18, 2016|newspaper=Columbia Journalism Review|location=New York|access-date=July 19, 2016}}</ref>、それ以外の情報源では[[AP通信]]のジョー・フレージャー <{{Lang-en-short|Joe Frazier|links=no}}>{{sfn|Gunther|1985|p=55}}) がこの誤植を転載してしまい、数多くのメディアがこれに倣った。こうして「D.B.クーパー」という通称が人々の記憶に残ることとなった<ref name="Braggp4" />。
[[File:727db.gif|thumb|225px|ボーイング727後方のエアステアが飛行中に展開されたときのアニメーション。アニメーションにはクーパーがエアステアから飛び降りているところも示している。エアステアの設備に重力が働き、飛行機が着陸するまで開きっぱなしだった。]]
捜索範囲を精密に決定するのは困難だった。飛行機の推定速度の若干の差異や、飛行経路の環境条件 (場所や高度によって著しく変化していた) によって、クーパーの着地地点の推測結果がかなり変化するためである<ref name="new">{{cite web|title=D.B. Cooper: Help Us Solve the Enduring Mystery|publisher=FBI|date=December 31, 2007|url=https://www.fbi.gov/page2/dec07/dbcooper123107.html|access-date=February 5, 2009|
再現実験で、スコット操縦士がハイジャックのときに使用された航空機を同じ配置で操縦した。FBIの捜査官が約90キログラムのソリを展開されたエアステアから押し出したところ、乗員が午後8時13分に経験した機体尾部の上昇を再現できた。このことから、午後8時13分がクーパーが飛行機から飛び降りた時刻である可能性が高いという結論になった{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=80–81}}。その時刻では、飛行機はワシントン南東の{{仮リンク|ルイス川 (ワシントン州)|en|Lewis River (Washington)|label=ルイス川}}上空の激しい雨風の中を通過していた<ref name="new" />。
最初の推定では、クーパーの着地地点は[[セント・ヘレンズ山]]の外延の南端にある地域であると考えていた。その場所はワシントン州アリエルから南東へ数キロメートルのところであり、ルイス川を堰き止めて作られた人口湖のマーウィン湖の近くだった<ref name=":17">{{cite news|title=30 years ago, D.B. Cooper's night leap began a legend|work=Seattle Post-Intelligencer|last=Skolnik|first=Sam|date=November 22, 2001|url=http://www.highbeam.com/doc/1G1-80264926.html|archive-url=https://archive.today/20120906132812/http://www.highbeam.com/doc/1G1-80264926.html|
FBIは航空機による捜索も統括した。オレゴン陸軍州兵の[[固定翼機]]やヘリコプターが使用され、シアトルからリノまでの飛行経路全体 (この航空路は標準的な航空用語では「ヴィクター23」<{{Lang-en-short|Victor 23|links=no}}> と呼ばれている<ref name=":20">{{cite web|title=Aeronautical Information Manual|publisher=Federal Aviation Administration|url=http://www.faa.gov/air_traffic/publications/atpubs/aim/chap5/aim0503.html|access-date=August 10, 2011|
1972年の春の雪解けからまもなく、FBIのチームがクラーク郡とカウリッツ郡の地上の徹底的な捜索をもう一度実施した。空軍、州兵、民間ボランティアに加えて{{仮リンク|ルイス駐屯地|en|Fort Lewis}}の[[陸軍]]兵士約200名が捜索に協力した。捜索は3月に18日間、4月にさらに18日間行われた{{sfn|Olson|2010|p=34}}。海洋の引き揚げ作業を業務とするエレクトロニック・エクスプロレーションズ・カンパニー ({{Lang-en-short|Electronic Explorations Company|links=no}}) は[[潜水艦]]を使用してマーウィン湖深度約60メートルを捜索した{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=101–104}}。また、クラーク郡の廃墟で2名の地元住民の女性が白骨死体を発見した。この遺体は後に数週間前に誘拐されて殺害された10代の女性のものであると特定された{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=86}}。ほぼ間違いなくアメリカ史上最も広範囲で徹底的に行われた捜索作戦だったが、結局のところクーパーに関する重大な物的証拠は発見されなかった{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=87–89}}。
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1978年から2017年の間に、クーパーに関する証拠が4点だけ発見されている。うち2点は確実に関係があり、残り2点は関係する可能性があるという程度である。
*[[1978年]]11月、ボーイング727のエアステアを降下させるための説明書が印刷された札が、マーウィン湖の北の{{仮リンク|キャッスルロック (ワシントン州)|en|Castle Rock, Washington|label=キャッスルロック}}から約20キロメートルの木材の切り出しに使われる道の近くで鹿猟師により発見された。しかし、この地域は305便の基本的な飛行経路に含まれる{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=108}}。
[[File:Money stolen by D. B. Cooper.jpg|thumb|1980年に発見された紙幣の一部]]
*[[1980年]][[2月10日]]日曜日、[[バンクーバー (ワシントン州)|バンクーバー]]から川を下って約14キロメートル、アリエルの南西32キロメートルのところにある、ティナ・バーと呼ばれる海岸地帯のところのコロンビア川に面した地点で、8歳のブライアン・イングラム ({{Lang-en-short|Brian Ingram|links=no}}) が家族とともに休暇を過ごしていた。イングラムがキャンプファイヤーを設けるために砂地の川岸を熊手でかいていると、クーパー事件の身代金の紙幣3束が出てきた。紙幣は著しく風化していたが、紙幣を束ねるゴムバンドは依然として残っていた<ref name=":21">{{Cite web|url=https://www.coinworld.com/news/us-coins/2014/07/1971-skyjacking-cash-ransom-found-by-eight-year-old-in-1980.all.html|title=D.B. Cooper skyjacking: 8-year-old boy unearths ransom notes from 1971 incident|accessdate=August 29, 2015|publisher=|website=Coin World|first=Michele|last=Orzano|date=July 21, 2014}}</ref>。FBIの技官はその紙幣が正真正銘の身代金の一部であることを確認した。2束は20ドル紙幣が100枚、1束は90枚で、全てクーパーに渡したときと同じ順番で重なっていた<ref name=":22">{{cite web|url=http://foia2.fbi.gov/cooper_d_b/cooper_d_b_part07.pdf|title=FBI Freedom of Information Act documents, part 7, pp. 10–12|format=PDF|access-date=April 23, 2011|
*[[2017年]]、ボランティアで調査を行っていた一団が、[[太平洋岸北西部]]で数十年経過したパラシュートの紐らしきものを発見した<ref name=":26">{{cite web|title=DB Cooper mystery: 'Potential' physical evidence uncovered in search|url=https://www.foxnews.com/us/2017/08/10/db-cooper-mystery-potential-physical-evidence-uncovered-in-search.html|website=Fox News|access-date=August 11, 2017|date=2017-08-09|last=Chamberlain|first=Samuel}}</ref>。その後、2017年8月にクーパーのバックパックの一部らしき気泡ゴムの破片が発見された<ref>{{cite
