「ジャポニスム」の版間の差分

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Berlin1888 (会話 | 投稿記録)
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[[嘉永]]年間、[[黒船来航]]により多くの商船が西洋から押し寄せた。当時の[[写真]]技術と印刷技術により、日本の様子が西洋に広く知られるようになる。他の美術工芸品とともに[[浮世絵]]という[[版画]]が欧米でまたたく間に人気になった。
 
ジャポニスムの第一段階は日本の美術品、特に浮世絵版画の熱狂的な収集から始まる。その最初の例は[[フランス]]の[[パリ]]であった。[[1856年]]ごろ、フランスの[[エッチング]]画家[[フェリックス・ブラックモン]]が、摺師の仕事場で『[[北斎漫画]]』を目にした。<ref group="注">ただし、[[池上忠治]]、[[馬淵明子]]らはこの逸話は伝聞でしかなく、裏付けとなる確証はないと批判している。 </ref>1860年から1861年にかけて出版された日本についての本の中では、浮世絵がモノクロで紹介されている。
 
[[シャルル・ボードレール]]は、[[1861年]]に手紙を書いている。