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{{Infobox 作家
| name = 小谷野 敦<br />(こやの あつし、こやの とん<ref>{{Cite web |url = https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00198869|title = 小谷野, 敦, 1962-|website = id.ndl.go.jp|publisher = 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス|date = 2017-10-06 |accessdate = 2019-12-26}}</ref>)
| image = <!--写真、肖像画等のファイル名-->
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| nationality = {{JPN}}
| education = [[博士(学術)]]([[東京大学]])<ref name="doctoral-thesis">{{Citation|author=小谷野敦|year=1997|date=1997-04-24|title=〈男の恋〉の文学史――日本文学における男性恋愛心理の比較文学的研究|publisher=東京大学|id=甲第12936号|url={{NDLDC|3157443}}}}</ref>
| alma_mater = [[東京大学]]大学院総合文化研究科[[比較文学]]比較文化専攻博士課程単位取得満期退学
| alma_mater =
| period = [[1990年]] -
| genre = [[評論]]
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| footnotes = <!--脚注・小話-->
}}
'''小谷野 敦'''(こやの あつし<ref>[[2008年]]、{{Harvtxt|小谷野|2008h}}の執筆を機に筆名の読み方を「こやの とん」に改めた。「ところで最近は、当然ながら[[パソコン]]上で、私の名前を記すことが多いが、[[ローマ字]]変換をしている私は、実はいつも「こやの・とん」で変換している。その方が簡単だからでもあるが、だから弴伝執筆中は、「ton」と打つと、まず弴、次に敦が出ていたはず。折角だから、以後私は、字はそのまま、「とん」と読んでもらって[[筆名]]にしたいと思う」{{Harv|小谷野|2008h|p=443}})。2012年11月、{{Harvtxt|小谷野|2012e}}で本名の「こやの あつし」に戻す。</ref>、[[1962年]]〈[[昭和]]37年〉[[12月21日]]<ref>『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.450</ref> - )は[[日本]]の「[[作家]]・[[比較文学|比較文学者]]」<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20190706051407/https://twitter.com/tonton1965/status/1147039326594723840|title = 私の肩書は「作家・比較文学者」なんだがな。 |website publisher= twitter.com |publisher = 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ |date = 2019-07-06 |accessdate = 2019-07-07}}</ref><ref>「文藝評論家」と呼ばれることもあるが、小谷野自身は『[[朝日新聞]]』[[夕刊]]で担当していた「ウォッチ文芸」([[1998年]][[4月]] - [[2000年]][[3月]])以降、文藝評論家という肩書きを拒否している。{{Harvtxt|小谷野|2001b}}に収録された「にわか文藝時評家の日々」を参照。その理由として、小谷野は「私は文藝評論家と呼ばれることもあるが、『文學界』以外の文藝雑誌からは全然お声がかりがないので、そう名乗る資格があるかどうか疑わしい」ということを挙げている(小谷野「作家見習いの記 私小説のすすめ」『中央公論』2008年12月号)。</ref>。禁煙ファシズムと戦う会<ref>この会は2004年秋に小谷野が[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]][[mixi]]の中に作った[[コミュニティ]]である。「そう本格的な集団ではない」と小谷野は言っている([http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_06.html 文学者小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記 2007.05])。</ref>代表。愛称、'''猫猫先生'''<ref>小谷野のブログの名前『猫を償うに猫をもってせよ』に由来。『PLANETS』誌第5号(2008年8月)にも「猫猫先生かく語りき──「もてない男」は世界をどう変革したいのか?」と題するインタビュー記事が掲載されている。なお「猫を償うに猫をもってせよ」とは[[田河水泡]]の『[[のらくろ]]漫画全集』に登場する架空の諺である。</ref>。[[茨城県]]水海道市(現・[[常総市]])生まれ。恋愛の比較文学的研究から出発し、『[[もてない男]]』<ref>小谷野は「たとえこれ以後私がどれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで[[童貞]]だったという怨念だけは忘れない」と発言している{{Harv|小谷野|2005|p=11}}。</ref>を出版しベストセラーになる<ref>小倉千加子『結婚の条件』p.135</ref>。[[#「新近代主義」の提唱|「新近代主義」の提唱]]や[[#「禁煙ファシズム」批判|反禁煙の主張]]などの言論を展開している
 
== 歴 ==
* [[1981年]] [[海城中学校・高等学校|海城高等学校]]卒業
[[茨城県]]水海道市(現・[[常総市]])生まれ。二人兄弟の長男として生まれた<ref name="aera">{{Cite journal|和書|author=[[追分日出子]]|date=2003-08-11|title=現代の肖像 小谷野敦――比較文学者|journal=AERA|volume=16|issue=(34号) (通号 823) 2003年8月11日号|pages=56-61|publisher=朝日新聞出版}}</ref><ref>小谷野は{{Harvtxt|小谷野|2004a|p=60}}で自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。[[福田恆存]]であり、[[西部邁]]であり、[[渡部昇一]]であり、[[谷沢永一]]である。どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」{{Harvtxt|小谷野|2004a|p=58}}と述べている。</ref>。父は[[時計]]職人、母は[[煙草]]屋の看板娘であった<ref name="tabakoya">{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20161122072345/http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090919/1253363934|title = 中村也寸志という人|website = d.hatena.ne.jp|publisher = 猫を償うに猫をもってせよ|date = 2016-11-22|accessdate = 2019-12-26 }}</ref>。東京大学文学部英文科卒業後、[[1990年]]([[平成]]2年)[[8月]]から[[カナダ]]の[[ブリティッシュコロンビア大学]][[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]キャンパス[[アジア学]]学科[[近代]]日本文芸専攻の博士課程に留学し、週に一度だけティーチングアシスタントとして日本語の授業を受け持ちつつ、[[鶴田欣也]]、[[ジョシュア・モストウ]]<ref>{{Cite web |url = https://asia.ubc.ca/profile/joshua-mostow/|title = ジョシュア・モストウ|website = asia.ubc.ca|publisher = Department of Asian Studies|date = |accessdate = 2019-12-26}}</ref>他の指導の下で[[日本文学]]や[[比較文学]]を研究する。留学中は『日本文学』『批評空間』に論文を発表。[[博士論文]]のテーマに[[谷崎潤一郎]]を選ぼうと考えていたが、鶴田と対立する教員から嫌われて[[ティーチングアシスタント]]から外された後、英語力の不足などが理由で博士号取得資格試験に失敗<ref>{{Harvnb|小谷野|2006a|p=257}}</ref>。鶴田からは「評論家的な資質が自分に似ている」と評され、[[芳賀徹]]らとは後に学問的な対立をしたこともあり、のちに「お前の恩師は誰か、一人挙げろと言われたら、鶴田欣也をあげる」<ref>{{Harvnb|小谷野|2008a|p=197}}</ref>と言っている。帰国後、[[東京大学]]大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了<ref>{{Cite web |url = https://www.shinchosha.co.jp/writer/1528/|title = 小谷野敦|website = www.shinchosha.co.jp|publisher = 新潮社|date = |accessdate = 2019-12-26}}</ref>。
* [[1987年]] 各1年間の浪人・留年<ref>学部4年次在学中、英文科の修士課程の入試に失敗。このため意図的に4年生を2回繰り返し、卒業後に比較文学の修士課程に進んでいる。</ref>を経て[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|東京大学文学部]]英文学科[[卒業]]、同大学[[大学院]][[総合文化研究科]]比較文学比較文化専攻修士課程進学
* [[1990年]] - [[1992年]] [[ブリティッシュコロンビア大学]]留学
* [[1994年]] 東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻[[博士課程]]単位取得[[退学#中途退学と満期退学|満期退学]]
* [[1997年]] [[博士(学術)]](東京大学)(博士論文タイトル「<男の恋>の文学史 -日本文学における男性恋愛心理の比較文学的研究」)<ref name="doctoral-thesis" />
 