===FBIの情報公開===
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1980年に身代金の紙幣が発見されたことにより、新たな臆説が生まれた。結局のところ、解明された謎よりも新たに生じた疑問の方が多かった。捜査官や専門家の初期の声明は、紙幣の束は数多くの支流の一つからコロンビア川へ自然に流れ着いたという推測に基づいていた。[[アメリカ陸軍工兵司令部]]所属の[[水文学|水文学者]]は、紙幣は円形に並ぶようにばらばらに散らばっており、もつれあっていたことについて言及している。このことは、紙幣は意図的に埋められたのではなく、川の作用により堆積したことを示唆している{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=110}}。この結論が正しければ、クーパーはマーウィン湖やルイス川の支流の近くに着陸しなかったという説を支持することになる。ルイス川はティナ・バーよりも下流でコロンビア川に注ぎ込む。着陸地点はワシューガル川の近くであるという推測 ([[#後の展開]]を参照) に信頼性を与えている。ワシューガル川は紙幣の発見場所よりも上流でコロンビア川に合流する{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=110–111}}。
しかし、紙幣は自然に流れて堆積したものであるという仮説には難点もある。紙幣の束の1つから紙幣10枚がなくなっていたことの説明になっていない点や、3つの紙幣の束が残りの紙幣の束から分離して一箇所に集まっていたことの論理的な説明が存在しない点である。物的証拠は地理上の証拠とも一致しない。ヒンメルスバッハは、札束が自然に浮かんで岸に流れ着いたのならば、クーパー事件から数年以内にそれが起こっていたはずであり、そうでなくても、ゴムバンドはとっくに風化しきっていただろうと述べている。このことはクーパー・リサーチ・チームが実験で確認している<ref name="conclusions" />。地理上の証拠によれば、紙幣は陸軍工兵司令部が川の[[浚渫]]を行った1974年以降にティナ・バーへ流れ着いたという。[[ポートランド州立大学]]の地理学者のレナード・パーマー ({{lang-en-short|Leonard Palmer|links=no}}) は、浚渫により川岸に堆積していた粘土の中から砂や堆積物の層を別個に2つ発見した。また、紙幣が埋まっていた砂の層も見つけた。これにより、紙幣は浚渫が完了してから長い時間がたった後に流れ着いたことが示唆されているという{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=110}}<ref>{{cite web|title=Cash linked to 'D.B. Cooper' up for auction|url=
ヒンメルスバッハは、もし自分がクーパーを探しに行こうとしたならば、ワシューガルに向かっていただろうと記している{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=115}}。ワシューガル谷とその周辺は、その後に個人や団体が度々私的に捜索してきた。今日まで、ハイジャックに直接起因する証拠の発見は報告されていない。調査者の中には、[[1980年のセント・ヘレンズ山噴火|1980年のセント・ヘレンズ山の噴火]]により、残っていた物的証拠が抹消されてしまった可能性があると推測している人もいる<ref>{{Cite news|title=D.B. Cooper: A stupid rascal|date=November 24, 1981|accessdate=June 29, 2016|url=https://news.google.com/newspapers?nid=1298&dat=19811124&id=IfpNAAAAIBAJ&pg=6868,4075230|newspaper=The Free Lance-Star|last=Connolly|first=Patrick}}</ref>。
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===ジャック・コフェルト===
ジャック・コフェルト ({{lang-en-short|Jack Coffelt|links=no}}) は前科持ちの[[悪徳商法|詐欺師]]であり、政府の[[情報提供者]]であると噂されていた。自身は[[エイブラハム・リンカーン]]の最後の確実な子孫である曾孫の{{仮リンク|ロバート・トッド・リンカーン・ベックウィズ|en|Robert Todd Lincoln Beckwith}} ({{Lang-en-short|Robert Todd Lincoln Beckwith|links=no}}) の運転手であり親友でもあると主張していた。1972年、コフェルトは自分こそがクーパーであると主張し始め、かつて同じ刑務所にいたジェームズ・ブラウン ({{lang-en-short|James Brown|links=no}}) という人物を仲介して、[[ハリウッド]]の映画制作会社に自身の話を売り込もうとした。コフェルトによれば、コフェルトはアリエルから南東に約80キロメートル離れた[[フッド山]]の近くに着陸し、その過程で負傷して身代金を失ったという。1971年にはコフェルトは50代半ばだったものの、コフェルトの写真にはクーパーの似顔絵との類似性があった。コフェルトはクーパー事件の日にポートランドにいたと言われており、その頃に脚にけがを負っていた。飛行機から飛び降りたときの事故での負傷と考えることもできる<ref>{{cite web|title=Has The Mystery of D.B. Cooper Been Solved?|date=October 6, 2008|url=http://www.insideedition.com/storyprint.aspx?SpecialReportID=2184|access-date=March 8, 2011|
コフェルトの話はFBIにより調査されたが、一般の人々の間には知られていなかった情報の詳細な部分で重大な違いがあったことから、コフェルトの話は捏造という結論になった{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=83–84}}。コフェルトは1975年に死亡し、その後もブラウンは懲りずに長い間コフェルトの話を吹聴していた。[[CBS]]のニュース番組の''[[60 Minutes]]''を含む複数のメディアでコフェルトの話が考察され、退けられた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=121–122}}。2008年のリンカーンの子孫についての書籍<ref>{{Cite book|title=The Last Lincolns: The Rise & Fall of a Great American Family|year=2008|publisher=Union Square Press|last=Lachman|first=Charles|isbn=1-4027-5890-1}}</ref>で、著者のチャールズ・ラクマン ({{lang-en-short|Charles Lachman|links=no}}) は、36年前に信用に値しないと評されていたものの、コフェルトの話を再び取り上げた。
===リン・ドイル・クーパー===
リン・ドイル・クーパー ({{lang-en-short|Lynn Doyle Cooper|links=no}}、L.D.クーパー) は[[朝鮮戦争]]の兵役を経験した革職人で、2011年7月に姪のマーラ・クーパー ({{lang-en-short|Marla Cooper|links=no}}) に被疑者として取り上げられた<ref>{{Cite news|title=Woman claims D.B. Cooper was her uncle|date=August 3, 2011|accessdate=August 3, 2011|newspaper=AJC|last=Provano|first=Joel|url=http://www.ajc.com/news/nation-world/woman-claims-d-b-1070683.html?cxtype=rss_news_81960}}</ref><ref>{{cite news|title=The 40-year mystery of America's greatest skyjacking – Telegraph|publisher=Daily Telegraph|author=Alex Hannaford|date=July 30, 2011|url=https://www.telegraph.co.uk/culture/8667855/The-40-year-mystery-of-Americas-greatest-skyjacking.html|access-date=July 30, 2011|location=London}}</ref>。