「アーツ・アンド・クラフツ運動」の版間の差分

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[[ヴィクトリア朝]]の時代、[[産業革命]]の結果として[[大量生産]]による安価な、しかし粗悪な[[商品]]があふれていた。モリスはこうした状況を批判して、[[中世]]の手仕事に帰り、生活と[[芸術]]を統一することを主張した。モリス商会を設立し、[[装飾]]された[[本|書籍]](ケルムスコット・プレス)や[[インテリア]]製品([[壁紙]]や[[家具]]、[[ステンドグラス]])などを製作した。
 
モリス商会の製品自体は結局高価なものになってしまい、裕福な階層にしか使えなかったという批判もある。しかし、[[生活]]と[[芸術]]を一致させようとしたモリスの思想は各国にも大きな刺激を与え、[[アール・ヌーヴォー]]、[[ウィーン分離派]]、[[ユーゲント・シュティール]]など各国の美術運動にその影響が見られる。
 
[[日本]]の[[柳宗悦]]もトルストイの近代芸術批判の影響から出発し、モリスの運動に共感を寄せ、[[1929年]]、かつてモリスが活動していたケルムスコットを訪れた。柳の[[民芸運動]]は日用品の中に美(用の美)を見出そうとするもので日本独自のものであるが、アーツ・アンド・クラフツの影響も見られる。