== 職歴 ==
[[恋愛]]の比較文学的研究から出発し、[[1999年]][[1月]]に『[[もてない男]]』<ref>小谷野は「たとえこれ以後私がどれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで[[童貞]]だったという怨念だけは忘れない」と発言している{{Harv|小谷野|2005|p=11}}。</ref>を出版しベストセラーになった<ref>小倉千加子『結婚の条件』p.135</ref>。[[2002年]]には[[サントリー学芸賞]][[芸術]]・[[文学]]部門を『[[聖母のいない国]]』<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20171227235929/https://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/detail/2002gb2.html|title = サントリー学芸賞|website = www.suntory.co.jp|publisher = サントリー文化財団|date = 2017-12-27|accessdate = 2019-12-26}}</ref>で受賞し、「[[新近代主義]]」の提唱などの言論を展開している。[[2010年]]に「母子寮前」で[[芥川賞]]候補、さらに[[2015年]]には「ヌエのいた家」も[[芥川賞]]候補<ref>{{Cite web |url = https://lite-ra.com/2015/01/post-813.html|title = 選考委員の藁人形つくった! 芥川賞落選・小谷野敦の恨みツイートがすごい|website = lite-ra.com|publisher = リテラニュース|date = 2015-01-24|accessdate = 2019-12-26}}</ref>へ推された。小説に関しては「小説はあくまで『[[私語]]』であって、恨み言でも手記でもいいのである」という立場<ref>ただし、こうした考えについては、自作の小説作品『ヌエのいた家』が第152回芥川龍之介賞候補作に選出された際に、審査員の一人である[[宮本輝]]から「私小説ではなく個人的手記の域から出ていない」と同作を酷評された上、「私小説の名作がなべて隠し持つ精髄の根源について、小谷野氏はあらためて考えてみるべきである」と苦言を呈されている。</ref>を取っており、「私は小説を書く時に、まだ他の人が書いていないことを書くよう努めている。それは評論でも同じことで、どこかで見たような評論を書いていてもダメに決まっている」と考えており、昨今の作家に対しては「私小説でないものを書こうとしすぎる」と批判している一方で「事実を自分に都合よく捻じ曲げておらず、公表したらモデルが特定されて社会的損失をこうむるようなことは書くべきではない」と発言している<ref>{{Cite journal|和書|author=小谷野敦|year=2008|month=12|title=作家見習いの記 私小説のすすめ|journal=中央公論|volume=123|issue=(12号) (通号 1496) 2008年12月号|pages=204-211|publisher=中央公論新社}}</ref>。その一方自らの社会的損失について、何回か法廷で争ったことがある<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20160307182507/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110128/trl11012801190010-n1.htm|title = JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁|website = sankei.jp.msn.com|publisher = 産経新聞|date = 2007-12-22|accessdate = 2020-05-24}}</ref><ref>{{Cite web |url = http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_17.html|title = 文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム裁判記 1|website = www.pipeclub-jpn.org|publisher = 日本パイプクラブ連盟|date = |accessdate = 2020-05-24}}</ref><ref>{{Cite web |url = http://jun-jun1965.hatenablog.com/entries/2006/11/02|title = 井上はねこに勝訴|website = jun-jun1965.hatenablog.com|publisher = jun-jun1965の日記|date = |accessdate = 2020-05-24}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20090519202037/http://winefs.net/tabakome/koyanosaiban/koyanosaiban1.html|title = 小谷野敦裁判記(1)答弁書|website = winefs.net|publisher = ワイネフ|date = 2009-05-19|accessdate = 2020-05-25}}</ref><ref>{{Cite web |url = https://twitter.com/tonton1965/status/302275834373341185|title = 藤原書店に敗訴していたのに今気づいた。|website = twitter.com|publisher = 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ|date = 2013-02-15|accessdate = 2020-05-24}}</ref><ref>{{Cite web |url = http://jun-jun1965.hatenablog.com/entries/2013/09/11|title = アマゾン訴訟始末|website = jun-jun1965.hatenablog.com|publisher = jun-jun1965の日記|date = |accessdate = 2020-05-24}}</ref><ref>{{Cite web |url = http://jun-jun1965.hatenablog.com/entries/2014/08/23|title = やっぱりなあ。佐藤眞の黒幕は言論封殺魔(旧ロシヤのスパイ)であったかと。|website = jun-jun1965.hatenablog.com|publisher = jun-jun1965の日記|date = |accessdate = 2020-05-24}}</ref>。
* [[1993年]] [[帝京女子短期大学]][[非常勤講師]]( - 1994年3月)
* [[1994年]] [[大阪大学]]言語文化部[[講師 (教育)|専任講師]]( - 1997年3月)
* [[1997年]] 大阪大学言語文化部[[助教授]]( - [[1999年]]3月)
* [[2003年]] [[国際日本文化研究センター]]客員助教授( - 2006年)
 
== 人物 ==
二人兄弟の長男として生まれる<ref name="aera">{{Cite journal|和書|author=[[追分日出子]]|date=2003-08-11|title=現代の肖像 小谷野敦――比較文学者|journal=AERA|volume=16|issue=(34号) (通号 823) 2003年8月11日号|pages=56-61|publisher=朝日新聞出版}}</ref><ref>小谷野は{{Harvtxt|小谷野|2004a|p=60}}で自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。[[福田恆存]]であり、[[西部邁]]であり、[[渡部昇一]]であり、[[谷沢永一]]である。どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」{{Harvtxt|小谷野|2004a|p=58}}と述べている。</ref>。父は時計職人、母は煙草屋の看板娘であった<ref name="tabakoya">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090919/1253363934 猫を償うに猫をもってせよ 2009-09-19 中村也寸志という人]</ref>。小学校2年生のとき交通事故で入院<ref name="aera"/>。同じころ父親が転職したためもあり、小学校3年生のとき[[埼玉県]][[越谷市]]に転居<ref name="aera"/>。転校先の[[越谷市立出羽小学校]]で[[いじめ]]を受ける<ref name="aera"/>。同校4年生の時、国語の教科書に載っていた[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の『[[リア王]]』の児童向けリライト版冒頭部分に影響され、学級新聞に小説『新・リア王』を連載したことがある<ref>{{Harvnb|小谷野|2001a|p=149}}</ref>。[[越谷市立富士中学校]]在学中は[[落語]]研究会所属で[[漫画家]]志望だったが、絵を描く能力に関してイラストレーターの叔父から疑念を表明され、高校時代に[[大江健三郎]]や[[太宰治]]を読むようになると小説家志望へ転じる<ref name="koyano">{{Harvnb|小谷野|2004c|p=142}}</ref>。高校受験では[[埼玉県立浦和高等学校]]を受験したが失敗し、海城高等学校に進学。同校ではなかなか友人ができず、いじめっ子集団の標的にされ、成績は平均よりも下を低迷していた<ref>{{Harvnb|小谷野|2003a|p=158}}</ref>。このいじめは、2年生になって成績が向上するまで続いた。陰惨な環境の男子校だったため「男性的なもの」を激しく嫌悪し、女性的なものに憧れて『[[キャンディ・キャンディ]]』に熱中した<ref>{{Harvnb|小谷野|2001b|pp=197-199}}</ref>。幼い頃からクラシック音楽に惹かれ、その延長線上でバレエ音楽『[[コッペリア]]』『[[くるみ割り人形]]』の原作者[[E・T・A・ホフマン]]に関心を寄せ、そのため「大学ではドイツ文学科へ進もうと思っていた」<ref>{{Harvnb|小谷野|2003a|p=13}}</ref>こともあるという。
 
大学受験では一年間の浪人生活を経て東京大学文科III類に進学。[[1984年]]、3年次から英文科に進学。大江と同じように23歳で[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を取って大学卒業後ただちに作家生活に入ることを考えたが、大学時代は児童文学のサークルで出している手書きオフセット印刷の同人誌に小説2篇と戯曲1篇を載せたがサークルの内部で酷評され、自信を失って挫折<ref name="koyano"/><ref>{{Harvnb|小谷野|2009f|p=202}}</ref>。しかし大学の卒論を書くことが面白かったことから学者をしながら評論めいたことを書こうと考え<ref name="koyano"/>、大学院に進学、[[1990年]]6月、東大大学院での修士論文『英雄の生涯─[[曲亭馬琴|馬琴]]、シェイクスピア、19世紀アメリカ小説における近代の運命』が[[芳賀徹]]の推薦で[[福武書店]]から『[[#CITEREF小谷野1990|八犬伝綺想]]』として出版される。
 
[[1990年]]8月からカナダのブリティッシュ・コロンビア大学アジア学科の博士課程に留学し、週に一度だけティーチングアシスタントとして日本語の授業を受け持ちつつ、[[鶴田欣也]]、[[ジョシュア・モストウ|モストウ]]、ブレイマーの指導の下で日本文学や比較文学を研究する。留学中は『日本文学』『批評空間』に論文を発表。[[博士論文]]のテーマには[[谷崎潤一郎]]を選ぼうと考えていたが、ブリティッシュ・コロンビア大学では鶴田と対立する教員から嫌われてティーチングアシスタントから外された後、英語力の不足などが理由で博士号取得資格試験に失敗<ref>{{Harvnb|小谷野|2006a|p=257}}</ref>。鶴田からは「評論家的な資質が自分に似ている」と評され、芳賀らとは後に学問的な対立をしたこともあり、のちに「お前の恩師は誰か、一人挙げろと言われたら、鶴田欣也をあげる」<ref>{{Harvnb|小谷野|2008a|p=197}}</ref>と言っている。
 
[[1992年]]に日本へ帰国。[[1993年]]4月から[[帝京女子短期大学]]にて英語の非常勤講師を務める。[[1994年]]4月、大学院の先輩でロシア語教官である[[ヨコタ村上孝之]]助教授の世話により<ref name="handai">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060929 猫を償うに猫をもってせよ 2006-09-29 阪大辞職顛末]</ref>、[[大阪大学]][[専任講師]]に就任。[[大阪府]][[池田市]]石橋に転居。[[1997年]]には東大で博士号を取得。同年、大阪大学では助教授に進んだ。
 