マーラが8歳のとき、ポートランドから240キロメートル南東にあるオレゴン州{{仮リンク|シスターズ (オレゴン州)|en|Sisters, Oregon|label=シスターズ}}にある祖母の家で、クーパーともう1人のおじが、高価な[[ウォーキートーキー]]の使用を含む非常に悪意のある企てをしていたという<ref>{{cite web|url=https://www.npr.org/blogs/thetwo-way/2011/08/01/138889690/fbi-says-it-has-a-new-suspect-in-d-b-cooper-skyjacking|title=FBI Says It Has 'A New Suspect' In D.B. Cooper Skyjacking Case: The Two-Way : NPR|first=Howard|last=Berkes|work=npr.org|year=2011|access-date=August 1, 2011}}</ref>。305便がハイジャックされたのはその翌日のことである。おじたちは表向きには七面鳥狩りに行っていたことになっていたが、L.D.クーパーが帰宅したときにシャツが血塗れになっていた。L.D.クーパーは自動車の事故が原因と述べていた<ref name="CNN2011-08-01" />。後に、マーラの両親はL.D.クーパーがハイジャック犯の正体であると考えるようになったという。L.D.クーパーはスカイダイバーや空挺兵ではなかったものの、カナダの漫画に登場するヒーローのダン・クーパー ([[#仮説]]を参照) に夢中になっており、漫画本の一つが画鋲で壁にとめられていたという。L.D.クーパーは1999年に死亡した<ref>{{Cite news|title=D.B. Cooper Exclusive: Did Niece Provide Key Evidence?|date=August 3, 2011|url=https://abcnews.go.com/US/db-cooper-exclusive-niece-provide-key-evidence/story?id=14219052|accessdate=August 3, 2011|newspaper=[[ABC News]]|first=Pierre|last=Thomas|first2=Jack|last2=Cloherty}}</ref>。
2011年8月、{{仮リンク|ニューヨーク (雑誌)|en|New York (magazine)|label=ニューヨーク}}誌は、305便に搭乗していた目撃者のロバート・グレゴリー ({{Lang-en-short|Robert Gregory|links=no}}) の説明に基づいているとされる別の似顔絵を掲載した。その人物によれば、ハイジャック犯は角縁のサングラスを掛けており、大きなラペルのあるあずき色のスーツジャケットを着ており、髪型はマルセルウェーブだったという。記事では、L.D.クーパーの髪は波打っており、マルセルウェーブにも見えると言及されている (後述の[[#ドゥエーン・ウェーバー]]も同様)<ref name="NewSketchDBCooper">{{cite web|title=DNA Test Negative for D.B. Cooper Suspect; a New Sketch Emerges|last=Gray|first=Geoffrey|date=|url=http://nymag.com/daily/intelligencer/2011/08/dna_test_negative_db_cooper_su.html|work=Crime Library|access-date=December 31, 2012|publisher=}}</ref>。FBIはL.D.クーパーが作ったギターストラップからは指紋は発見されなかったと声明した<ref>{{cite news|last=McNerthney|first=Casey|title=No fingerprints found on item in D.B. Cooper case|url=http://www.seattlepi.com/local/article/No-fingerprints-found-on-item-in-D-B-Cooper-case-1684566.php|newspaper=Seattle Post-Intelligencer|date=August 1, 2011|accessdate=August 2, 2011}}</ref>。1週間後、FBIは、L.D.クーパーのDNAはハイジャック犯のネクタイから発見された断片的なDNAプロファイルと一致しなかったと報告したが、ネクタイから発見された生体物質がハイジャック犯に由来する確証がないことは再度認めた<ref name="no match" />。FBIはそれ以上の声明を公的には出していない。
===バーバラ・デートン===
バーバラ・デートン ({{lang-en-short|Barbara Dayton|links=no}}) は1926年生まれの[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]の司書であり、飛行機操縦が趣味だった。出生名はロバート・デートン ({{lang-en-short|Robert Dayton|links=no}}) だった。デートンは{{仮リンク|ユナイテッド・ステーツ・マーチャント・マリーン|en|United States Merchant Marine}}で働き、それから第二次世界大戦中は陸軍に加わっていた<ref name="McNerthney">{{cite news|author=McNerthney, Casey|date=November 22, 2007|title=D.B. Cooper, where are you?|url=http://www.highbeam.com/doc/1G1-171721183.html|work=Seattle Post-Intelligencer|access-date=February 16, 2011|
デートンは1969年に[[性別適合手術]]を受けてバーバラという名前に改名した<ref name="Forman">{{cite book|title=The Legend of D B Cooper|url=https://books.google.com/books?id=OEtCAgAAQBAJ&pg=PA|year=2008|publisher=Lulu.com|isbn=9781605520148|first=Pat|last=Forman|first2=Ron|last2=Forman}}</ref>。2年後、デートンは自分がクーパー事件の犯人であると主張した。事件のときは男に変装しており、定期航空便のパイロットになることを認めなかった航空業界と連邦航空局に仕返しをすることが目的だったという{{sfn|Olson|2010|pp=72–73}}。ポートランドの南にある郊外地域のオレゴン州{{仮リンク|ウッドバーン (オレゴン州)|en|Woodburn, Oregon|label=ウッドバーン}}が着地地点であり、その近くの貯水槽の中に身代金を隠したという。その後、依然としてハイジャックで罪に問われる可能性があったと知ったことを表向きの理由として、自分の話を全て撤回した。FBIは公式にはデートンについての声明を全く行っていない。デートンは2002年に死亡した<ref name="McNerthney" />。
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=== ロバート・リチャード・レプシー ===
ロバート・リチャード・レプシー ({{lang-en-short|Robert Richard Lepsy|links=no}}) は[[ミシガン州]]{{仮リンク|グレーリング (ミシガン州)|en|Grayling, Michigan|label=グレーリング}}出身の33歳の[[グロサリー|食料雑貨店]]の店主であり、4人の子供の父親でもある。レプシーは1969年10月に失踪した。3日後にレプシーの自動車が地元の空港で発見され、外見の説明がレプシーと一致する男がメキシコへの飛行機に搭乗したのを目撃されたと言われている。当局はレプシーは自らの意思で姿をくらましたと結論付け、捜査を打ち切った<ref name=":0">{{Cite web|url=http://thinairpodcast.com/?episode=episode-7-richard-lepsy|title=Episode 7: Richard Lepsy
