「遠山元一」の版間の差分

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== 経歴 ==
埼玉県[[比企郡]]三保谷村白井沼(現在の[[川島町]])の[[豪農]]の家庭に長男として生まれる。母方も川島町の旧家{{refnest|group=注|母の生家([[鈴木家住宅 (川島町)|鈴木家住宅]])は国[[登録有形文化財]]となっている<ref name=":2">{{Cite web|title=川島のみどころ|url=https://kj-brand-kawajima.jp/sightseeing_ct/culture/|website=KJブランドサイト|accessdate=2020-05-23|publisher=川島町}}</ref>。}}で、外祖父は比企郡の初代[[郡長]]も務めた鈴木庸行<ref name=sono1/>。父・義三の放蕩により生家が没落したため、[[高等小学校]]卒業後、15歳で上京し、当時[[内務大臣]]秘書官をしていた遠縁の[[水野錬太郎]]の書生になり、南佐久間町の私塾に通った<ref name=sono1>[https://gendai.ismedia.jp/articles/-/35156 第25回 遠山元一(その一)だまされる幸福―人間通の「株屋」が、日興證券を創業する前夜]福田和也、『週刊現代』2013年3月23日号</ref>。父の勧めで16歳で東京[[日本橋兜町]]の株屋半田商店に雇われ丁稚奉公をする。5年ほど勤めたのち<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438255/72 遠山元一]『非常時財界の首脳』 (武田経済研究所, 1938) </ref>、病弱のため規模の小さい市村商店や平沢商店に転職し、1902年に、病気や没落した一家の先行き不安から、母が通っていた[[鎌倉]][[メソジスト]]教会牧師の[[美山貫一]]を頼り<ref name=sono2>[https://gendai.ismedia.jp/articles/-/35191 第26回 遠山元一(その二)病気に苦しみ人の弱さを実感― 大儲けする陰で「教会」に駆け込んだ]福田和也、『週刊現代』2013年3月30日号</ref>、[[プロテスタント]]の信仰に入る。
 
[[1918年]]に独立し、川島屋商店を設立。[[1920年]]、[[株式会社]]に改組。[[満州事変]]以来の好況にのって事業は大いに発展し、現在の価値で120億円をかけて<ref name=sono2/>、[[1936年]]に故郷に3000坪の豪邸を建設して生家を再興し、錦を飾る。[[1938年]]、[[川島屋證券]]会社を創業。[[1944年]]、川島屋商店を吸収合併。大日本證券投資取締役を経て、[[1944年]]、旧[[日興證券]]との合併により[[社長]]となる。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==