[[1998年]][[12月12日]]、大阪大学吹田キャンパスのコンベンションセンター・MOホールで開催された「ジェンダー・フリー社会をめざす若者セミナー'98」主催のシンポジウム「「ダンジョサベツ」なんてカンケーない?──ジェンダー論の言葉はどうしたら社会に伝わるか──」にパネリストの一人として出席。この席上、小谷野は「私は以前、[[レズビアン]]からレズビアンだと告白されてそのあと三日間吐き気が続いた」と発言したところ、同じパネリストの[[伊藤悟]]から[[ホモフォビア]]肯定と受け止められ、猛烈な非難を受けた。ただし、伊藤からの非難について小谷野は誤解であるとし、反論と弁明のメールをメーリングリストに投稿している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090928 猫を償うに猫をもってせよ 2009-09-28 告白の代償(5)]</ref>。
 
[[1999年]]3月に大阪大学を辞職して[[東京都]][[三鷹市]]に移住。この辞職について小谷野本人は、酒乱の同僚から恫喝や暴言を受け続け、神経症になったためとしている<ref>{{Harvnb|小谷野|2004c|p=154}}</ref><ref name="handai"/>。また、辞職の直前、1999年1月に[[ちくま新書]]から『[[もてない男|もてない男──恋愛論を超えて]]』を刊行し、新書としては異例ながら10万部を超える[[ベストセラー]]になった。同書が反響を呼んだ原因について、小谷野は「誰も言っていなくて、だけど、みんなが思っていたことを言ったからでしょう。そんなのはコロンブスの卵みたいなもんで」と分析している<ref>『[[噂の眞相]]』1999年7月号、p.84。</ref>。小谷野はまた、「これまでのところ、私はある種の強運を持っていると思っている。たまたま阪大を辞めたのと同時に本がベストセラーになったため、今日まで食うに困るわけでもなく生き長らえているのは、一つの強運だろう。(中略)だが、庇護者運は悪いらしい」<ref name="realism223">{{Harvnb|小谷野|2008a|p=223}}</ref>とも発言している。
 
[[1999年]]10月、5歳上の言語学者で大阪大学助教授の[[由本陽子]]と「結婚」し<ref>小谷野は大学院時代から「[[猪口邦子]]先生のような才色兼備の同業の女性と結婚して、二人で名をあげ、仲良く二人で学会に現れたりして嫉妬まじりの視線を浴びたい、と本気で考えていた」と述べている。学術研究者を妻にしたいという思いは大阪大学に赴任してからも続き、ある晩、[[喫茶店]]で孤独な夕食をとった帰りに古書店で猪口夫妻の共著『世界を読む──Book review 1990』(筑摩書房、1990年)を発見した折には、あまりの妬ましさに古本屋の一隅に立ち尽くしたことがあるという。{{Harvtxt|小谷野|2004a|p=29}}を参照。</ref>、週刊誌から「裏切り」と報道された<ref>{{Cite journal|和書|date=2000-03-23|title=「もてない男」小谷野敦が"裏切り"の結婚 お相手は年上の大学講師|journal=週刊文春|volume=42|issue=(11号) (通号 2071)2000年3月23日号|pages=179f|publisher=文藝春秋}}</ref><ref name="aera"/>。この「結婚」は挙式のみで婚姻届なしの遠距離別居であり、小谷野によれば「恋愛できない人間にお勧めの『友愛結婚』の実践」だったが<ref name="aera"/>、婚姻届の提出について由本の同意が得られなかったため、[[2002年]]夏、事実婚から3年弱で小谷野の側から「離婚」を申し入れた<ref name="aera"/>。
 
しかし、[[2003年]]秋ごろにはやはりもう一度結婚したい、あるいは恋人が欲しいという思いが強くなった上<ref name="deaikei">{{Cite journal|和書|author=小谷野敦|year=2008|month=9|title=出会い系サイト放浪記|journal=新潮45|volume=27|issue=(9号) (通号 317)2008年9月号|pages=148-157|publisher=新潮社}}</ref>、[[2004年]]春、好意をもっていた大学院生の女性の一人に、手ひどい振られ方をしたことがきっかけで<ref name="deaikei"/>結婚情報サービスに入ろうとしたり、出会い系サイトで女性遍歴を重ねたり<ref>{{Harvtxt|小谷野|2005}}によると、最初の頃は大量の[[サクラ (おとり)|サクラ]]に翻弄されるばかりだったが、小谷野の「出会い系サイト放浪記」によると、やがて東京藝術大学出身の28歳の音楽講師や公立大学出身の34歳の法律事務所事務員と複数回の肉体関係を持ったという(『[[新潮45]]』2008年9月号)。</ref>、{{Harvtxt|小谷野|2005|pp=208}}で「結婚相手に求める七か条」<ref>同書によると、この七か条の内容は次の通りである。{{quote|一、一流または一・五流大学卒または大学院修了
 
二、二十五歳から三十四歳、初婚でなくともいいから子供はいないこと
 
三、専門でなくともよいが、[[文学]]や[[演劇]]に関心があること、ただし古典的なもので、『[[源氏物語]]』くらい一般教養として原文ないし現代語訳で読んでいること、[[シェイクスピア]]も翻訳でいいから五、六点は読んでいること、[[谷崎潤一郎|谷崎]]や[[川端康成|川端]]が好きというのが望ましく、[[村上春樹]]、[[江國香織]]などは不可。[[演劇]]は、[[歌舞伎]]、[[能楽]]、[[ギリシャ劇]]、[[アントン・チェーホフ|チェーホフ]]など。[[宮藤官九郎]]が好きなどというのは不可
 
四、特に美人でなくともよいが、私の好みの顔だちであること
 
五、ちゃんと仕事をもっていてそれを続ける意思のあること
 
六、[[首都圏 (日本)|首都圏]]在住可であること
 
七、[[煙草]]を嫌がらなければ、性格は悪くてもよし
 
なお、一流または一・五流大学というのを具体的に言うと、[[東京大学|東大]]、[[京都大学|京大]]、[[一橋大学|一橋]]、[[東京外国語大学|東京外大]]、[[東京藝術大学|東京藝大]]、[[慶應義塾大学|慶應]]、[[上智大学|上智]]、[[早稲田大学|早稲田]](学部による)、[[国際基督教大学|ICU]]、[[お茶の水女子大学|お茶の水大]]、[[日本女子大学|日本女子大]]、[[東京女子大学|東京女子大]]である。}}早稲田大学については「[[森喜朗]]が[[総理大臣|総理]]になって以来、早稲田はバカ、という意識が私にはどうしてもあ」る、と発言したこともある([http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050713 猫を償うに猫をもってせよ 2005-07-13 市川眞人なるもの])。また東京藝術大学については卒業者女性と実際に交際して肉体関係を持ったが、「あまり知的な感じではな」いとの感想を持ち、「セックスの相性が良くても、知的レベルの違いはどうしようもなく」、別れに至っている(小谷野「出会い系サイト放浪記」pp.155-156、『[[新潮45]]』[[2008年]]9月号)。「私が結婚相手に求める条件は、何よりもまず、知的であることだった。これは子供の時からの傾向で、美人でも成績の悪い女の子は好きにならず、優等生の女の子のほうが好きだった。だから、片想いの相手も、つきあった女性も、結婚した相手も、みな研究者だった」とも発言している(小谷野「出会い系サイト放浪記」p.150、『[[新潮45]]』[[2008年]]9月号)。</ref>を書いたりするなどの試行錯誤を経て、2007年、ブログで知合った21歳年下の東京大学大学院修士課程在学中(当時)の柴田葵(のち、作家となって筆名:[[坂本葵]])との婚姻届を提出した<ref>『[[週刊新潮]]』2007年7月5日号。</ref><ref name="fujinkouron" />。
 
また、個人的な趣味としては「古典的なものが好き」で、[[歌舞伎]]、[[落語]]、[[相撲]]<ref>ただし[[時津風部屋]]における[[2007年]]の[[時津風部屋力士暴行死事件|リンチ死亡事件]]以後は[[大相撲]]に失望し、「大相撲、もう廃止しろや。してもいいよ」と発言するに至った([http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080907 猫を償うに猫をもってせよ 2008-09-07 名乗らないチブル星人])。</ref>などを愛する。また、NHKの「[[大河ドラマ]]」に関してもマニアックなファンである<ref>「大河ドラマ」に関しては{{Harvtxt|小谷野|2010a}}を参照。</ref>。音楽では[[クラシック音楽|クラシック]]、[[オペラ]]などが好きであり、大学院では歌舞伎とオペラの比較研究を志していたこともある。その一方、「[[ロック (音楽)|ロック]]などという若者向けの音楽を論じて、受けを狙う学者は気にいらない」「[[ミステリ]]のような通俗小説を、学者で愛好する人がいるのが理解できない」「[[筒井康隆]]のようなSF的設定の小説は面白いが、SF小説自体は、SF漫画やSF映画に乗り越えられている」などと語っている。その他、[[特撮]]を愛好する一面もある<ref>特撮に関しては{{Harvtxt|小谷野|2013b}}を参照。</ref>。
 