クーパー事件から2年後、レプシーの家族が、レプシーの身体的特徴がクーパーの似顔絵と似ていると言及し、クーパーの衣服がレプシーの店の制服と非常に似ていると断言した。レプシーは法的には1976年に死亡した扱いになった。2011年にレプシーの娘の1人がDNA試料をFBIに提出したが、結果は不明である<ref name=":1">{{Cite news|url=http://www.wzzm13.com/news/local/could-missing-man-from-grayling-mich-be-d-b-cooper/13043221|title=Could missing man from Grayling, Mich. be D.B. Cooper?|last=TEGNA|work=WZZM|access-date=March 8, 2017|language=en-US}}</ref>。2014年の書籍でレプシーはクーパー事件の被疑者であると取り上げられたが<ref>{{Cite book|title=Still missing: rethinking the D.B. Cooper case and other mysterious unsolved disappearances|date=|year=2014|publisher=Terra Mysteria Media|last=Richardson|first=Ross|location=Lake Ann, Michigan|pages=142-7|isbn=099600470X}}</ref>、FBIがレプシーについて公式で声明したという記録は存在しない<ref>{{Cite news|url=https://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/northamerica/usa/12017816/Has-the-mystery-of-DB-Cooper-been-solved.html|title=Has the mystery of DB Cooper been solved?|work=The Telegraph|language=en|date=November 26, 2015|accessdate=March 8, 2017|last=Crilly|first=Rob}}</ref>。
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マッコイは陸軍での兵役を経験した人物であり、最初は爆薬の専門家として、その後はグリーンベレーでヘリコプターの操縦士としてベトナムで2度の軍務を経験した<ref name="timemag">{{cite news|title=The Real McCoy|url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,943370-1,00.html|work=[[Time (magazine)|Time]]|publisher=|date=April 24, 1972|access-date=July 26, 2007}}</ref>。退役した後はユタ州兵の[[准士官]]になり、スカイダイビングを熱心に愛好した。自分にはユタ州警察官になる大望があったと述べている<ref name="SkydiverHeld">{{cite news|agency=Associated Press|title=Skydiver Held as Hijacker; $500,000 Is Still Missing|work=[[The New York Times]]|url=https://www.nytimes.com/1972/04/10/archives/skydiver-held-as-hijacker-500000-is-still-missing-skydiver-held-as.html|page=1|date=April 10, 1972|access-date=August 4, 2018}}</ref>。
1972年4月7日、マッコイはクーパーを模倣した事件を起こした。マッコイの犯行はクーパーを模倣した事件の中で最も知名度が高い<ref name="CrimeLibrary9">{{cite web|title=The D.B. Cooper Story: The Copycats|last=Krajicek|first=David|date=|url=http://www.crimelibrary.com/criminal_mind/scams/DB_Cooper/9.html|work=Crime Library|access-date=January 3, 2008|
1991年の''D.B. Cooper: The Real McCoy''という書籍<ref>{{Cite book|title=D.B. Cooper, the real McCoy|date=|year=1991|publisher=University of Utah Press|isbn=9780874803778|location=Salt Lake City|first=Bernie|last=Rhodes|first2=Russell P.|last2=Calame}}</ref>で、著者であるパロール・オフィサーのバーニー・ローズ ({{lang-en-short|Bernie Rhodes|links=no}}) とかつてFBIの捜査官だったラッセル・カラム ({{lang-en-short|Russell Calame|links=no}}) は、マッコイがクーパーの正体であることを突き止めたと断言した。2人は2つのハイジャック事件の明白な類似性を引き合いに出し、さらに、マッコイの家族が飛行機に残されたネクタイと真珠母のネクタイ留めはマッコイのものであると主張したことや、マッコイ自身が自分がクーパーであることを認めることも否定することもしなかったことを根拠とした<ref name="CrimeLibrary9" /><ref name="SLT">{{cite news|last=Schindler|first=Harold|title=25 Years Later, 'D.B' Remains Tied to Utah; Skyjacker Took Story To His Grave|work={{仮リンク|The Salt Lake Tribune|en|The Salt Lake Tribune}}|date=November 24, 1996|url=}}</ref>。カラムはマッコイを射殺した捜査官だった<ref name="CrimeLibrary9" />。
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[[File:Rackstraw Cooper comparisson.png|thumb|1971年のFBIによるクーパーのスケッチ (左) と1970年のロバート・ラックストローの陸軍の身分証明の写真との比較。当局の専門家は、2者の間で一致する箇所を9点発見した。]]
ロバート・ウェズリー・ラックストロー ({{lang-en-short|Robert Wesley Rackstraw|links=no}}、[[1943年]] - [[2019年]][[7月9日]]) は元パイロットであり、犯罪の前科がある。ベトナム戦争では陸軍のヘリコプターの乗組員や他の部隊で服務した。1978年2月に、ラックストローが爆薬の所持と[[小切手詐欺]]の嫌疑を受けて[[イラン]]で逮捕され、アメリカに移送された事件が起こり、クーパー事件を追っていた捜査官の注目を集めた。数ヵ月後、[[保釈]]中だったとき、ラックストローは偽の[[メーデー (遭難信号)|メーデー]]の通報をして、管制官に[[モントレー湾]]上空でレンタルした飛行機からパラシュートを使って脱出すると告げて、自分の死を偽装しようとした<ref>{{Cite news|title=D.B. Cooper investigation focuses on California ‘off-the-books genius’ Robert Rackstraw|date=July 12, 2016|accessdate=September 8, 2016|url=http://www.mercurynews.com/2016/07/12/d-b-cooper-investigation-focuses-on-california-off-the-books-genius-robert-rackstraw/|newspaper=The Mercury News|last=Baxter|first=Stephen}}</ref>。後に、警察はパイロットの免許証を捏造した容疑で[[カリフォルニア州]][[フラートン (カリフォルニア州)|フラートン]]でラックストローを逮捕した。ラックストローが不時着水させたと主張していた飛行機は、塗装を変えた状態で近くの格納庫で発見された<ref>{{Cite news|title=California man accused of being D.B. Cooper: A life ruined or a case solved?|date=October 7, 2017|accessdate=November 29, 2018|url=https://www.mercurynews.com/2017/10/07/california-man-accused-of-being-d-b-cooper-a-life-ruined-or-a-case-solved/|newspaper=The Mercury News|last=Sharon|first=Keith}}</ref><ref>Fitzgerald, M. (July 12, 2016). [https://www.recordnet.com/news/20160712/fitzgerald-was-db-cooper-in-stockton Fitzgerald: Was D.B. Cooper in Stockton?]. Recordnet, retrieved November 29, 2018.</ref>。