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Hemachida (会話 | 投稿記録)
→‎古代ギリシア: 〈「ホプロン」と呼ばれる盾を持って戦ったことからホプリテスと呼ばれた〉という説明は俗説的で誤った理由付けではないかと思われます。「ホプロン」という語から「ホプリテス」という語が派生したことは確かですが、〈「ホプロン」と呼ばれる盾を持って戦ったこと〉を原因として〈ホプリテスと呼ばれた〉と断定することは疑わしく、おそらく論理的に誤った関連付けがなされています。したがって歴史的な因果関係の叙述としてふさわしくないと判断します。
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[[File:Eurytios Krater Louvre E635 n5.jpg|thumb|180px|陶器絵に描かれたホプリテス]]
 
古代ギリシア世界の重装歩兵は「ホプロン」と呼ばれる盾を持って戦ったことから'''ホプリテス'''(複数形でホプリタイ)と呼ばれた。ギリシア語の「ホプリテス(ὁπλίτης、ホプリーテース)」という語は、「武具」を意味する「ホプロン(ὅπλον)」という語から派生したものであるが、特にホプリテスが用いた円形の盾のことをホプロンと呼ぶようになった。ホプリテスを務めたのは[[ポリス]]の自由市民と居留外国人である[[メトイコイ]]で、兵役は市民の義務とされていた。トゥキディデスの『[[戦史 (トゥキディデス)|戦史(ペロポネソス戦争の歴史)]]』によれば、アテナイ市民の重装歩兵は1万人をくだらず、メトイコイの重装歩兵も3千人をくだらなかったとされる<ref>[[桜井万里子]]『ソクラテスの隣人たち』山川出版社、1997年</ref>。ホプロンは木に牛革を重ね枠を青銅で補強したもので、走る際には著しく邪魔になったが、敗走の際に盾を捨てることは甚だしい不名誉とされた。歴史的にギリシア文化圏においては小型のものが用いられ、他に青銅製の兜と脛当及び皮革を固めた鎧(マケドニア兵は鎧を着ず盾を胸甲代わりに着けた)を装備して戦った。
 
なお、当時の陶器絵や彫刻等に描かれたホプリテスには、頭部は兜、胸部から腹部は鎧、手は籠手、脚部は膝当て・脛当てで防護していながら、[[性器]]を含む腰回りだけは剥き出しの裸という姿に描かれているものが数多く見られる。実際にそのような姿だったのか、そうでなかったとして何故そのような表現が多く用いられているのかについては諸説がある。