「黒瀬弘志」の版間の差分
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== 生涯 ==
熊本県[[宇土郡]]
市長就任から間もない1927年(昭和2年)に日本は[[昭和金融恐慌]]に見舞われ、神戸では[[川崎造船所]]がメインバンク[[十五銀行]]休業の影響で経営危機に陥った。1927年6月の緊急市会で同社を救済する方針を打ち出した黒瀬は翌1928年(昭和3年)9月、300万の債務弁済資金を貸与する決断を下した{{Sfn|神戸新聞社(編)|1994|pp=88-89}}{{#tag:ref|[[第二次世界大戦]]終戦後、川崎造船所を前身とする[[川崎重工業]]は資金貸与への謝礼として育英資金5000万円神戸市に寄付した{{Sfn|神戸新聞社(編)|1994|p=89}}|group="†"}}。不況下にあって神戸市は緊縮財政を余儀なくされたが、一方で[[西郷町 (兵庫県)|西郷町]]、[[西灘
神戸市長辞任後は、[[1935年]](昭和10年)10月に昭徳興業株式会社を設立し社長となり、[[1936年]](昭和11年)9月には[[華北]]に東洋製紙株式会社を設立し取締役を務めている。
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* [[1916年]](大正5年)[[1月19日]] - [[瑞宝章|勲六等瑞宝章]]<ref>『官報』第1038号、「叙任及辞令」1916年01月20日。</ref>
== 逸話 ==
[[テニス]]、[[ゴルフ]]が得意なスポーツマンであった。神戸市長時代にゴルフの球が右眼に当たり失明している<ref name="ya"/>。
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{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor = [[神戸新聞|神戸新聞社]](編)|year = 1994|title = 神戸市長14人の決断|publisher = 神戸新聞総合出版センター|isbn = 978-4-343-00656-1 |ref = {{SfnRef|神戸新聞社(編)|1994}}}}
* {{Cite web|url = http://rnavi.ndl.go.jp/books/2009/04/000002343717.php|title = 神戸市長14人の決断 書誌情報|work = リサーチ・ナビ|publisher = [[国立国会図書館]]|language = 日本語|accessdate = 2013年10月18日|ref = {{SfnRef|神戸市長14人の決断 書誌情報}}}}
* 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
{{-}}
{{山梨県知事|官選第26代:1925}}
{{神戸市長}}
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[[Category:日本の内務官僚]]
[[Category:日本の警察官僚]]
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