「ピュグマイオイ」の版間の差分

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コイサン語族をピグミーとするのは誤り。ピグミーは言語学的にはバントゥー語群に属する。また、コイサン語族(コイコイ人、サン人)はいずれもピグミーより大柄で形質の面でも異なる。
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{{cquote|遥か遠くの山岳地方を越え、3スパン(約27センチ)のピグミー族について述べる。彼らは3スパンほどの身長もなく、北方は山脈によって守られており、気候は温暖で常に春の陽気だ。[[ホメロス]]はこの種族がツルと敵対関係にあると記録している。春になると3ヶ月もかけて、[[羊]]や雌山羊の背にまたがって、弓矢で武装して海まで下り、ツルの卵や雛を捕らえるとホメロスは記録している。そうしなければピグミー族はツルの群れから彼ら自身を守ることが出来ないのだ。彼らの家は泥と羽毛と卵の殻で建てられているという。[[アリストテレス]]はピグミーが洞穴に住んでいると述べているが、それ以外の記述はおおむね他の記述家と一致した見解を述べている」--プリニウスの博物誌,7.23-30}}
 
中央アフリカの実在の[[ピグミー族]]の名はピュグマイオイに由来するが、古代ギリシア人は彼らを知らなかったであろうし、関連付けて考えることは妥当ではない。しかしながら[[コイサン語ムブティ]]や[[トゥワ|コイサントゥワ族]]などの実在のピグミーに関する誤った伝聞がギリシアの伝説の元になったという可能性も否定できない。どちらも[[バンツー|バンツー族]]の進出前はBC200-AD500頃アフリカの広域に分布していたと考えられている。ヘロドトスはアフリカ西岸を何ヶ月にもわたって南方へ旅行したという、[[ペルシア]]の案内人サタスペスが[[シュロ]]の葉を着た小人に出会ったという話を語ってさえいる。[[19世紀]]になってヨーロッパ人がアフリカの小人に出会うまでピュグマイオイ(ピグミー)は神話でしかなかった。
 
== 関連項目 ==