「ジョルジ・アントニオ・プチナッチ」の版間の差分

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地元の[[マリーリアAC]]でキャリアをスタートさせ、[[1979年]]に[[SEパルメイラス]]に移籍。パルメイラスではサポーター達のアイドルとなり、通算で373試合に出場して95得点を挙げたが、結局パルメイラスではタイトルを獲得することは出来なかった。
 
その後[[1990年-1991年のJSL|1990-91シーズン]]から[[日本サッカーリーグ]]1部の[[トヨタ自動車工業サッカー部|トヨタ自動車サッカー部]]に移籍し、翌1991年の[[コニカカップ]]制覇に貢献。プロ化に伴い[[1992年]]にクラブが[[名古屋グランパス|名古屋グランパスエイト]]へと変わった後も中心選手として在籍した。1993年、Jリーグ初ゴールは6月5日の[[ガンバ大阪]]戦<ref name="DJ">{{cite web | url=https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=285| title=ジョルジーニョ| publisher=data.j-league| accessdate =21 April 2020}}</ref>、2ndステージ、11月6日の[[鹿島アントラーズ]]戦では決勝ゴールを決め、1stステージの王者からの勝利に貢献<ref>{{cite web | url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=186| title=93JリーグNICOSシリーズ 第10節| publisher=data.j-league| accessdate =21 April 2020}}</ref>、11月13日の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]戦ではJリーグで初の2ゴールを決めるなど<ref>{{cite web | url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=195| title=93JリーグNICOSシリーズ 第12節| publisher=data.j-league| accessdate =21 April 2020}}</ref>、年間27試合で9ゴールを決め、同た。翌1994年は38試合で8ゴールと<ref name="DJ"/>、2年連続で低迷するチームの中で奮闘、1993年、1994年と2度、Jリーグオールスターサッカーに先発出場した<ref>{{cite web | url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=231| title=93JリーグKodakオールスターサッカー| publisher=data.j-league| accessdate =21 April 2020}}</ref>。翌1994年は38試合で8ゴールと<ref>{{cite nameweb | url="DJ"https:/>、2年連続で低迷するチ/data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=724| title=94Jリムの中で奮闘したグKodakオールスターサッカー| publisher=data.j-league| accessdate =21 April 2020}}</ref>
 
==所属クラブ==