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'''オスカー・デ・ラ・ホーヤ'''('''Oscar De La Hoya'''、[[1973年]][[2月4日]] - )は、メキシコ系アメリカ人の元[[プロボクサー]]。名の「De La」は英語に訳すと「of the」であり、『Hoyaのオスカー』となる。[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[イーストロサンゼルス]]市出身。アマチュアでは[[1992年バルセロナオリンピック]]ライト級で優勝(金メダル獲得)、プロでは史上初の6階級制覇を成し遂げるなど、アマ時代からエリート街道を驀進してきたその成功ぶりから「'''ゴールデンボーイ'''」の異名を持つ。
 
ボクサーとして、数々のビッグマッチを経験した世界屈指の人気選手で、端正なルックスから女性の支持も高かった。その活躍の場はリングだけにとどまらず、歌手デビューも果たし[[グラミー賞]]にもノミネートされた。引退後は、自らプロモーション会社「'''[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]'''」を立ち上げ、ボクシング業界の一大勢力へと成長した。いとこの[[ディエゴ・デ・ラ・ホーヤ]]はプロボクサー。
 
== ファイトスタイル ==
基本に忠実なオーソドックス・スタイルを得意とし、インファイトから[[アウトボクシング]]まで完璧にこなすことができるコンプリートファイターである。抜群のスピードとテクニックで相手を翻弄する展開を好むが、一瞬の隙を突く強打も併せ持ち通算KO率は65%75%を上回る。特に左フックはフィニッシュ・ブローとして幾多のKO劇を演出した。また、コンビネーションも非常に多彩だった
 
== 来歴 ==
6歳からボクシングを始めるが、従兄弟とのボクシングでいつも打ちのめされていたことから当初はボクシングが嫌いだったとのことだが<ref>『ボクシング・バイブル』1999年3月29日、著者・ジョー小泉、199頁。</ref>、試合に出始めてからは4年5か月もの間敗戦を経験しないなど、アマチュア時代から既に非凡な才能を見せる。アマ時代の通算戦績は234勝(163KO・RSC)6敗。6敗のうち2敗はシェーン・モズリーに敗れたものだった。
 
[[1992年]]、19歳で[[1992年バルセロナオリンピック|バルセロナオリンピック]][[ライト級]]に出場。同競技で米国勢唯一となる[[金メダル]]を獲得、アマ時代の華麗な遍歴を踏まえて「ゴールデンボーイ(Golden Boy)」とあだ名される。