[[2008年]]8月、東京大学駒場キャンパスにおける歩行喫煙の是非を巡って東京大学教授[[下井守]]と争った<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080805 猫を償うに猫をもってせよ 2008-08-05 下井守教授に拉致されかける]</ref>ことがきっかけで、禁煙に関する東京大学の方針に従わない態度が問題となり、2009年3月をもって東京大学非常勤講師を雇い止めにされる<ref>{{Cite journal|和書|author=小谷野敦|year=2009|month=4|title=さらば東京大学──わが反「禁煙ファシズム」闘争記|journal=中央公論|volume=124|issue=(4号) (通号 1500) 2009年4月号|pages=204-214|publisher=中央公論新社}}</ref>。これに伴い、[[2009年]][[4月9日]]、東京都杉並区で人文系教養塾「猫猫塾」を開設した<ref>[http://archive.md/a3JS 猫猫塾公式サイト]</ref>。ただし講座は2012年度をもって募集停止となっている<ref>[http://archive.md/r2oTd 年間プログラム]</ref>。
 
== 研究・言論活動 ==
=== 恋愛の比較文化論 ===
研究対象は恋愛の比較文化論で、博士論文『<男の恋>の文学史』では、従来、成立したものとしてしか論じられてこなかった恋愛を「片思い」の視点から記述、中世以前の日本文芸では、男の片思いは共感をもって描かれてきたが、[[江戸時代|徳川時代]]の文芸では、恋愛の主体が女性に移ると共に、もてる男が英雄視されるようになり、それが近代になって男の片思い文学が復活したと論じた<ref name="doctoral-thesis" />。また『<男の恋>の文学史』の続編、『[[#CITEREF小谷野2005|恋愛の昭和史]]』では、近代的な「恋愛」観念が国民的レベルで成立したのは昭和30年代であると主張し、大衆小説における恋愛観念の変遷を辿っている。
 
これら歴史的な研究と並行して、従来の恋愛研究の批判を展開する。博士論文の総論「日本恋愛文化論の陥穽」を収めた『[[#CITEREF小谷野1997a|男であることの困難]]』では、「[[恋愛]]」という概念が明治期に輸入されたという説に対し、それは徳川時代と比較しての話に過ぎないと論駁した。また『江戸幻想批判』では、徳川時代の[[遊廓|遊里]]などを過剰に美化する風潮を批判している。これらは、歴史的事実をきちんと検証しないまま、現代人の願望を過去に投影して安易に書かれた「恋愛の比較文化研究」が、刊行・評価されることに危惧を表明したものである。
 
『[[#CITEREF小谷野1999b|江戸幻想批判]]』では[[佐伯順子]]の『遊女の文化史』を、中世に関しては成立している遊女神聖説を近世に適用したとして批判していたが、2007年の『[[#CITEREF小谷野2007d|日本売春史]]』では、中世に関してもそのような説は成立しないと主張、佐伯説を「密輸入」したなどとして[[網野善彦]]らをも批判している。なお同書は、古代から現代までの売春の変遷を辿ると同時に、各時代の売春が後世の都合によりどう解釈されてきたか追跡したものである。また2008年には『[[#CITEREF小谷野2008g|江戸幻想批判]]』の増補改訂版も刊行した。
 
=== 文藝評論の展開 ===
『[[#CITEREF小谷野2003c|反=文藝評論]]』では、[[村上春樹]]の『[[ノルウェイの森]]』や[[俵万智]]の『[[サラダ記念日]]』が刊行された[[1987年]]以降、現代文学が新たな恋愛幻想に取り憑かれ、カジュアル的なセックス描写を批判するとともに、男女関係の現実を描くリアリズムの文学として、[[藤堂志津子]]や[[佐川光晴]]を高く評価した。『[[#CITEREF小谷野2008a|リアリズムの擁護]]』では、[[田山花袋]]の『[[蒲団 (小説)|蒲団]]』に遡り、赤裸々な事実の暴露という意味での、リアリズムの系譜を掘り起こしている。『[[#CITEREF小谷野2009f|私小説のすすめ]]』でも、自分や周囲のことを書いた小説を「[[私小説]]」と定義し、私小説とは流派、洋の東西を問わず存在する小説形態であると主張している。また[[志賀直哉]]に始まる「心境小説」系私小説を「随筆」として否定すると同時に、『蒲団』以降の「暴露型破滅型」私小説を高く評価し、自らの成長のためには、情けないこと、苦しい思い出こそ書くべきだと読者に勧める。
 
私小説の再評価と併行するかのように、文芸批評における伝記研究の復権を主張し、自ら作家評伝の執筆を手がけている。『[[#CITEREF小谷野2001c|片思いの発見]]』所収の「恋・倫理・文学」では、文学と倫理の関係を論じて作家の伝記の問題に及び、[[国木田独歩]]の評伝がロマン派的な恋愛幻想により歪曲されていると指摘した。『[[#CITEREF小谷野2006c|谷崎潤一郎伝──堂々たる人生]]』では、従来、自律した虚構としてその作品が論じられてきた谷崎の生涯を論じて、多くの作品が実生活を素材として書かれていることを主張し、「松子神話」など性や恋愛をめぐる谷崎幻想の超克をめざした。『[[#CITEREF小谷野2008h|里見弴伝──「馬鹿正直」の人生]]』では、ヨコタ村上孝之ら「近代恋愛」論者が、「恋愛」が西欧から輸入されたと見なしている明治以降の日本においても、ポリガミックな男女関係が残存していたことを、里見の生涯と文筆を通して検証した。
 
小谷野の文藝評論は、日本の前近代の文藝や、海外の文学をも対象にしている。江戸文藝に関しては、八犬伝をめぐる論文を『日本文学』に発表した他、『[[#CITEREF小谷野1990|八犬伝綺想]]』、『[[#CITEREF小谷野1995|夏目漱石を江戸から読む]]』等の著書がある。また、アメリカ文学を論じた『[[#CITEREF小谷野2002a|聖母のいない国]]』では、従来、ロマン派やモダニズムの視点から語られていたアメリカ文学史を、リアリズムの観点から見直すという論を展開し、サントリー学芸賞を受賞した。『[[#CITEREF小谷野2009b|『こころ』は本当に名作か]]』では、古今東西の名作に独自の評価を下し、江戸文藝や漱石、ドストエフスキーの価値を疑問視している。
 
2004年に書かれた『[[#CITEREF小谷野2004c|評論家入門]]』では、19世紀に隆盛を極めた小説という表現ジャンルは20世紀半ばには衰退しはじめており、次に流行りそうなのはエッセイだと書いている。
 
=== 恋愛文化批判 ===
恋愛文化研究の成果を踏まえ、[[1990年代]]後半からは、ジャーナリズムにおける評論活動を積極的に展開し、現代日本の恋愛文化に対する批判を進めていく。『[[もてない男|もてない男――恋愛論を超えて]]』([[ちくま新書]])では、自らを「もてない男」と規定し、その実存の真実に立脚して、「誰にでも恋愛ができる」というのが近代恋愛思想の最大の嘘であるとの主張を展開した。本書の斬新な主張は注目を集め、10万部を超えるベストセラーとなった。後年、小谷野は「今の日本には、『非モテ語り』というものがある。自分がいかに異性にもてないか、それがいかに苦しいかを語る様式で、男女を問わず、特にネット上でよく語られているけれども、外国にはない。なぜならそれはかくいう訳者が『もてない男』で発明した様式だからである。それ以前は『もてない』ことは自己責任である、恥ずかしくて語れないことである、と思われていたのだ。証拠歴然である」<ref>{{Harvnb|小谷野|二葉亭|2010|pp=115f}}</ref>と発言している。続く『[[#CITEREF小谷野2000b|恋愛の超克]]』では、「誰もが恋愛、セックスをしなければならない」と若者を洗脳しているとして、現代の各種メディアを批判し、資本主義社会の御用イデオロギーとしての恋愛の超克を主張した。また本書では、「[[売春]]反対論者」であったが、現在は「必要悪としての容認論」に転じている。
 
「もてない男」を標榜する反面、「美人好き」をも公言している。いずれの議論も、現代の[[フェミニズム]]が隠蔽している、男女それぞれの内部における深刻な格差を問題化するものである。『[[#CITEREF小谷野2009e|美人好きは罪悪か]]』では、自らをとらえている「知的な美人」への嗜好を、社会的・歴史的に分析している。また、文学や学問の世界でも美貌の女性が得をするのであり、それならば偽善を言わないで、美人作家などはどんどんその美貌を活用して売ればいいと主張する。また、[[清岡純子]]の少女ヌードの愛好家であることを明かし、[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ規制]]の強化(単純所持で処罰)に反対の意を表明している。
 
