「歴史人口学」の版間の差分
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== 概説 ==
この学問は[[フランス]]の歴史学者{{仮リンク|ルイ・アンリ|fr|Louis Henry (démographe)}}によって確立されたとされているが、最初に教区簿冊
== 日本の歴史人口学 ==
近代以前の日本の人口の推定は、西道智や[[新井白石]]などの[[天文学者]]、[[儒学者]]、[[国学者]]に始まり、明治期以降は[[伊能穎則]]、[[横山由清]]、ガーレット・ドロッパーズ、[[吉田東伍]]などが試算をしてきた。昭和初期には数学者の澤田吾一が古文書の綿密な考察により奈良時代から平安時代にかけての律令時代の推定人口をまとめた。その後[[本庄栄治郎]]、[[高橋梵仙]]、関山直太郎らの研究があり、最近では先史時代については[[小山修三]]、律令時代については[[鎌田元一]]、鎌倉・室町時代については、ウィリアム・ウェイン・ファリス
推定人口は、戸数、郡郷数、田積数、課丁数
現代の'''歴史人口学'''研究者の推定では、日本の人口は[[8世紀]]には450~650万人。1000万人を越えたのは[[中世]]後期、早くとも[[15世紀]]以降と考えられている。江戸時代前半の[[17世紀]]に急増し、[[18世紀]]から[[19世紀]]は3000万人前後で安定化した。
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