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{{multiple image
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| caption1 = 黄葉前の葉と種子
| image1 = Ginkgo biloba1.jpg
| caption2 = 黄葉した葉と種子
| image2 = Ginkgo.jpg
}}
 
[[雌雄異株]]で、[[生殖器]]は[[短枝]]上につく<ref name="conifer"/><ref name="Phylogeny"/>。[[風媒花]]であり、[[雄花]]の[[花粉]]は風により遠方まで飛散し、かなりの遠距離でも[[受粉]]可能である<ref name="nipponika">[https://kotobank.jp/word/イチョウ-761754 林弥栄「イチョウ」日本大百科全書(ニッポニカ)「イチョウ」](コトバンク)</ref>。
 
[[ファイル:Ginkgo biloba 006.JPG|右|thumb|180px190px|雌株の花]]
[[ファイル:Ginkgo biloba - male flower.JPG|右|thumb|260px|雄株の花]]
日本の[[関東地方]]など、[[北半球]]の[[温帯]]では 4 - 5月に新芽が伸び開花する<ref name="leaf"/>。裸子植物なので、受粉様式は被子植物と異なる。まず開花後4月に受粉<ref name="Phylogeny"/>した花粉は、雌花の[[胚珠]]端部の花粉室に数ヶ月保持され、その間に胚珠は直径約2 cm程度に肥大し、花粉内では数個の[[精子]]が作られる。9 - 10月頃、精子は放出され、花粉室から1個の精子のみが造卵器に泳いで入り、ここで[[受精]]が完了する<ref name="Phylogeny"/>。受精によって胚珠は成熟を開始し、10 - 11月頃に種子は成熟して落果する<ref name="conifer"/>。

種子は、球形から広楕円形で、長さ 1 - 2 cmの[[核果|石果]]様を呈する<ref name="conifer"/><ref name="leaf"/>。外種皮は橙黄色で、軟化し臭気を発する<ref name="conifer"/>。内皮は堅く、[[紡錘|紡錘形]]で、長さ約 1 cmで黄白色である<ref name="conifer"/>。普通は2稜あるが、3稜のものも少なくなく、子葉は2または3個<ref name="conifer"/>。1 kg当りの種子数は約900個である<ref name="conifer"/>。
 
=== 雌性生殖器官 ===
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裸子植物の[[雄性配偶子]]は花粉によって運ばれ、うち[[グネツム]]類や球果植物では花粉粒から[[花粉管]]を伸ばして[[胚嚢]]まで有性配偶子が運ばれるが、本種及びソテツは花粉管から自由運動可能な精子が放出されて受精が行われる<ref name="Phylogeny"/>。
 
1896年、[[帝国大学]](現、[[東京大学]])理科大学植物学教室の助手[[平瀬作五郎]]が、種子植物として初めて[[鞭毛]]をもって遊泳するイチョウの精子を発見した<ref name="Phylogeny"/><ref name="Morphology">[[#Morphology|加藤 1999]], p.65</ref>。平瀬は当時、ギンナンの内部にあった生物らしきものを[[寄生虫]]と考えたが、当時助教授であった[[池野成一郎]]に見せたところ、池は精子であると直感したという<ref name="Phylogeny"/>。その後の観察で、精子が花粉管を出て動き回ることを確認し、平勢は[[1896年]](明治29年)[[10月20日]]に発行された『[[植物学雑誌]]』第10巻第116号に「いてふノ精虫ニ就テ」<ref>{{cite journal|author=平瀬作五郎|title=いてふノ精虫ニ就テ|url=https://doi.org/10.15281/jplantres1887.10.116_325|journal=植物学雑誌|volume=10|issue=116|pages=325-328|date=1896|doi=10.15281/jplantres1887.10.116_325}}。</ref>という論文を発表した<ref name="Phylogenyconifer"/><ref name="coniferPhylogeny"/>{{Refnest|group="註"|池野成一郎自身は、同年、ソテツの精子を発見している。}}。裸子植物であるイチョウが被子植物と同じように胚珠(種子)を進化させながら、同時に雄性生殖細胞として原始的な精子を持つということは、進化的に見て[[シダ植物]]と[[種子植物]]の中間的な位置にあるということを示している<ref name="Morphology"/>。この業績は[[1868年]]の[[明治維新]]以降、欧米に学んで近代科学を発展させようとした黎明期において、世界に誇る研究として国際的にも高く評価された<ref name="Morphology"/>。後年、平瀬はこの功績によって[[恩賜賞 (日本学士院)|学士院恩賜賞]]を授与されている<ref name="Morphology"/>。[[#Morphology|加藤 (1999)]] は、当時植物園教室は[[東京大学大学院理学系研究科附属植物園|小石川植物園]]内にあり、身近にイチョウが植えられて研究材料として簡単に利用できる状態であったということが、この研究の一助となったとしている<ref name="Morphology"/>。精子の発見された樹は樹高25 m、直径約1.5 m の雌木であり、今日も小石川植物園に現存している<ref name="conifer"/>。
 