「美人好き」といっても、女性は誰もがきれいになるべき、なれるという立場には否定的である。同書では、「どんなにブスでもデブでもバカでも、外見さえ整えれば、ダイエットすれば、男が付き合ってくれるだろう、などとは言えまい。もっとも、そういう嘘は女性雑誌が盛んに言っているが、あれは化粧品会社がスポンサーだったりするからで、美容産業と結託しているのである。」<ref>{{Harvnb|小谷野|2009e|p=85}}</ref>と批判している。また「エステなどの美容産業」が「女性雑誌あたり」と結んで、女性に「加齢による容貌の衰え」を気に病ませるよう誘導しているとも指摘した<ref>{{Harvnb|小谷野|2009e|p=154}}</ref>。
 
この言論に関係して、『江戸幻想批判』における「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という主張に関する誤りについて「絶望書店日記」という一般人のブログで指摘され、これに反発した小谷野は「匿名批評は卑怯だから実名を名乗るかさもなくば日記の当該エントリを削除せよ」と要求を突きつけた<ref>[http://www.zetubou.com/nikki/2002/09/25/101.htm 絶望書店日記 2002/9/25 平均寿命23歳]</ref><ref>[http://www.zetubou.com/nikki/2006/03/28/171.htm 絶望書店日記 2006/3/28 小谷野敦氏よりの削除依頼]</ref><ref>[http://www.zetubou.com/nikki/2003/04/17/128.htm 絶望書店日記 2003/4/17 小谷野敦氏からの電話]</ref>が、拒否されたため、[[2006年]][[3月30日]]、小谷野は絶望書店を「違法無届営業」<ref name="mutodoke">小谷野ブログからは削除済の文言。[https://web.archive.org/web/20060620150546/http://d.hatena.ne.jp:80/muffdiving/20060330 NC-15 2006-03-30 こんなんでも東大で教鞭取れるのか? ?キチガイ先生 小谷野敦9]への転載からの引用による。</ref>と罵倒し、「杉並警察に通報しようかな」<ref name="mutodoke"/>と書いたこともある(その後、絶望書店は古書を売るのみの営業であり届出の必要な古物商の定義には該当しないことが判明)。やがて小谷野は「絶望書店主人」の指摘について<!--本名とされるものを無断で公表し-->「重箱の隅突つきでしかない」とした上で、「本質に関わりない点で私が誤っただけだ」と弁解している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070916 猫を償うに猫をもってせよ 2007-09-16 JR東日本との裁判]</ref>。
 
このトラブルに平行して、2006年の3月から4月にかけ、或る匿名の[[はてな (企業)|はてな]][[ブログ|ブロガー]]からインターネット上で「キチガイ」「大学の恥」「馬鹿学者」<ref>なお「バカ学者」という表現そのものは、小谷野自身もヨコタ村上孝之に対して使ったことがある。[http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~murakami/koyano.htm 品位ある批評を ヨコタ村上孝之]を参照。</ref>「狂犬」などと揶揄されたため<ref>[https://web.archive.org/web/20191028100151/http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:YGKLN-XBuKsJ:blog.livedoor.jp/minority1-nc15/archives/11240467.html+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja%257Clang_en NC-15 2006-04-10 はてなから削除依頼いただきました。その2]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20080309163213/http://d.hatena.ne.jp:80/muffdiving/20080305 NC-15 2008-03-05 キ○チガイにつきまとわれるとめんどいんで記事訂正します。]</ref>、当該箇所をプリントアウトして[[警視庁]][[高井戸警察署]]に相談したが埒が明かなかったため、株式会社はてなや当該ブロガーに対する問題の記述の削除要請を経て、[[2008年]][[2月5日]]、はてなを相手取って東京簡裁に情報開示および損害賠償請求の訴を起こし、裁判所の和解勧告に従って同年[[7月3日]]にはてなと和解すると共に情報開示を受けた<ref name="blogger">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080709 猫を償うに猫をもってせよ 2008-07-09 マサシについて]</ref>。これによって当該ブロガーの個人情報を突き止めたものの、小谷野は「高卒じゃしょうがないね。高卒の者の言論相手に裁判起こしたりしないから安心しな。実はぱっと見て怒り狂ったんだけど、本当に高卒だと知って怒りは収まった」<ref>小谷野のブログからは削除済の文言。[https://web.archive.org/web/20080423054834/http://d.hatena.ne.jp:80/muffdiving/20060401/1143886133 NC-15 2006-04-01 こんなんでも東大で教鞭取れるのか? ?キチガイ先生 小谷野敦11]への転載からの引用。</ref>「最近はおとなしくしているので、すぐ提訴する気はない」<ref name="blogger"/>と言っている。
 
=== 「新近代主義」の提唱 ===
小谷野は社会問題全般に関しても積極的な発言をしている。小谷野の恋愛研究は、前近代を賛美して近代の制度を批判する傾向に対する反措定であったが、社会思想においても、ポストモダン思想の虚妄を批判して、近代的理念を再評価する「[[新近代主義]]」の立場を取り、現代日本の論壇人への苛烈な批判で知られる{{要出典|date=2015年3月}}。『[[#CITEREF小谷野2004b|すばらしき愚民社会]]』では大衆批判を展開しているが、小谷野の言う大衆とは知的大衆、すなわち一般知識人、読書人階層である。いわゆる大衆の迷妄よりも、知的な言論において暗黙のうちに前提とされ、ドグマと化す観念の迷妄を撃つことに小谷野の批評のモチーフがある。
 
『[[#CITEREF小谷野2002c|中庸、ときどきラディカル――新近代主義者宣言]]』では自らの政治的立場を、「[[共和制|共和主義者]]」と規定している。小谷野によれば、日本のいわゆる右派、保守派はロイヤリスト(王党派)に過ぎないが、これとは異なり、身分差別に基づく天皇制を否定する、近代的なナショナリズムが「共和主義」である。ゆえに小谷野は[[天皇制廃止論|天皇制廃止論者]]であると共に、[[憲法第9条]]改定論者でもあり、アメリカの[[イラク戦争]]を支持した。戦争に反対する知識人は恵まれた特権階級であるが、栄誉と縁のない普通の民衆は戦争によるカタルシスを欲している以上、戦争は止められないと分析した。
 
『[[#CITEREF小谷野2006a|なぜ悪人を殺してはいけないのか]]』では、死刑制度の存続を主張している。死刑廃止を主張する者は、釈放された凶悪殺人犯が自分の家の隣に住んだらどうするのかと小谷野は問う。この世に明らかな「悪」が存在する限り、正義の実現としての死刑は必要であるという。また死刑を廃止するかわりに敵討ちを認めればいいという議論に対しては、敵討ちをしてくれる遺族のいない孤独な被害者はどうなるのかと問い、国家による制裁が必要であると主張している。
 
また、学歴偏重主義については「「学歴差別」という言葉自体、おかしな言葉である。今の日本で、貧しくて上の学校へ行けなかったなどという人はあまりいないのだし、能力で人を区別するのは当然である。能力差別がいけないなら、試験はいけないのか。「差別」というのは、「いわれなく人の地位を定めること」だから、生まれで差別する[[天皇制]]は[[差別]]だ。しかし、生まれつき[[大東文化大学]]卒というやつはいない」「東大出身者同士の間では、三流私大なんかさんざんバカにされているに決まっているのであって、事実そうなのである」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070706 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-06 学歴「差別」?]</ref>と発言し、これを肯定している。職業差別についても「言うまでもないが、体育教師は、どこでも、バカで野蛮である。私は体育教師を差別する。私が独裁者になったら、体育教師をガス室送りにするかもしれない」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070716 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-16 やって来い!]</ref>と公言し、これを肯定する立場を取る。
 
=== 「禁煙ファシズム」批判 ===
現在の反[[タバコ]]運動は「[[禁煙ファシズム]]」であると主張し、『[[#CITEREF小谷野斎藤栗原2005|禁煙ファシズムと戦う]]』を共著で出版している。[[受動喫煙]]を問題視する風潮や喫煙規制について、排煙の害を隠蔽しようとする自動車メーカーや石油会社の陰謀だという説を唱えている<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080504 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-04 ライターNの「皆さん」]</ref>。自身も1日40本の煙草を吸う[[ヘビースモーカー]]であり、著書『[[#CITEREF小谷野2004b|すばらしき愚民社会]]』において、結婚を考えている相手が嫌煙家だったので、[[1999年]]ごろ[[禁煙外来]]に通院したが禁煙に失敗したとしている。小谷野はさらに、「禁煙外来へ行ってもやめられなかった私は、[[身体障害者]]として認定してもらいたい。そのことはいずれ[[厚生労働省]]へ正式に要請するだろう」とも発言している<ref>[http://web.archive.org/web/20070209224202/http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20051109 猫を償うに猫をもってせよ 2005-11-09 北風と太陽]</ref>。
 
[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が一部の列車を除き車内を全面禁煙したことに対して、禁煙措置の取りやめを求めて訴訟を起こしたが、棄却されている。また、訴状において、自らが[[閉所恐怖症]]であり、喫煙ができないと症状の悪化を来たすとの主張をしている。「大気の汚れた東京で、たばこの煙ぐらいを問題にすること自体がばかばかしい」「健康に害を及ぼすものはほかにもいろいろあるのに、たばこだけが狙い撃ちされている」<ref>{{Cite journal|和書|author=小谷野敦|date=2008-02-15|title=たばこだけが狙い撃ち 全面禁煙はファシズムだ!|journal=週刊朝日|volume=113|issue=(6号) (通号 4863) 2008年2月15日号|pages=39f|publisher=朝日新聞出版}}</ref>というのが小谷野の主張である。また、他の連載コラム等において、自らが禁煙の[[プラットホーム]]で敢えて喫煙し、駅員に注意されるとクレームを付けたり、怒鳴ったりしていることを明らかにしている。
 
