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* [[1959年]]、[[熊本大学]]医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は[[有機水銀]]であると公表した。
* [[1970年]]11月28日、株主総会を大阪厚生年金会館(現・[[オリックス劇場]])で開催。会場正面入口近くに配置された[[特別防衛保障]]の警備員により、株式を取得して総会に出席しようとする水俣病患者・家族・支援者(1株株主)の入場を妨害した。会場に入場できた1株株主の発言も[[総会屋]]の野次で妨害した。総会は5分で閉会した<ref>[http://www.nhk.or.jp/archives/kankyo/library/detail01_02.html#02 現代の映像 チッソ株主総会] NHK 1970年12月4日放送([[NHKアーカイブス (施設)|NHK番組公開ライブラリー]]で視聴可能)</ref><ref>ドキュメンタリー「水俣-患者さんとその世界」 [[土本典昭]]監督、1971年、東プロダクション</ref><ref>[[カプランとデュブロ|Kaplan, D. E.]], [[カプランとデュブロ|Dubro, A.]] (2003) ''Yakuza: Japan's Criminal Underworld.'' (University of California Press ISBN 0520215621) pp 164-168. ([http://books.google.com/books?id=rNNhhuURbLIC&lpg=PA164&ots=SCiSJKey7G&dq=chisso&pg=PA165#v=onepage&q=chisso&f=false Google Books preview])(日本語訳「ヤクザが消滅しない理由。」不空社、2003年12月 ISBN 4900138762)</ref><ref>[http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/1970g.html 1970年]「新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971」熊本大学図書館、及びリンク先の切り抜き参照。</ref>。総会前の11月13日、「[[一株運動]]」について、当時のチッソ専務は「株主総会に出席する趣旨が反体制運動とか政治的なことだったら違った方法をとらざるを得ない」「一株運動を封じるために総会屋を雇うようなことはしない」と発言していた<ref>[http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/minamata/5chronicle/pdf/A3/K701114A.PDF "ご意見は承ります"/"一株運動"でチッソ専務語る/株主としてなら歓迎/会場変更、総会屋考えぬ/政治的意図には別の方法も] 熊本日日新聞 1970年11月14日</ref>。
* [[1976年]]に[[熊本地方検察庁]]が、社長の[[吉岡喜一]]と元工場長の西田栄一を7人の被害者(当時6人死亡・1人生存)に対するか業務上過失致死傷罪で[[熊本地方裁判所]]に起訴した。事件は2人が1958年から1960年までに工業廃水を水俣川河口海域に排出し、7人を水俣病に罹患させたこととされた。裁判での最大の争点は公訴時効であり、胎児に対する傷害を含め公訴時効の起算点について争点となった。下級審では2人の被害者に対する業務上過失致死傷罪を認めた上で5人の被害者に対する業務上過失致死傷罪については公訴時効が成立するとして免訴とし、2人の被告に禁固2年執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。1988年に最高裁は観念的競合における公訴時効期間の算定について本件では全部を一体として観察すべきものと解するのが相当として、7人の被害者について業務上過失致死傷罪を認めた上で有罪判決が確定した。
* 水俣病を取材していたジャーナリスト、[[ユージン・スミス]]に対し、企業に忠誠を誓う多数派労組が暴行し、重傷を負わせた<ref name="ui">宇井純「技術と産業公害」第4章「水俣病」、東京大学出版会</ref>。