「ノート:三島由紀夫」の版間の差分

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:ただ、ご理解ただきたいのは、この場合では、三島の記事を作成するという観点がまず先にあり、ウィキペディアの編集の原則からから見ても、やはり凡ての(最新の2020年出版のものも含めた)三島研究・年譜・評伝の出典の記載通りに「大田区馬込東」としておくべき性質の事柄だということです。それはなぜかというと、その地に家を建てた三島本人が、自身の新住所を「大田区馬込東」と名刺にも書簡に書いていた事実と、三島へ宛てた[[川端康成]]、[[澁澤龍彦]]、[[ドナルド・キーン]]、[[清水文雄]]、等々あらゆる知人からの書簡の宛先も「大田区馬込東」と明記されている歴然とした事実があるので、それらを踏まえてあえて「大田区馬込東」としている三島関連の研究文献と反する記載の仕方をウィキペディアだけ勝手にするわけにはいかない、というのが私の基本姿勢でございます(全集補巻の正誤補訂一覧を確認しても、その住所を訂正していませんし、する必要性のない事柄だと認識されているのだと思います)。なので、そうした三島研究の総合的な観点から見て、この場合は「大田区馬込東」と出典のままにしておいて、注解でOtherdeさんのご説明のようなことを補足するのが無難なことなので、そうさせていただきたくお願いいたします。--[[利用者:みしまるもも|みしまるもも]]([[利用者‐会話:みしまるもも|会話]]) 2020年5月15日 (金) 03:13 (UTC)
::みしまるもも様、[[利用者‐会話:みしまるもも#平岡梓における大田区馬込東の表記について]]においてもそうですが、何度も[[Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Shigeru-a24 2014年6月]]でなさったような印象操作や論点をずらすことはお止め頂きたく存じます。みしまるもも様は、『その期間の地名の厳格性を最重要視なさっているOtherdeさんから見ると、「馬込東」は、「存在したことのない誤った住所」という認識になるのは当然のことだと思います』と頭の中を決めつけておりますが、私が「存在したことのない誤った住所」と決めているのではなく、実際に「大田区馬込東」は存在したことがない住所であるのは出典で挙げた通りです。既に申し上げております通り、私は当地において地域名として「馬込東」と呼ばれていた可能性を否定しておりませんし、三島由紀夫が「馬込東」を記載していたことも否定しておりません。馬込東と名の付く学校の存在も町会の存在も否定致しません。しかし、それは馬込東が正式な住所であったということには繋がらず、それらを理由に本文中に誤りである住所を記載し、注釈に正式な住所を書くべき理由には当たらないと考えます。なぜ本文中に正式な町名を記載すべきか、注釈の方に馬込東を書く方が適切かは既に述べた通りで、本文中に「大田区馬込東1丁目1333番地(現・南馬込四丁目32番8号)」とあるように、「番地」や「現在の住所」が記載されているからです。特に現在の当地の正式な住所がピンポイントで記載されているにも関わらず、当時の住所が「存在したことのない住所」を記載するのは既に例として挙げた下北沢と同様のことを行うことに他なりません。また、「この場合では、三島の記事を作成するという観点がまず先にあり」と仰いますが、三島由紀夫の記事であろうとなかろうと同一に扱われるべきものと考えます。本件に付きましては、第三者より論点に沿った上で理由を明確にした意見を頂くべきと考えます。--[[利用者:Otherde|Otherde]]([[利用者‐会話:Otherde|会話]]) 2020年5月15日 (金) 03:54 (UTC)
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