[[2004年]][[10月15日]]には、やはり反禁煙家である[[筒井康隆]]と[[東京都]][[千代田区]]の[[パレスホテル]]にて初対面を果たした<ref name="tsutsui">[http://archive.md/WYBNw 筒井康隆の紫福談 第4回 小谷野敦氏とのファースト・コンタクト]</ref>。このとき小谷野は筒井から愛煙家団体「Go smoking友の会」への参加を求められたが、「嫌煙権論者とは喧嘩しないという主宰者の方針が気に食わない」との理由によりこの誘いを拒否<ref name="tsutsui"/>。小谷野はさらに筒井から喫煙者と嫌煙権論者との公開シンポジウムにも参加するよう誘われたが、「嫌煙権論者は馬鹿ばかりであって、論争するに値いしない」との理由によってこの誘いをも拒否したと筒井に書かれた<ref name="tsutsui"/>。ただし小谷野自身は、この時の対面について「私は「嫌煙派とのシンポジウム」を断ったわけではなく、やっても新聞等が報じないだろうし、たとえ嫌煙派が議論で負けても、負けたとかバカだったとかは死んでも報道せず「議論は平行線をたどった」などと書くだけだろうから、ムダだろうと思い、黙っていただけです。」と述べている<ref>[http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=191350&comm_id=9743&page=all mixiの小谷野敦コミュでの発言(2004年11月17日)]{{リンク切れ|date=2019-10-28}}</ref>。
 
また、「1999年に大阪大学を、耐えられなくなって辞めて以来、27件近くの大学の公募に応募してきたが、2004年に、比較文学の公募で、明らかに私より業績のない者が採用されたのを機に、応募もやめてしまった。大学は禁煙ファシズムがひときわ厳しいし、それと戦っている私を採用する大学などというものはもうないだろう」<ref name="realism223"/>とも述べ、自らが阪大辞任以後、どの大学でも常勤の職を持てずにいる背景にも「禁煙ファシズム」の存在があるとの見解を示している。ただし小谷野は「地方の立派な大学への就職を[[平川祐弘|平川先生]]が斡旋してくれたことがあって、ただ飛行機に乗れない私がそんな遠方へ行くのは不可能だったから断った」とも発言している<ref>{{Harvnb|小谷野|2009c|p=29}}</ref>。
 
『[[週刊現代]]』[[2008年]][[8月2日]]号では「何よりも私が不愉快なのは、禁煙運動家の人たちとは議論が成立しないことです」<ref name="syukan-gendai-2008-08-02">{{Cite journal|和書|author=小谷野敦|date=2008-08-02|title=オピニオンワイド たばこを考える 嫌煙は権利かファシズムか|journal=週刊現代|volume=50|issue=(29号) (通号 2485) 2008年8月2日号|pages=150f|publisher=講談社}}</ref>と言いつつも、「以前、日本禁煙学会の理事長が公開討論をやりたいと言ってきたことがありますが、応じませんでした。どうせ禁煙運動家を動員して、こちらを袋叩きにするのは目に見えているからです」<ref name="syukan-gendai-2008-08-02" />と述べた。また、「私はいま『禁煙ファシズムと戦う会』を結成していますが、かくも理不尽な世の中と立ち向かうには、もはや『日本喫煙者党』(笑)を結成して国政に出るしかないでしょう。心ならずも世間の隅に追いやられた愛煙家たちの熱い支持が得られるものと確信しています」<ref name="syukan-gendai-2008-08-02" />とも発言している。
 
ただし「咽頭に病気を抱える者の前では喫煙を控えるべき」とブログで書き込んでいる。同時に、喫煙者である[[室井尚]]が喫煙に関する文章を出し、[[山形浩生]]が抗議したときは、山形を以下のように非難した。
{{Quotation|なんで(中略)室井尚にからむんだ山形浩生。俺にからめよ俺に。それともあれか、俺には勝てないとか、ネットしか見ないネットバカを洗脳しようとか、そういう意図か。(中略)なんで山形のデータって米国のばっかりなんでしょ。日本のデータはないのかしら。(中略)喘息だとか喉が弱いとか言っている人がいるが、そういう人の前で煙草を吸ってもいいとは私は書いていない|小谷野|[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050930 猫を償うに猫をもってせよ 2005-09-30 俺にからめよ山形浩生] }}
 
また、これらの言論活動の過程で、元喫煙者でフリーライターの[[藤本祥和]]から、[[2006年]][[9月30日]]、[[ミクシィ]]に投稿された『禁煙ファシズムと戦う』についてのレビューの中で、「論理の組み立て方の基本ができていない」などと批判されたため、同年[[10月1日]]に、小谷野も自身のミクシィアカウントで「自分ではかつて吸っていながら、やめられたというのでファシストになるというのはずいぶん身勝手な話だ」と反撃し、論争へと発展。藤本は、ミクシィ上で小谷野に公開討論を申し入れたものの、小谷野は登録名を変更した上で、藤本をコメント禁止にし、最後まで議論に応じなかった。その後、藤本はこれらの応酬を自らのウェブサイトで揶揄的に紹介している<ref>[https://web.archive.org/web/20090815082010/http://winefs.net:80/tabakome/koyano/koyano1.html 小谷野敦逃亡記]</ref>。[[山本一郎 (実業家)|山本一郎]]は、この論争事件を、『[[週刊SPA!]]』[[2006年]][[12月26日]]号に掲載したネット上でおきた[[ゴシップ]]をまとめた「mixi事件ベスト10」において、「ミクシィの[[2ちゃんねる]]化」ととして第3位に取り上げている。
 
その後、このやり取りがきっかけで、[[2009年]][[2月16日]]に、小谷野が藤本を[[名誉毀損]]と公然侮辱で刑事告訴することを発表し、「訴状提出は三月に入ってからだろうから、期日は四月だろう」と予告<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090216 猫を償うに猫をもってせよ 2009-02-16 生きることの意味]</ref>、藤本のウェブサイト記事「小谷野敦逃亡記」「小谷野敦文通メモ」、ブログ「ワイネフパーム・ブログ」の一部削除ならびに慰謝料300万円の支払いを要求した<ref name=":0">{{Cite web|title=小谷野敦裁判記(1)答弁書|url=https://web.archive.org/web/20090519202037/http://winefs.net/tabakome/koyanosaiban/koyanosaiban1.html|website=web.archive.org|date=2009-05-19|accessdate=2019-10-30}}</ref><ref name="fujimoto"/><ref>[http://ameblo.jp/winef/entry-10283210522.html ワイネフパーム・ブログ 2009-06-19 00:28:14 復習:小谷野裁判とエンストローム]{{リンク切れ|date=2013年5月}}</ref>。ただし藤本は、訴状が届いたのは2009年4月になってからだったと主張している<ref name=":0" /><ref name="fujimoto">[http://203.80.26.36/winef/entry-10246099481.html ワイネフパーム・ブログ 2009-04-20 20:48:45 小谷野敦裁判記(1)「ジャムロジクとか裁判とか」]{{リンク切れ|date=2013年5月}}</ref>。[[2009年]][[5月12日]]に東京地裁民事第49部第530法廷で第1回口頭弁論が行われ<ref name=":1">東京地方裁判所平成21年9月17日判決(平成21年(ワ)第6984号)</ref><ref>[http://ameblo.jp/winef/entry-10259904585.html ワイネフパーム・ブログ 2009-05-13 00:39:16 小谷野敦裁判記(3)第1回口頭弁論]{{リンク切れ|date=2013年5月}}</ref>、[[6月23日]]に第2回口頭弁論が行われて結審<ref name=":1" /><ref>[http://ameblo.jp/winef/entry-10263606118.html ワイネフパーム・ブログ 2009-05-18 23:43:07 小谷野敦裁判記(4)期日変更]{{リンク切れ|date=2013年5月}}</ref>。[[9月17日]]に下された判決で<ref>[http://ameblo.jp/winef/entry-10286120981.html ワイネフパーム・ブログ 2009-06-23 19:03:10 あっさり結審]{{リンク切れ|date=2013年5月}}</ref>、小谷野側の全面敗訴となった<ref name=":1" /><ref>[http://web.archive.org/web/20090924015736/http://ameblo.jp:80/winef/entry-10344909698.html ワイネフパーム・ブログ 2009-09-18 00:51:01 小谷野敦さん全面敗訴]</ref>。敗訴確定後、小谷野は藤本を提訴した動機について「私が被告を提訴したのは、匿名掲示板で「たばこ屋の看板娘だったお母様への感情が整理しきれないのでしょう」などと、亡き母を引き合いに出して私を揶揄したからだ」<ref name="tabakoya" />と説明している。
 
