「ノート:三島由紀夫」の版間の差分

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*本題の、「馬込(町)東」については、やはり見づらいし、予備知識のない人にとっては余計に何だか分かりづらいです。なのでやはり本記事の原典・出典に沿った形でまず「馬込東」にしておき、「馬込東」のすぐ直後に注釈を付けるので、その地についての丁寧な補足説明はなされますから、Otherdeさんの危惧は問題ないことと思います。そもそも本記事は地理記事ではないので、そこまで正式な地番表記を最優先させることだけを目標にさせず、まずは三島研究者があえて総合的な観点から「馬込東」にしてある背景を尊重していただけたらなと思っています。--[[利用者:みしまるもも|みしまるもも]]([[利用者‐会話:みしまるもも|会話]]) 2020年5月15日 (金) 12:49 (UTC)
:: みしまるもも様、『逆にその「理解ができかねます」発言の方が私にとっては「理解できかねます」と言いたいところです(笑)。』という発言は正気でしょうか。議論以前の問題と捉えます。『あと、私が言った「その期間の地名の厳格性」とは、「官が定めた正式な地番表記」のことであることは、普通にその段落をすべてちゃんと読めば分かることなので、それの何が「印象操作」にあたるのか分かりません。』についてですが、もう一度ご確認頂きたいのですが、私は地番について触れておらず、私はその件について「印象操作に当たる」との発言もしておりません。上記発言(理解できかねますの件)も含め、みしまるもも様は「地番」や「住居表示」という本議論において最低限必要な基礎的な言葉を理解しておりますでしょうか。『そこまで正式な地番表記を最優先させることだけを目標にさせず、まずは三島研究者があえて総合的な観点から「馬込東」にしてある背景を尊重していただけたらなと思っています。』と仰いますが、『正式な地番表記を最優先させることだけを目標』はどなたが行ったことでしょうか。私はそもそも元から記載の地番に対して異論はなく、馬込東・馬込町東の話であれば、『「大田区の馬込東」や「世田谷区の下北沢」と言うのであれば慣例的に当地を指して使われる地域名として捉えることができ取り立てて問題ないかと存じますが、』とあるように用法によって不適切と感じません。既に述べた通り、今回正式な町名を本文に記載すべきとしたのは、番地や現在の住居表示を明確に記載している為です。また、みしまるもも様の書き方では『予備知識のない人が見たら本文に書いてある住所が実在した住所と勘違いすると考えます。予備知識のない人が見たら、本文に番地まで載っている上に現在の住居表示まで載っている住所が実在しなかった住所とは到底思わないと考えます。』との見解も変わりません。これらは、第三者による客観的な意見が広く求められるべきと考えます。『その期間の地名の厳格性を最重要視なさっている』について、過去の編集の一部を見てOtherdeという一人格をみしまるもも様が行った推測に過ぎません。本ノートの前段階である[[利用者‐会話:みしまるもも#平岡梓における大田区馬込東の表記について]]においても『地理に詳しく正式表記を重んじているOtherdeさん的にはそれは絶対に許せないことなのかもしれませんが』と私の考えを憶測で述べており、少なからず見た者に印象を与えることと存じます。[[堀辰雄]]の件につきましては本件から脱線する為、[[利用者‐会話:みしまるもも]]に改めてコメント致します。--[[利用者:Otherde|Otherde]]([[利用者‐会話:Otherde|会話]]) 2020年5月15日 (金) 14:00 (UTC)
{{コメント}}(インデント戻します)本件については、公正な第三者の意見・判断を求めたく存じます。争点は明快であり、[[平岡梓]]に記載の一文をどのように表記するかです。なお、これまでの議論にありますように、「馬込東」は三島由紀夫やその関係者、複数の三島研究者が使用していること、「馬込町東」は実際に当地に存在した町名であることはそれぞれ出典によって証明されております。なお、地番についての異論はどなたからもございませんが、地番の入っている地図にて補足を致しますと、現在地の住居表示である「南馬込四丁目32番8号」に当たる場所は、荏原郡馬込町字中井1333番地([https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1142534 東京府荏原郡馬込町全圖 番地界入 コマ番号3])、大森区馬込町東一丁目1333番地([https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1881036 東京市新區町名地番表 コマ番号31]、蒲田区との合区により大森区から大田区となった後([http://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1359.html 東京都區分圖 : 大田區詳細圖 1949]、[https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000004366095-00 大田区東部 1960 (東京都全住宅案内図帳)])、1965年に現在の住居表示である大田区南馬込四丁目32番8号([https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000003-I3045065-00 住居表示旧新・新旧対照表 6の2(昭和40年11月15日施行)])となっております。
候補として挙がっている表記案は以下の3つです(注釈に記載しているものはどのようにすべきかの内容であり、そのままの内容を記載する提案ではありません)
:1,(本文)1959年(昭和34年)5月からは、大田区馬込東一丁目1333番地(現・南馬込四丁目32番8号)の新築の邸宅に移住した。
: (注釈)当地に存在した住所は、実際には「大田区馬込町東一丁目1333番地」であることの説明及び出典付記。
:2,(本文)1959年(昭和34年)5月からは、大田区馬込町東一丁目1333番地(現・南馬込四丁目32番8号)の新築の邸宅に移住した。
: (注釈)当地に存在した町名は「馬込町東」だが、三島由紀夫やその関係者は書簡等にて「馬込東」と記載しており、三島研究者にもその表記が見られることの説明及び出典付記。
:3,(本文)1959年(昭和34年)5月からは、大田区馬込(町)東一丁目1333番地(現・南馬込四丁目32番8号)の新築の邸宅に移住した。
: (注釈)当地に存在した町名は「馬込町東」だが、三島由紀夫やその関係者は書簡等にて「馬込東」と記載しており、三島研究者にもその表記が見られたことの説明及び出典付記。
第三者からのご意見を広く賜りたく存じます。--[[利用者:Otherde|Otherde]]([[利用者‐会話:Otherde|会話]]) 2020年5月15日 (金) 21:22 (UTC)
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