クーパー事件の捜査官は、ラックストローは1971年時点で28歳と若かったものの<ref name="Dodd">{{Cite news|title=Man Identified in History Channel Show as Notorious Skyjacker D.B. Cooper Denies Accusation|date=July 12, 2016|accessdate=December 13, 2016|url=https://people.com/crime/db-cooper-robert-rackstraw-accused-in-history-channel-show-denies-accusation/|last=Dodd|first=Johnny|newspaper=People.com}}</ref>、クーパーの似顔絵と身体的特徴が似ており、軍でパラシュートの訓練を受けていたことと、犯罪の前科があることについて言及した。しかし、クーパー事件との関与を示す直接的な証拠が発見できず、1979年に被疑者から除外された<ref>{{cite news|title=Rackstraw Says He's Not Cooper Of Skyjack Fame|url=https://news.google.com/newspapers?id=rPJVAAAAIBAJ&pg=5250%2C1757839|newspaper=Eugene Register-Guard|date=February 7, 1979|access-date=July 16, 2016}}</ref><ref>{{cite web|title=In Search Of... D. B. Cooper|url=https://www.youtube.com/watch?v=u_yvGpipjzE|website=YouTube|publisher=In Search Of|date=December 6, 1979|access-date=July 19, 2016}}</ref>。
2016年、ヒストリーチャンネルの番組<ref>{{cite news|last=Baxter|first=Stephen|title=TV investigation links Santa Cruz County native to 1971 D.B. Cooper 'skyjacking' case|url=http://www.eastbaytimes.com/news/ci_30118971/tv-investigation-links-santa-cruz-county-native-1971?source=JPopUp|newspaper=Santa Cruz Sentinel|access-date=July 12, 2016|date=July 12, 2016}}</ref>や書籍<ref>{{Cite book|title=The Last Master Outlaw|date=|year=2016|publisher=Jacaranda Roots Publishing|isbn=0997740434|last=Colbert|first=Thomas J.|first2=Tom|last2=Szollosi}}</ref>でラックストローが再び容疑者として名前が挙がった。2016年9月8日、{{仮リンク|The Last Master Outlaw|en|The Last Master Outlaw|label=''The Last Master Outlaw''}}の著者のトーマス・J・コルバート ({{lang-en-short|Thomas J. Colbert|links=no}}) と弁護士の{{仮リンク|マーク・ザイド|en|Mark Zaid}} ({{lang-en-short|Mark Zaid|links=no}}) が、[[国別にみた情報公開法#アメリカ合衆国|情報公開法]]を根拠としてFBIにクーパー事件の捜査資料を公開するように請求する訴訟を起こした。訴訟では、FBIがクーパー事件の捜査を停止したのは、ラックストローを告訴するのに十分な証拠を集めることに失敗したことで決まりの悪い思いをしないように済むために、ラックストローがクーパーであるという仮説を覆すことを目的としていたと主張されていた<ref name="oregonian">{{Cite news|title=Lawsuit filed against FBI to make D.B. Cooper investigation file public|date=September 9, 2016|accessdate=September 22, 2016|url=https://www.oregonlive.com/pacific-northwest-news/2016/09/lawsuit_filed_against_fbi_to_m.html|last=Bailey Jr.|first=Everton|newspaper=The Oregonian}}</ref>。2018年1月、小規模の未解決事件ドキュメンタリー集団が、1971年12月に書か
305便の客室乗務員の1人が、1970年代のラックストローの写真と記憶の中のクーパーの外見との間に類似性があるようには思えないと述べたと言われている<ref name="Dodd" /><ref>{{Cite web|url=https://heavy.com/news/2016/07/robert-rackstraw-db-cooper-case-closed-documentary-culprit-who-is/|title=Robert Rackstraw: 5 Fast Facts You Need to Know|accessdate=December 13, 2016|publisher=|last=Walsh|first=S.M.|website=Heavy.com|date=July 11, 2016}}</ref>。ラックストローの代理人は、再度現れたラックストロー犯人説を、今まで聞いた中で最も愚かなことと評した<ref>{{Cite news|title=FBI Closes Case On D.B. Cooper Skyjacking Mystery|date=July 13, 2016|accessdate=September 8, 2016|url=https://miami.cbslocal.com/2016/07/13/fbi-closes-case-on-d-b-cooper-skyjacking-mystery/|newspaper=CBS Miami}}</ref>。ラックストロー自身もPeople.comでこの説に対して否定的な見解を述べている<ref name="Dodd" />。FBIは新たに声明するのを拒絶した<ref name="oregonian" />。ラックストローは2017年に電話でのインタビューで、2016年のコルバートの主張により失職したと述べている<ref>{{cite web|url=http://www.mercurynews.com/2017/10/07/california-man-accused-of-being-d-b-cooper-a-life-ruined-or-a-case-solved|title=California man accused of being D.B. Cooper: A life ruined or a case solved?|date=October 7, 2017|work=The Mercury News|accessdate=April 20, 2019
2018年6月の記事で、民間の調査者がFBIの資料にあった以前は一般に知られていなかった手紙を解読したと主張したという話が掲載された。調査者は、手紙には隠された犯人の告白が書かれていたと主張している<ref>{{
ラックストローは2019年7月9日に心臓病が原因で死亡した<ref name=":2">{{cite news|url=https://www.sandiegouniontribune.com/obituaries/story/2019-07-09/army-paratrooper-suspected-in-notorious-d-b-cooper-skyjacking-dies-in-bankers-hill-home|title=San Diegan featured in program about notorious D.B. Cooper skyjacking case dies in Bankers Hill home|date=July 10, 2019|newspaper={{仮リンク|San Diego Union-Tribune|en|San Diego Union-Tribune}}}}</ref>。
=== ウォルター・R・レカ ===
[[File:71 Walter at Home.jpg|thumb|ウォルター・R・レカ]]