=== その他の言論活動 ===
『[[#CITEREF小谷野2001a|バカのための読書術]]』などの啓蒙書も多い。評論家としては[[呉智英]]の影響を大きく受けている。エッセイについては[[群ようこ]]を師匠と呼び、「学者っぽいところは[[高島俊男]]先生、怒ってばかりいるところは[[筒井康隆]]の日記、あたりが師匠筋に当たろうか」と述べている<ref>{{Harvnb|小谷野|2001b|pp=314f}}</ref>。また少年期からの歴史好きもあり、純粋な歴史の研究書『[[#CITEREF小谷野1998|間宮林蔵〈隠密説〉の虚実]]』や、シェークスピアの作品内容と歴史的事実とを比較研究した『[[#CITEREF小谷野2007g|リチャード三世は悪人か]]』なども刊行している。啓蒙書『[[#CITEREF小谷野2001a|バカのための読書術]]』でも、歴史に関する本を読むことの重要性を説いている。また[[系図]]マニアでもあり、現代の学者、作家などの係累関係について造詣が深い。その趣味は、2007年の著書『[[#CITEREF小谷野2007c|日本の有名一族]]』に結実した。
 
大学の現状についても発言している。「定年延長というのは、若い研究者の就職を遅らせることで、よくない」と指摘、国立大を定年退官した者が私立に勤めることについても、「国立大を定年になった教授を雇うより、若い人を雇ったほうが給料は安くあがるんだから、定年になった教授に就職口があるのは、人脈の賜物でしかない」と述べる<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090626 猫を償うに猫をもってせよ 2009-06-26 比較文学会小]</ref>。
そして「私立を含めてすべての大学が定年を65歳にすれば、[[オーバードクター]]問題は解決する」と提言している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20091128 猫を償うに猫をもってせよ 2009-11-28 『今昔物語』を全部読むか]</ref>。大学改革にも批判的であり、「今の大学の困難ってのは多くは90年代の大学改革が原因なんだから、それをやった連中の罪を問うべきで、元に戻せ、と言うだけでいい」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080923 猫を償うに猫をもってせよ 2008-09-23 三浦慶子の謎]</ref>と主張する。
 
インターネット上では[[ブログ]]「[[#猫を償うに猫をもってせよ (ブログ)|猫を償うに猫をもってせよ]]」を運営しており、自己の主張の提示や、他者への批判などを活発に行っている。「匿名批判というのは、基本的に卑怯である」「私を匿名で批判する権利があるのは、たとえば大学で私の授業に出ている学生だけ」と、匿名・本名を公開しない筆名による言論を厳しく批判した<ref>{{Harvnb|小谷野|2004c|pp=175f}}</ref>。<!--また2007年には、自らのウェブログにおいて、こうした言論活動を行っている人々の本名を、本人の承諾を得ないまま公開したこともある。-->しかし現在は、「私は最近、そういう怒りからは次第に遠ざかっている」という心境を漏らすに至っている<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090528 猫を償うに猫をもってせよ 2009-05-28 距離を感じる]</ref>。その他、jun-jun1965というIDで[[はてなダイアリー]]キーワードをたびたび編集している<ref>たとえば[http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5?%a5%bf?%be???kid=180102&mode=edit ヨコタ村上孝之]や[http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ba%b4%c7%ec%bd%e7%bb%d2?kid=130069&mode=edit 佐伯順子]や[http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c5%cf%ca?%a8%bc%f9?kid=185005&mode=edit 渡辺秀樹]の項目など。</ref>。
 
その他、選択的[[夫婦別姓]]制度導入に反対などしている<ref>SAPIO 2015年4月号</ref>
 
== 創作活動 ==
自らの文学的主張の実践として、2007年には、自身の恋愛体験を元にした表題作を含む小説集『[[#CITEREF小谷野2007b|悲望]]』を刊行。2008年には、第二小説集『[[#CITEREF小谷野2008c|童貞放浪記]]』を刊行した。評論活動と平行して、小説を発表していく意向を示している。小谷野によると、若い頃は人間を描くことができなかったが、谷崎の評伝を手がけた際、谷崎の小説は想像力で書き上げたものではなく実体験に基づいていたものであることを発見すると共に、実体験を生かしてフィクションを書く技術を谷崎作品から習得し、その技術を発揮するために再び小説を書き始めたという<ref>『[[讀賣新聞]]』[[夕刊]]、[[2008年]][[3月22日]]。</ref>。小説に関しては「今の新人作家は、私小説でないものを書こうとしすぎると私は思う」「小説は「私語」であって、恨み言でも手記でもいいのである」「私は小説を書く時に、まだ他の人が書いていないことを書くよう努めている。それは評論でも同じことで、どこかで見たような評論を書いていてもダメに決まっている」、ただし「事実を自分に都合よく捻じ曲げておらず、公表したらモデルが特定されて社会的損失をこうむるようなことは書くべきではない」と発言している<ref>{{Cite journal|和書|author=小谷野敦|year=2008|month=12|title=作家見習いの記 私小説のすすめ|journal=中央公論|volume=123|issue=(12号) (通号 1496) 2008年12月号|pages=204-211|publisher=中央公論新社}}</ref>。
 
モデルの存在に関しては、『悲望』と『童貞放浪記』に収められた私小説作品のみでなく、架空の物語として書かれている『[[#CITEREF小谷野2009a|美人作家は二度死ぬ]]』(山室なつ子の生涯)についても、「事故死する女性は[[安藤美保]]という、別の形だが24歳で事故死した歌人がモデルで、これは[[武藤康史|武藤(康史)]]さんがその日記の抜粋をずっと雑誌に連載していた人である」<ref>[http://web.archive.org/web/20090704091425/http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090701 猫を償うに猫をもってせよ 2009-07-01 鎌倉の一夜]</ref>と明かしている。
 
2012年1月には、初の歴史小説『[[#CITEREF小谷野2012a|遊君姫君――待賢門院と白河院]]』を発表。2012年4月から、商業誌に採用してもらえない未発表の私小説を新規ブログで発表している。
 
2010年に「母子寮前」で、2014年に「ヌエのいた家」でそれぞれ芥川賞候補となったが落選<ref name="芥川賞落選">[https://web.archive.org/web/20150415123659/http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun144KA.htm 小谷野敦-芥川賞候補作家-144KA - nifty]</ref>。自著『私小説のすすめ』の中で「小説は…手記でもいい」と言い張っていたが、いずれの作品に対しても、選考委員の[[宮本輝]]から「はたしてこれは小説なのか、癌と宣告された母親を看取る作者の看病記録なのか」<ref>『文藝春秋』2011年3月号。</ref>、「私小説ではなく個人的手記の域から出ていない」<ref name="文春201503">『文藝春秋』2015年3月号。</ref>との批判を受けた。同じく[[島田雅彦]]からは、「ヌエのいた家」について「人は往々にして、自分が嫌う相手に似てしまうもので、それこそが近親憎悪の最もおぞましい部分なのだが、自分と父はあくまで違うという思い込みに対する批評が欠落している」と批判された<ref name="文春201503" />。
 
落選直後から「わら人形五個できた。あとは五寸釘」「選考委員たちが乗った飛行機が無人島に不時着するという小説を構想している」「正確を期すが、とれなかったのはまだいい。[[小野正嗣|小野]]、というのと、あのバカな講評、最初に落とされたというのが納得がいかん」などと芥川賞選考委員たちに対する恨みのツイートをおこない、話題となった<ref>[http://lite-ra.com/2015/01/post-813.html 選考委員の藁人形つくった! 芥川賞落選・小谷野敦の恨みツイートがすごい]</ref>。そして、芥川賞に「入学」さえしていないにも拘らず、2015年に「芥川賞卒業宣言」をおこなった<ref>『本の雑誌』2015年5月号。</ref>。
 
== 法廷闘争 ==
小谷野は、自身の権利を侵害したと信ずる相手に対しては積極的に法廷闘争を挑み、あるいは提訴を警告している<ref>『[[紙の爆弾]]』2009年12月号</ref>。
 
=== 奨学金返済をめぐり日本学生支援機構に提訴を警告 ===
2005年には自らのブログで[[日本学生支援機構]](理事長・[[北原保雄]]=当時)から再三にわたり貸与奨学金返還の[[督促状]]を受けていることに触れ、「[[連帯保証人]](父)に催促するとか、債権回収会社から電話で督促させるとか、まるで脅迫状である。私は昨年来、研究者を育てるのが目的の大学院奨学金なのに、いくら研究をしていても専任ではないからといって返還させ、研究していなくても専任なら返さなくていいというのはおかしい、と北原宛に手紙を書き、国際日本文化研究センターからの在職証明書も送っている。機構は、これは常勤職ではない、と言うのだが、私が貸与を受けていた時期の約款には、「客員助教授」は常勤ではない、とは書いていない。1999年に施行された「細則」によって分かるのであり、事後的な契約は無効であるといっているのに。違うと言うなら法廷で戦うのみである。下手に債権回収会社など使ったら脅迫罪で訴えるぞ」と宣言したこともある<ref>{{Cite web|title=猫を償うに猫をもってせよ 2005-09-08 金は返さん|url=http://web.archive.org/web/20051213032309/http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/200509|website=web.archive.org|date=2005-12-13|accessdate=2019-10-30|publisher=}}</ref>。その後、2006年に小谷野は国際日本文化研究センターの客員助教授を雇い止めとなり、奨学金返済拒否の口実を完全に失ったが、今日に至るまで貸与奨学金を返済していない。なお、小谷野個人の年収は、当人の発言によると「一千万円前後を行ったり来たり」しているという<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110525 猫を償うに猫をもってせよ 2011-05-25 消費税に関する嘘の説明をやめよ]</ref>。
 
