「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」の版間の差分

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==沿革==
1837年に官立デザイン学校(Government School of Design)として創立された。1852年、リチャード・バーチェットが校長に就任する<ref name=dnb/>。1853年、組織拡大とともに国立美術訓練学校(National Art Training School)へと名前を変え、マルボローハウスに移転した。1857年にはサウス・ケンジントンに移転した<ref name=dnb/><ref name=aim25/>が、女子美術学校(Female School of Art)とは違う建物に入った。19世紀の間、しばしばサウス・ケンジントン学校(South Kensington Schools)と呼ばれた。学校の主な目的は教員養成であったが、この時期の在学生には次のような人物がいた。[[ジョージ・クローラウゼン]]、クリストファー・ドレッサー、[[ルーク・フィルデスズ]][[ケイト・グリーナウェイ]][[ガートルード・ジーキル]]<ref name=dnb/>。
 
1896年、学校名が現在のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(Royal College of Art)に変わり、アート・デザインの実技を重視する教育方針へと転換した<ref name=aim25/>。グラフィックデザイン、インダストリアルデザイン、プロダクトデザインの教育が20世紀半ばに始まった。1960年代にRCAはさらに拡大し、1967年には英国王室憲章を受けた。それにより独立した大学としての地位を獲得し、自ら学位を授与することができるようになった<ref name=aim25/>。