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[[2002年]]には[[鈴木宗男事件]]にまつわる[[証人喚問]]において「島田建設からの金銭供与は[[政治資金規正法]]に基づいている」「[[モザンビーク]][[共和国]]洪水災害への[[国際緊急援助隊]]の派遣に反対や異議を述べることはあり得ない」「島田建設株式会社側による秘書[[給与]]の肩代わりの事実関係を承知していない」との[[鈴木宗男]]の証言を偽証として[[議院証言法]]違反での[[告訴・告発|告発]]に賛成した。
 
[[2003年]]12月より、[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]副党首を務めていたが、2003年の[[第43回衆議院議員総選挙]]には[[大分県第3区|大分3区]]から出馬し、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[岩屋毅]]に敗れるが、[[重複立候補制度|重複立候補]]していた[[比例九州ブロック]]で復活し、当選。民主党副代表[[横路孝弘]]から熱心に誘いを受け[[2005年]]8月に社民党に離党届を提出。次期衆議院議員選挙に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]より立候補することを表明した。社民党は[[10月6日]]の常任幹事会で、「党と党員の信義に反し、党内に混乱と不信を招いた」として、離党が了承されず[[除名]]処分が下った。2003年の[[第43回衆議院議員総選挙]]には[[大分県第3区|大分3区]]から出馬し、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の[[岩屋毅]]に敗れるが、[[重複立候補制度|重複立候補]]していた[[比例九州ブロック]]で復活し、当選。[[2005年]][[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]でも再び岩屋に大分3区で敗れ、2度連続で[[比例復活]]した。
 
社民党時代は[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による拉致問題]]に関連して、[[土井たか子]]や[[福島瑞穂]]・[[保坂展人]]・[[辻元清美]]ら所属議員の大半が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]寄りのスタンスと対話路線を支持したが、横光は[[阿部知子]]と共に北朝鮮への[[経済制裁]]を主張するなど、対北朝鮮[[政策]]では圧力路線を支持。また[[安全保障政策]]についても[[日米同盟]]を機軸とするという方針に一定の支持を表明している。