ウォルター・R・レカ ({{lang-en-short|Walter R. Reca|links=no}}、[[1933年]] - [[2014年]]<ref>{{cite web|url=https://www.legacy.com/obituaries/name/walter-reca-obituary?pid=179265482|title=Walter Reca Obituary - Oscoda, Michigan|website=Legacy.com|access-date=March 4, 2020}}</ref>、出生名はウォルター・R・ピカ <{{lang-en-short|Walter R. Peca|links=no}}>) はミシガン州の住人であり<ref>{{cite web|url=http://www.tributes.com/obituary/show/Walter-R.-Reca-100692485|title=Walter Reca Obituary - Oscoda, Michigan|website=www.tributes.com|language=en|access-date=July 19, 2018|df=dmy-all}}</ref>、軍隊に所属していた経験があり、ミシガン・パラシュート・チームの最初期のメンバーだった。2018年5月17日の記者会見で、レカの友人のカール・ラウリン ({{lang-en-short|Carl Laurin|links=no}}) がレカを被疑者とする説を提唱した<ref>{{cite news|url=https://www.washingtonpost.com/news/retropolis/wp/2018/05/17/a-new-d-b-cooper-suspect-yet-another-possible-identity-for-elusive-hijacker/|title=A new 'D.B. Cooper' suspect? Yet another possible identity for the elusive hijacker|newspaper=The Washington Post|language=en|access-date=July 19, 2018|df=dmy-all}}</ref><ref>{{cite news|first=Jim|last=Browski|publisher=96 Hour News|title=DB Cooper's identity revealed at press conference 5/17/[20]18 [by] Walter Reca|date=May 17, 2018|url=https://www.youtube.com/watch?v=j34UJzgZIzI|access-date=July 19, 2018|df=dmy-all}}</ref>。ラウリンはかつては商業航空会社のパイロットであり、自身もパラシュートの熟練者である。2008年、レカは電話を通じてラウリンに自身がクーパーであることを告白した<ref>{{cite news|url=https://www.woodtv.com/news/grand-rapids/book-claims-to-solve-db-cooper-mystery/1185777478|title=Book claims to solve D.B. Cooper mystery|last=La Furgey|first=Joe|date=May 17, 2018|publisher=WOOD TV|access-date=July 19, 2018|language=en-US|df=dmy-all}}</ref>。2018年7月、プリンシピア・メディアはこの件の調査についてのドキュメンタリーを4部にわたって放映した。
レカは公証人によって署名された手紙を通じて、自身の死後にこの話を他者に話す許可をラウリンに与えていた。レカは2014年に80歳で死亡した。レカとラウリンは2008年後半に6週間にわたってクーパー事件について電話で会話しており、レカはそれを録音することも許可した。3時間以上におよぶ会話の中では、レカは以前まで一般には知られていなかったクーパー事件の詳細について新しい情報を出した。レカは姪のリサ・ストーリー ({{lang-en-short|Lisa Story|links=no}}) にも自身がクーパーであることを告白した<ref>{{cite news|url=https://www.oregonlive.com/today/index.ssf/2018/05/db_cooper_case_drops_another_s.html|title=D.B. Cooper case drops another surprising suspect into the spotlight|publisher=OregonLive.com|access-date=July 19, 2018|language=en-US|df=dmy-all}}</ref>。ラウリンは数年間トレーニングの時間を使ってクーパーがパラシュートで降下した場所を突き止めようとし、クーパーはワシントン州[[クレエラム (ワシントン州)|クレエラム]]付近に着陸したと結論付けた。
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ラウリンは地図からレカの説明した地形上の独特の目印を発見し、電話をかけて「ダンプカーを運転していたカウボーイ」について尋ねた。ラウリンがオシアダッツと連絡をとると、オシアダッツはその夜に男と出会ったことを思い出し、男の服装や外見について説明した。オシアダッツはラウリンが送ったレカの写真を見た後、その男性がレカであることを確認した<ref>{{cite news|url=https://www.mlive.com/news/grand-rapids/index.ssf/2018/05/db_cooper_lived_and_died_in_mi.html|title=D.B. Cooper author unveils evidence he says identifies infamous skyjacker|access-date=July 19, 2018|language=en-US|date=May 17, 2018|last=Airgood|newspaper=MLive.com|first=Bryce}}</ref>。ラウリンはレカがクーパー事件の犯人の告白を録音したテープに加え、レカが記した告白文と、レカがハイジャックの間に黒いズボンの下に着ていたと主張する長い下着も所有している。
2016年、ラウリンはプリンシピア・メディアの経営者にこの情報を伝え、経営者は科学調査の専門家のジョー・ケーニグ ({{lang-en-short|Joe Koenig|links=no}}) に相談した<ref>{{cite news|url=https://www.grandhaventribune.com/Local/2018/07/26/GH-residents-play-big-part-in-solving-hi-jacking-mystery|title=GH residents help solve hijacking mystery|newspaper=Grand Haven Tribune|access-date=November 29, 2018|date=July 26, 2018|first=Becky|last=Vargo|archive-url=https://web.archive.org/web/20181130202014/https://www.grandhaventribune.com/Local/2018/07/26/GH-residents-play-big-part-in-solving-hi-jacking-mystery|archive-date=November 30, 2018|url-status=dead}}</ref>。ケーニグはラウリンが持ってきた全ての文書を鑑定した。文書にはパスポートやIDカード、写真、新聞の切り抜きが含まれる。ケーニグは改竄の証拠はなく、全ての文書は本物でその時代のものであると評価した。ラウリンの調査と入手可能なFBIの記録と比較すると、レカが被疑者でないと見なせる矛盾は見つからなかった。ケーニグはオシアダッツの1971年11月24日の夜の出来事についての証言がレカがその5年前に話したことと一致することが特に重要であるとも考えた。ケーニグは2018年5月17日に開かれたプリンシピア・メディアの記者会見で、ウォルター・R・レカがクーパーの正体と考えていると公言した<ref>{{cite news|url=https://www.king5.com/video/news/forensic-investigator-explains-why-he-believes-walter-reca-is-db-cooper/281-8131681|title=Forensic investigator explains why he believes Walter Reca is D.B. Cooper|publisher=KING|access-date=July 19, 2018|language=en-US|df=dmy-all}}</ref>。2019年1月8日、ケーニグは''Getting the Truth''と題したクーパーについての書籍を出版した<ref>{{Cite web|url=https://therealdbcooper.com/pages/about|title=About – D.B. Cooper|accessdate=January 11, 2019|
===ウィリアム・J・スミス===
[[File:William Smith a Yardmaster at Newark rail yard.jpg|thumb|ウィリアム・J・スミス。1985年撮影。]]
2018年11月、[[オレゴニアン]]誌がニュージャージー州ブルームフィールドに住んでいたウィリアム・J・スミス ({{lang-en-short|William J. Smith|links=no}}、1928年 - 2018年)<ref> {{Cite web|url=http://obits.nj.com/obituaries/starledger/obituary.aspx?n=william-smith&pid=187988854&fhid=17104|title=WILLIAM SMITH Obituary - Bloomfield, NJ|accessdate=December 17, 2018
