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[[長崎県]][[長崎市]]生まれ。
6歳の時、父の郷里[[茨城県]][[水戸市]]に移る。[[茨城県立水戸第一高等学校]]、[[東京都立上野高等学校]]を経て、[[東京大学]][[文学部]][[フランス文学|仏文]]科卒。[[文藝春秋 (出版社)|文藝春秋]]に入社。 2年後に退職し、東京大学文学部[[哲学]]科に再入学。 途中から文筆活動に勤しむようになる。[[田中角栄]]の金脈批判をはじめ、「[[石油]]」、「総合[[商社]]」、「[[農業協同組合|農協]]」、「[[中核派|中核]]・[[日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派|革マル]]」、「[[日本共産党]]」、[[脳死]]問題など巨大な権力、組織の徹底究明のジャーナリズム活動を行う。 その後は[[宇宙開発]]、[[サル]]学、[[分子生物学]]、[[脳科学]]などサイエンス関係や[[臨死体験]]など活動の幅を広げ、[[1996年]]-[[1998年]]には、東京大学[[教養学部]]で「立花ゼミ」を主催。
 
また、『[[朝日ジャーナル]]』誌上で「ロッキード裁判批判を斬る」を連載し、[[俵孝太郎]]、[[渡部昇一]]ら田中角栄擁護論者を“イカサマ論法にして無知”と筆誅した。ただ、渡部は後年雑誌のコラムで立花のことを高く評価している。