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== 使用例・法解釈 ==
[[File:2010 0515 rama 4 and sathorn 26.JPG|thumb|left|[[タイ王国|タイ]]におけるデモで火炎瓶を投げる参加者([[2010年]])]]
[[軍]]用としては[[手榴弾]]に比べて殺傷力が劣り、[[梱包爆薬]]ほどの破壊力もないため、専ら急造の[[対戦車兵器]]として使われる。敵[[装甲戦闘車両|装甲車両]]を炎上させて[[戦闘]]能力を低下させる。特に[[ガソリンエンジン]]の車両は[[燃料]]に引火して爆発炎上しやすい<ref>ガソリンとジーゼル油の発火温度の違いによる。摂氏45度以下のジーゼル油は火に接しても発火しない</ref>
 
本格的に使用された初の戦争は[[1936年]]からの[[スペイン内戦]]とされる。[[1939年]]の[[ノモンハン事件]]の際には[[大日本帝国陸軍|日本軍]]の対戦車兵器として使用され、[[サイダー]]瓶を使った[[手投火焔瓶|急造火炎瓶]]を肉薄して戦車に投げつけ対抗した。[[赤軍|ソ連赤軍]]の主力であった[[BT戦車]]は[[ガソリンエンジン]]だった上、車体の塗装に使われた[[ペンキ]]に[[引火性]]があり、火炎瓶で攻撃すると容易に動力部まで引火し炎上した。しかし肉薄攻撃を強いられるために損害も大きく、赤軍が戦車を無塗装にするなどの対策を取り始めると戦果は落ちていった。そもそもソ連側の損害は主に[[九四式37mm速射砲]]によるものであり、火炎瓶は擱座した戦車に止めを差す形で使用されることが多かった。日本軍の使用する[[対戦車地雷|地雷]]や[[手榴弾]]、火炎瓶は梯形隊形で攻撃するソ連戦車には大きな脅威とはならなかったとされる<ref>{{Cite book|和書|author=マクシム・コロミーエツ、鈴木邦宏(監修)、小松徳仁(翻訳)|title=ノモンハン戦車戦―ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い(独ソ戦車戦シリーズ)|year=2005|publisher=[[大日本絵画]]|isbn=978-4-499228-88-6|page=127}}</ref>。ノモンハンの戦訓から、以後赤軍の開発する戦車は、[[軽油]]で動く[[ディーゼル機関]]化され、のちの第二次世界大戦に役立つことになる。