== 分布と伝播 ==
耐寒耐暑性があり、強健で抵抗力も強いので、日本では[[北海道]]から[[沖縄県]]まで広く植栽されている<ref name="nipponika" />。[[北半球]]では[[メキシコシティ]]から[[アンカレッジ]]、[[南半球]]では[[プレトリア]]から[[ダニーデン]]の範囲中・高緯度地方に分布し、極地方や[[赤道|赤道地帯]]には栽植されない。年平均気温が0 - 20℃の降水量500 - 2000 mmの地域に分布している<ref name="sogame">{{Cite journal|和書 |naid=110000978787 |title=世界におけるイチョウの分布 |author=十亀好雄 |journal=甲子園短期大学紀要 |volume=4 |date=1984-10-10 |pages=1-14}}</ref>。
 
自生地は確認されていないが中国原産とされる<ref name="Kojien"/><ref name="nipponika" />。[[欧陽脩]]が『欧陽文忠公集』に書き記した珍しい果実のエピソードが、確実性の高い最古の記録とられる。それは現在の中国[[安徽省]][[宣城市]]付近に自生していたものが、[[11世紀]]初めに当時の[[北宋]]王朝の都があった[[開封市|開封]]に植栽され、広まったとする説が有力とされる。中国の安徽省および[[浙江省]]には野生状のものがあり、他の針葉樹・広葉樹と混生して森林を作っている<ref name="conifer"/>。
 
その後、[[仏教]][[寺院]]などに盛んに植えられ、日本にも薬種として伝来したとられるが、年代には[[古墳時代|古墳]]・[[飛鳥時代]]説、[[鎌倉時代]]説、[[室町時代]]説など諸説ある<ref name="mayanagi">[http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/paper02/ityo.htm イチョウの出現と日本への伝来] [[真柳誠]]</ref>。果実・種子として銀杏(イチャウ)が記載される確実な記録は、[[室町時代]]([[15世紀]])後期の『新撰類聚往来』<ref>木村晟、[http://ci.nii.ac.jp/naid/110007002512 慶安元年板『新撰類聚往来』の本文] 駒澤國文 21, 97-154, 1984-02, {{naid|110007002512}}。</ref>以降であり、[[六国史]]や[[平安時代]]の王朝文学にも記載がなく、[[鶴岡八幡宮]]の大銀杏や新安海底遺物([[1323年]]に当時の[[元 (王朝)|元]]の[[寧波市|寧波]]から日本の[[博多]]に航行中に沈没した難破船)からの発見{{要出典|date=2008年11月}}については疑問もあなどを根拠とす鎌倉時代説も根拠が薄い<ref name="mayanagi" />
 
[[ヨーロッパ]]には[[1692年]]、ケンペルが長崎から持ち帰った種子から始まり、オランダの[[ユトレヒト]]やイギリスの[[キューガーデン|キュー植物園]]で栽培され、開花したという<ref>[http://www.koishikawa.gr.jp/NLHP/NL28/NL28_2.html ウィーンにイチョウを探索する 長田 敏行]小石川植物園後援会 ニュースレター 第28号</ref>。その後、[[18世紀]]にはドイツをはじめヨーロッパ各地に植えられるようになり、[[1815年]]には[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]が『銀杏の葉 (''[[:en:Gigo biloba|Gingo biloba]]'')』と名付けた恋愛詩を記している。
 
== 利用 ==
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; 皮膚炎
外種皮には乳白色の乳液があり、それには[[アレルギー性皮膚炎]]を誘発する[[ギンコール]]や[[ビロボール]]といった[[ギンコール酸]](ギンゴール酸)と呼ばれるアルキルフェノール類の脱炭酸化合物を含んでいる<ref name="Pharmacological">{{cite journal|author=佐々木啓子|author2=松岡耕二|url=http://id.nii.ac.jp/1222/00000091/|title=イチョウ葉エキスの薬理活性|journal=千葉科学大学紀要|date=2012-02-28|volume=5|pages=61-67|ncid=AA1230240X}}</ref><ref name="Watanabe"/>。これは[[ウルシ]]の[[ウルシオール]]と類似し、[[かぶれ]]などの[[皮膚炎]]を引き起こす<ref name="Noken"/>。{{要出典範囲|触れてすぐには発症せず、長期間継続して実に触れ続けた結果発症した例もある。|date=2010年3月}}。イチョウの乾葉は、[[シミ]]などに対する[[防虫剤]]として用いられる<ref>{{cite web|titlename=ぎんなん"nipponika" - [[日本大百科全書]](ニッポニカ)|url=https://kotobank.jp/word/%E3%81%8E%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%93-1526542|website=[[コトバンク]]|accessdate=2020-05-12}}</ref>。これは、こうした成分ギンコール・ギンコール酸が葉にも含まれているからである<ref name="Pharmacological"/>からである
 
; 食中毒(銀杏中毒<ref name="JJAAM">{{cite journal|author=宮崎 大|author2=久保田哲史|author3=林下浩士|author4=鍜冶有登|author5=小林大祐|author6=吉村昭毅|author7=和田啓爾|title=健常成人に発症した銀杏中毒の1例|journal=JJAAM|date=2010|volume=21|pages=956-960}}</ref>)