「地獄の黙示録」の版間の差分

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公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという[[村上春樹]]は、評論『[[同時代としてのアメリカ]]』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」<ref>村上春樹「同時代としてのアメリカ 3」 『[[海 (雑誌)|海]]』1981年11月号、164-165頁。</ref>
 
映画の冒頭は、[[ドアーズ]]の「[[ジ・エンド (ドアーズの曲)|ジ・エンド]]」を[[バックグラウンドミュージック|BGM]]に、ベトナム戦争を象徴する兵器である[[ナパーム弾]]が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である<ref>ジョン・ミリアスと、ドアーズのジム・モリスンおよびレイ・マンザレクの2人は、学生時代からの友人で、コッポラ自身も顔見知りだったと言う。</ref>。この他にも、キルゴア中佐率いる部隊が[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の「[[ワルキューレ (楽劇)|ワルキューレの騎行]]」を[[オープンリール]]で鳴らしながら、9機の[[攻撃ヘリコプター#ガンシップの登場|武装した]][[UH-1 (航空機)|UH-1ヘリ]]が、[[南ベトナム解放民族戦線]]の拠点であるベトナムの村落を攻撃していくシーンなど、さまざまな意味で話題となったシーンは多い。また、既存の文学作品や映画作品からモチーフを借りた場面も多く、これらのシーンについて、さまざま多様な解釈が公開当時から行われていた<ref><!--本作が踏襲したかどうかは不明ながら、-->同楽劇曲は1973年公開された「My name is no body」(邦題 [[ミスター・ノーボディ]])でワイルドバンチ<!--ならず者集団-->の登場曲として使用されている。</ref>
 
映画中では、アメリカ側における[[ベトナム戦争]]のいい加減さを強調し、[[歴代アメリカ合衆国大統領の一覧|歴代アメリカ合衆国大統領]]([[ジョン・F・ケネディ]]と[[リンドン・ジョンソン|リンドン・B・ジョンソン]])により拡大した、ベトナム戦争に対する[[アメリカ合衆国連邦政府]]への批判がみられる。例えば、[[サーフィン]]をするために[[ベトナム]]の村落を焼き払うヘリ部隊の指揮官、指揮官不在で戦闘をする部隊といった描写である。上記のように、本作品は、ベトナム戦争の暴力や狂気を強調し、[[アメリカ合衆国]]のベトナム戦争への加担を暗に批判したという点で評価される面がある。その反面、戦争の暴力や狂気をテーマとしながら、それらを視覚的に美しく描くことに成功しているという評価もなされている<ref name="Filmsite">“Apocalypse Now (1979) is producer/director Francis Ford Coppola's visually beautiful, ground-breaking masterpiece with surrealistic and symbolic sequences detailing the confusion, violence, fear, and nightmarish madness of the Vietnam War.”<br />Tim Dirks、“[https://www.filmsite.org/apoc.html Apocalypse Now (Redux) (1979) (2001)]”、Filmsite。(参照:2009年5月25日)</ref>。