「フゲンゾウ」の版間の差分

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== 古くからあるサトザクラ ==
歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは[[鎌倉]]の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったことが書かれており、1552年に成立した『塵塚物語』には、[[室町時代]]には「普賢象」が名桜として知られていて、京都の[[引接寺 (京都市)|千本ゑんま堂]]の「普賢象」に[[後小松天皇]]が感心した事、この「普賢象」の枝が[[足利義満]]に献上されたことが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが<ref name = "IDENSHIKEN">[http://www.genetics.or.jp/Sakura/htmls/fugenzou.html 遺伝子研の桜]</ref>、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時点の「普賢象」は特定のオオシマザクラに付けられた名称であり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。なお、1758年の[[松岡玄達]]の『怡顔斎桜品(いがんさいおうひん)』や1803年の桜井雪鮮の『花譜』に描かれた絵図と解説により、[[江戸時代]]後期の「普賢象」は現在のフゲンゾウと同一の形態であったことが確認されている<ref name = "katsuki20153">勝木俊雄『桜』p91 - P92、岩波新書、2015年、ISBN 978-4004315346</ref><ref name = "katsuki2018p140"/>。
 
== 脚注 ==