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朴正煕は、[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下の朝鮮]]の[[慶尚北道 (日本統治時代)|慶尚北道]]善山郡亀尾面(クミ、現在の[[亀尾市]])上毛洞で、貧しい農家の5男2女の末子として生まれた。父親は[[科挙]]に合格したが、[[韓国併合|韓国が日本に併合された]]後に没落し、墓守をしていた。
 
2歳の時、火鉢に落ちて両腕にやけどを負い、生涯その跡が残った<ref>{{Harvnb|趙|1991|ref=趙/永守訳(1991)|loc=p.8}}</ref>。[[1924年]]に7歳にして普通学校に入学した<ref>{{Harvnb|木村|2008|ref=木村(2008.8)|loc=p.22}}</ref>。小学生の頃は、学校に弁当を持って行けないほど生活は苦しく、ビタミンA欠乏のため[[夜盲症]]になった事もあった<ref>{{Harvnb|趙|1991|ref=趙/永守訳(1991)|loc=p.14}}</ref>。後世、酒に酔うたびに友人や側近に「は本当の貧しさを知っている」と語っていたという<ref group="註釈">農村部貧困家庭の末子であったことは、朴正煕のメンタリティーを考えるうえで重要な要素である。</ref>。小学生時代の朴正煕は[[李舜臣]]と[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]と軍人になることへの憧れを抱いた<ref>{{Harvnb|木村|2008|ref=木村(2008.8)|loc=pp.22-23}}</ref>。家が貧しい上に病弱だったが、亀尾小学校を優等で卒業した。
 
=== 教員時代 ===