オレゴニアンの記事では、ネクタイから発見されたアルミニウムの螺旋状の小片などの粒子は機関車整備施設に由来する可能性があるとも書かれている。さらに、スミスがクーパーだとして、スミスがシアトル地域の情報を知っていたのは、鉄道で働いていたとき以来のスミスの親友であり、第二次世界大戦中にルイス駐屯地に配置されていた人物であるダン・クレア ({{lang-en-short|Dan Clair|links=no}}) から聞いたためかもしれないとも記されている。スミスとクレアはニュージャージー州ニュアークにあるオーク・アイランド・ヤードで一緒に働いており、スミスは[[コンレール]]の[[助役 (鉄道)|助役]]の職を退職した。記事には、リーハイ・バレー鉄道の写真を掲載しているウェブサイトにスミスの写真があり、クーパーの似顔絵と著しく似ているとも書かれている<ref> {{Cite web|url=http://www.lvrr.com/jersey-city-employee/|title=Jersey City Employees|accessdate=November 29, 2018|publisher=|website=lvrr.com}}</ref>。FBIはメディアのスミスに関する要求に対して、特定の被疑者についてコメントするのは不適切であると述べた<ref name=":39" />。
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ドゥエーン・L・ウェーバー ({{lang-en-short|Duane L. Weber|links=no}}) は第二次世界大戦に陸軍での兵役を経験した人物であり、1945年から1968年の間に強盗や文書偽造で少なくとも6箇所の刑務所で服役していた。ウェーバーは自身の妻から被疑者であるという説が出されたが、これは第一にはウェーバー自身の死に際での犯行の告白を元としていた。ウェーバーは1995年に死亡したが、その3日前、ウェーバーは妻に自分はダン・クーパーであると伝えた。妻はその名前の意味が分からなかったというが、数ヵ月後に、友人がその名前の意味を教えた。妻は地元の図書館へ行ってクーパーについて調べた。マックス・ガンサーの書籍を見つけ、その余白に夫の筆跡でメモが書かれていることを発見した<ref name="Pasternak-USNWR2000-07-24" />。
そのときに妻は過去の記憶を思い出した。ウェーバーは一度、ある悪夢を見たことがあった。ウェーバーによると、飛行機から飛び降りたときに、機体尾部のエアステアに指紋を残してしまっているという内容だったという<ref name="CrimeLibrary10">{{cite web|title=The D.B. Cooper Story: "I'm Dan Cooper. So Am I."|last=Krajicek|first=David|url=http://www.crimelibrary.com/criminal_mind/scams/DB_Cooper/10.html|work=Crime Library|access-date=March 12, 2008|
FBIは1998年7月にウェーバーを被疑者から除外した。ウェーバーの指紋がハイジャックされた飛行機から検出されたどの指紋とも一致せず<ref name="CrimeLibrary10" />、ウェーバーが犯人であることを示す直接的な証拠が発見できなかったためである<ref name="Pasternak-USNWR2000-07-24" />。後の調査で、ウェーバーのDNAはクーパーのネクタイから回収された試料と一致しないことも明らかになっている<ref name="new" /><ref name="CNN2011-08-01" /><ref name="CNN2011-08-01" />。ただし、FBIは以降に、ネクタイから発見された生体試料がクーパーに由来するものであるかは不確定であることを認めた<ref name="no match" />。
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*{{仮リンク|ガレット・ブロック・トラップネル|en|Garrett Brock Trapnell}} ({{lang-en-short|Garrett Brock Trapnell|links=no}}) は1月にロサンゼルスからニューヨークへ向かう途中の[[トランス・ワールド航空]]機をハイジャックした。トラップネルは現金306,800ドルと[[アンジェラ・デイヴィス]]の釈放、[[リチャード・ニクソン|ニクソン大統領]]との謁見を要求した。飛行機が[[ジョン・F・ケネディ国際空港]]に着陸した後、トラップネルはFBIの捜査官からの銃撃を受けて負傷し、逮捕された<ref>{{Cite news|title=The First Hijackers|date=January 16, 2005|accessdate=June 29, 2011|url=https://www.nytimes.com/2005/01/16/magazine/the-first-hijackers.html|newspaper=The New York Times|last=Killen|first=Andreas}}</ref>。
* リチャード・チャールズ・ラポイント ({{lang-en-short|Richard Charles LaPoint|links=no}}) は陸軍での兵役を経験した人物であり、"New England beach bum"<ref name="skycod">{{cite news|url=http://extras.denverpost.com/news/news0121g.htm|newspaper=Denver Post|title=Skyjacker a Colorado oddity?|first=Kit|last=Miniclier|date=January 21, 2001|access-date=February 16, 2013|archive-url=https://web.archive.org/web/20140424062530/http://extras.denverpost.com/news/news0121g.htm|archive-date=April 24, 2014|url-status=dead}}</ref> (直訳すると「ニューイングランドの海辺で遊び呆けている人物」) でもあった。ラポイントは1月20日にラスベガスの[[マッカラン国際空港|マッカラン]]で[[ヒューズ・エア・ウエスト]]800便の[[マクドネル・ダグラス DC-9|DC-9]]機に搭乗した。飛行機が誘導路にいるときに、ラポイントは爆弾と称するものを見せ付けて脅迫し、5万ドルとパラシュート2つ、ヘルメットを要求した<ref name="hjcapoc">{{cite news|url=https://news.google.com/newspapers?id=M5UgAAAAIBAJ&pg=1442%2C2185479|newspaper=Lewiston Daily Sun|agency=Associated Press|title=Hijacker caught after parachuting over Colorado with $50,000 in cash|date=January 21, 1972|page=1}}</ref>。51名の乗客と2
*[[リチャード・マッコイ|リチャード・マッコイ・ジュニア]]はかつては陸軍のグリーンベレーだった<ref>
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* ロブ・ドリン・ヘディ ({{lang-en-short|Robb Dolin Heady|links=no}}) は空挺兵でベトナム戦争での兵役を経験した人物であり、6月初旬にリノでユナイテッド航空のボーイング727を襲撃し、20万ドルとパラシュート2つを要求した。リノから南へ約40キロメートルのところにある{{仮リンク|ワショー湖|en|Washoe Lake}}の近くで暗闇の中へ身を投じた。警察はヘディの車 (アメリカパラシュート協会のバンパーステッカーが貼られていた) が湖の近くで停められているのを発見し、翌朝に車へ戻ってきたヘディを逮捕した<ref>{{Cite web|url=http://www.dropzone.com/cgi-bin/forum/gforum.cgi?post=3286950|title=Heady, 22, Night jump, Reno, $200k, Vietnam vet, gun, sticker, caught immediately|accessdate=March 8, 2011|publisher=|website=Dropzone.com|date=August 1, 2008}}</ref><ref>Photo of Heady's arrest (June 3, 1972). [http://www.dropzone.com/cgi-bin/forum/gforum.cgi?do=post_attachment;postatt_id=101982;guest=77543628 Dropzone.com] Retrieved March 8, 2011.</ref>。
