「三遊亭圓若」の版間の差分

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| 没月 = 6
| 没日 = 3
| 師匠 = [[松柳亭鶴枝#初代|初代松柳亭鶴枝]]<br />[[三遊一朝|2代目三遊一朝亭圓楽]]<br />[[土橋亭里う馬#5代目|5代目土橋亭里う馬]]<br />[[三遊亭圓生 (4代目)|4代目三遊亭圓生]]<br />[[笑福亭福松#初代|初代笑福亭福松]]
| 弟子 = 2代目三遊亭圓若<br />[[桂米若#尼崎米吉の米若|桂米若]]
| 名跡 = 1. 松柳亭鶴寿(不詳)<br />2. [[三笑亭茶楽|三遊亭茶楽]](? - 1891年)<br />3. 土橋亭里ん蝶(1891年 - 1894年)<br />4. 初代三遊亭圓若(1894年 - 1898年)<br />5. 笑福亭圓若(1898年 - ?)<br />6. 初代三遊亭圓若(? - 1905年)<br />7. 7代目三笑亭可楽(1905年)<br />8. 初代三遊亭圓若(1905年 - 1913年)
| 出囃子 =
| 活動期間 = ? - 1913年
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初代 '''三遊亭 圓若'''([[1865年]] - [[1913年]][[6月3日]])は、音曲師。本名は斎藤安兵衛。
 
最初は[[松柳亭鶴枝#初代|初代松柳亭鶴枝]]門下で鶴寿となり、明治20年代初めに[[三遊亭圓楽一朝|2代目三遊亭圓楽]](後の[[三遊亭一朝|三遊一朝]])の門下で茶楽、[[1891年]]ころに[[土橋亭里う馬#5代目|5代目土橋亭里う馬]]の門下で土橋亭里ん蝶を経て、[[1894年]]頃[[三遊亭圓生 (4代目)|4代目三遊亭圓生]]の門下で初代圓若とした。
 
[[1895年]]5月圓生の付き添いで京都の[[博覧会]]見物に出掛けた時に、[[桂藤兵衛#上方3代目|3代目桂藤兵衛]]が圓生に[[寄席]]出演を勧誘し[[新京極]]幾代亭に出勤したのが切っ掛けで自身も上がることになる、師匠が帰京するも自身は[[上方落語|上方]]定住し[[三友派]]で出勤をしていた。[[1898年]]11月に[[笑福亭福松#初代|初代笑福亭福松]]の身内となり笑福亭圓若と亭号を変えたが、福松死後三遊亭圓若に戻した。[[1905年]]4月には[[三笑亭可楽|上方5代目三笑亭可楽]]の未亡人の勧めで7代目三笑亭可楽を襲名したが、上方5代目三笑亭可楽の高弟の師匠の[[桂文光]]から苦情が来たために圓若に戻している。