* マーティン・マクナリー ({{lang-en-short|Martin McNally|links=no}}) はかつてはガソリンスタンドの案内係だったが当時は無職だった。6月下旬に[[セントルイス]]から[[タルサ (オクラホマ州)|タルサ]]へ向かう途中の[[アメリカン航空]]のボーイング727を[[短機関銃]]を持ってハイジャックし、東に方向転換して[[インディアナ州]]へ向かわせ、50万ドルの身代金を持ってパラシュートで降下した<ref>{{cite
1972年に発生したクーパー事件に似たハイジャック事件は全部で15件あり、すべて失敗に終わった<ref name="gladwell">
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===ハイジャックされた飛行機のその後===
ハイジャックされたボーイング727-100は1978年にノースウエスト航空から[[ピードモント航空]]に売却された。新たにN838Nと登録され、国内便で使用され続けた<ref>
===アール・コッシー===
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ヒンメルスバッハがクーパーのことを"rotten sleazy crook"{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=116}} (直訳すると「腐った薄汚いペテン師」) と呼んだことは有名だが、クーパーの大胆で冒険的な犯行はカルト的な支持者を生み出し、歌や映画、文学の題材となった。太平洋岸北西地区にある料理店やボーリング場は定期的にクーパーをテーマに宣伝活動を行い、観光客向けのみやげを売っている。エアリアル・ジェネラル・ストア・アンド・タヴァーン ({{lang-en-short|Ariel General Store and Tavern|links=no}}、直訳すると「アリエル雑貨店・居酒屋」) では1974年から毎年11月に「クーパーの日」のお祝いが開かれた。ただし、2015年は経営者のドナ・エリオット ({{lang-en-short|Dona Elliott|links=no}}) が亡くなったため行われなかった<ref>{{cite web|url=https://themountainnewswa.net/2015/11/16/death-in-the-db-cooper-family-dona-elliott/|title=Death in the DB Cooper "family" – Dona Elliott|last=Smith|date=November 17, 2015|website=themountainnewswa.net|accessdate=April 20, 2019|publisher=|author=Bruce A.}}</ref>。
クーパーはテレビシリーズの『[[プリズン・ブレイク]]』や『[[THE BLACKLIST/ブラックリスト]]』、{{仮リンク|NewsRadio|en|NewsRadio|label=''NewsRadio''}}、『[[レバレッジ 〜詐欺師たちの流儀]]』、『[[ジャーニーマン 時空を越えた赤い糸]]』、『[[反逆のヒーローレネゲイド]]』、『[[NUMBERS 天才数学者の事件ファイル]]』、『30 ROCK/サーティー・ロック』、{{仮リンク|Drunk History|en|Drunk History|label=''Drunk History''}}、1981年の映画の『{{仮リンク|ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事|en|The Pursuit of D. B. Cooper|label=ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事}}』、2004年の映画の{{仮リンク|Without a Paddle|en|Without a Paddle|label=''Without a Paddle''}}、テレビシリーズ『[[4400 未知からの生還者]]』を元とした書籍''The Vesuvius Prophecy''の筋書きにも登場している<ref name="slatta">{{cite book|first=Richard W.|last=Slatta|year=2001|title=The Mythical West: An Encyclopedia of Legend, Lore and Popular Culture}}</ref>。
; プリズン・ブレイク
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| publisher = Publication Consultants
| isbn = 1-59433-076-X}} (クーパー事件で何が起こったのかを空想的に描いたもの)
* {{cite book|last=Koenig|first=Joe|year=
* {{cite book|last=Nuttall|first=George C.|year=2010|title=D.B. Cooper Case Exposed: J. Edgar Hoover Cover Up?|publisher=Vantage Press|isbn=978-0-533-16390-8|ref=harv}} (陰謀と隠蔽工作があったという説だが、事実上裏付けがない)
* {{cite book
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* [http://vault.fbi.gov/D-B-Cooper%20/ FBIのD.B.クーパー事件についての捜査資料]
* [http://www.stevenrinehart.com/uploads/LarryCarrInterview.mp3 FBIのラリー・カー主任捜査官とのラジオのインタビュー]
* [https://web.archive.org/web/20080616030209/http://www.pcgs.com/articles/article_view.chtml?artid=5245&universeid=313 PCGS Currency Certifies Legendary “D.B. Cooper” Skyjacking Ransom Notes]
* [http://n467us.com/ Northwest 305 Hijacking Research Site]
* [https://www.newspapers.com/topics/crimes-mysteries/d-b-cooper-hijacking/ D.B. Cooper Hijacking] - D.B.クーパー事件についての新聞記事集
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* [https://www.washingtonpost.com/news/post-nation/wp/2017/01/16/the-d-b-cooper-case-baffled-investigators-for-decades-now-scientists-have-a-new-theory/?wpisrc=nl_most-draw10&wpmm=1 The D.B. Cooper case baffled investigators for decades. Now, scientists have a new theory.] - [[The Washington Post]]、2017年1月16日。FBIの映像あり。
* [https://www.oregonlive.com/expo/news/erry-2018/11/e18eba2aa14557/new-suspect-in-db-cooper-skyja.html New suspect in D.B. Cooper skyjacking case unearthed by Army data analyst; FBI stays mum] - [[The Oregonian]]、2018年11月13日。
* [https://www.oregonlive.com/pacific-northwest-news/2019/10/ralph-himmelsbach-fbi-agent-who-led-search-for-db-cooper-and-also-handled-uo-bombing-case-dies-at-94.html Ralph Himmelsbach, FBI agent who led search for D.B. Cooper and also handled UO bombing case, dies at 94] - The Oregonian、2019年10月4日。
*[https://aviation-safety.net/database/record.php?id=19711124-0 Aviation Safety Networkの事件概要]
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[[Category:アメリカ合衆国の事件 (1945年-1989年)]]
[[Category:未解決事件]]
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