=== 国会議員の嫌煙発言をめぐり日本国を提訴 ===
[[2006年]][[1月16日]]、[[衆議院議員]][[杉村太蔵]]による「多くの若者にとって、たばこは汚い、くさい、カネがかかるの3K」との発言等により苦痛と屈辱を受けたと主張して国家賠償を請求し、東京地裁にて日本国を提訴した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060116 2006-01-16 訴状提出]</ref>。一審では2006年5月24日に原告小谷野が敗訴。2006年5月31日、原告が東京高裁に控訴したが棄却となり、最高裁への上告は受理されなかった<ref name="saiban">[http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_17.html 文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム裁判記 1]</ref>。このとき小谷野は弁護士を探したが引き受ける者がなかったため、法曹界でも禁煙ファシズムが広がっていると批判した<ref name="saiban" />。
 
=== 鉄道の全面禁煙をめぐりJRを提訴 ===
[[2007年]][[3月24日]]、[[特別急行列車|特急]]や[[新幹線]]の全面禁煙措置等が喫煙者に対する差別であり、[[日本国憲法第13条]]に定められた[[幸福追求権]]の侵害にあたり違憲であるとの主張のもとにJR東日本を[[東京簡易裁判所|東京簡裁]]に提訴した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070324 2007-03-24 JR東日本を提訴]</ref>(2007年[[12月21日]]、裁判移送先の東京地裁にて小谷野側が全面敗訴<ref>[https://web.archive.org/web/20160307182507/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110128/trl11012801190010-n1.htm 産経ニュース 2007年12月22日 JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁]</ref>)。「控訴しても棄却されるのは目に見えているし、上級審で変な判例を作っても何だから」との理由により控訴は断念した<ref name="saiban"/>。
 
=== ネット上の名誉毀損をめぐりフリー編集者を提訴 ===
[[2006年]][[2月23日]]、[[1998年]]12月の大阪大学吹田キャンパスでのシンポジウムにおける小谷野の発言へのインターネット上での批判をめぐり、フリー編集者[[井上はねこ]]を名誉毀損で東京地裁に提訴<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060509 猫を償うに猫をもってせよ 2006-05-09 井上はねこを提訴]</ref><ref>[http://blog.livedoor.jp/noranekonote/archives/cat_10011156.html 2008年06月30日 小谷野敦 すこたん企画との騒動 名誉毀損訴訟]</ref>。井上によると、小谷野はこのシンポジウムで「私は以前、レズビアンからレズビアンだと告白されてそのあと(嫌悪感から)三日間吐き気が続いた」と発言したという<ref name="inoue">[http://cruel.org/cyzo/cyzo200111.html 山形道場 復活第 31 段 今月の喝! 「ネットへの過度の責任要求と安易な削除」 (『CYZO』2001 年 12 月) 山形浩生]</ref>。このシンポジウムにおける小谷野の言動を、井上は「流れに関係なく、言いたいことを言っては話をわき道にそらす」「ホンネだけに頼って自分本位に語り(中略)話の腰を折っていることに無自覚」と批判したものである<ref name="inoue" />。
 
この裁判では被告井上が法廷に現れなかったため、[[2006年]][[10月27日]]、自動的に小谷野の勝訴となったが<ref name="haneko">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20061102 2006-11-02 猫を償うに猫をもってせよ 井上はねこに勝訴]</ref>、被告が損害賠償請求を無視しているため、小谷野は30万円の賠償金を取立てることができずにいる<ref name="tabakoya" />。
 
=== ブログの記述をめぐりネット古書店主に提訴を警告 ===
2006年3月、かつて遊女の平均寿命をめぐって論争をおこなった<ref>[http://www.zetubou.com/nikki/2003/04/17/128.htm 絶望書店日記「2003/4/17 小谷野敦氏からの電話」]</ref>インターネット古書店「絶望書店」の店主に対し、同書店ブログに引用された自らのメールの文面を削除するよう要請。削除されない場合は名誉毀損で提訴する可能性があると警告し、これを削除させた<ref>[http://www.zetubou.com/nikki/2006/03/28/171.htm 絶望書店日記「2006/3/28 小谷野敦氏よりの削除依頼」]</ref>。
 
=== 小説の中の記述をめぐり芥川賞作家に提訴を警告 ===
2006年の12月には、作家[[笙野頼子]]が連載小説『おはよう、水晶──おやすみ、水晶』の中で実名を出さぬまま小谷野を批判し「やってる仕事は女叩き」等と書いたため、名誉毀損で笙野を提訴しようとしたことがある<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20061204 2006-12-04 笙野頼子への抗議と警告]</ref>。
 
=== ウィキペディアでの編集活動をめぐり「日本版ウィキペディアの責任者」に提訴を警告 ===
[[ウィキペディア日本語版]]で[[利用者:Akoyano]]として活動していたが、自らの編集活動をめぐり[[Wikipedia:管理者|管理者]]と衝突。[[2007年]][[11月20日]]には「仮に私の編集停止措置などをとれば、公示送達によって提訴し、日本版ウィキペディア(ママ)の責任者を引きずり出してやる」と宣言した<ref>[http://megalodon.jp/2007-1127-1922-35/d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071120 猫を償うに猫をもってせよ 2007-11-20 カリギュラ]</ref>。これらの言動がサイトの規則に反するものとして、最終的には恒久的にウィキペディアへの投稿が禁止された。{{see also|Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Akoyano}}
 
===ツイッターでの発言をめぐり佐藤亜紀に提訴を警告===
2010年12月1月以降、ツイッターで[[佐藤亜紀]]が小谷野の著書『現代文学論争』を批判したところ、小谷野は佐藤に内容証明を送って当該ツイートの削除を求め、「本状到着後一週間以内に削除されない場合、民事提訴もありえます」と警告した<ref>[http://tamanoir.air-nifty.com/poubelle/2011/02/2-dc5c.html 2号室: 今週の困った人たち 佐藤亜紀日記2011/02/25]</ref>。
 
=== 対談での発言をめぐり藤原書店を提訴 ===
[[2012年]]、[[藤原書店]]の雑誌『環』[[2009年]]秋号所収の[[粕谷一希]]との対談「本をめぐる対話 第4回 比較という思想‐西洋・非西洋・日本」p.367-368, 376における[[平川祐弘]]の発言{{quotation|「最近、小谷野敦(1962年生)というのが『東大駒場学派物語』というのを出したんですが、そこでやり玉に挙げられてしまって……。『平川というのは、キリスト教は嫌いだ』とか、『天皇崇拝を強制する』とかありもしないことを面白おかしく書いて、全くもう迷惑。いつか同世代の女子学生が片端からストーカーされて迷惑したように小谷野に私もやられるだろうとは思っていたけれども。この人は、次々と才色兼備の女子学生に言い寄ってはふられてその体験を基に書いた『もてない男』というのが10万部も売れた。それを自慢しているんですよ。それが売れてちょっと元気になって、それで結婚した。そのときは僕を仲人に頼んでいるくせに、そういうことは一切書いていない。初めは東大駒場学派の歴史を書くといっていたのがいつのまにか物語になって、勝手なゴシップを書いて、人にレッテルを貼った。要は、『天皇崇拝』だとか、『神道』だとか、『右翼』だというのは、殺し文句として非常に有効なんですね。そういうことを分かって使っている」}}{{quotation|「悪質というか、世間がわからないというか……。単に面白いことを書けばいい、スキャンダラスなことを書けばいいということなんでしょう」}}{{quotation|「今回の『アーサー・ウェイリー──「源氏物語」の翻訳者』(2008年)で、ウェイリーも、[[バジル・ホール・チェンバレン|チェンバレン]]のことをこれだけ否定的に書いている、ということを新たに示しても、それでもまだ『チェンバレン、チェンバレン』と持ち上げているのが小谷野敦。よく読みもせず、私に絡んできて……」}}をめぐり、同誌への謝罪文掲載を要求して藤原書店を東京地裁に提訴したが、「平川の当該発言は原告(小谷野)の社会的地位を低下させるほどのものではない」との理由で[[2013年]]2月に敗訴した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130212 猫を償うに猫をもってせよ 2013-02-12 藤原書店に敗訴]</ref>。
 
これについて、小谷野は当初「原告勝訴」と勘違いし、その旨のエントリをブログに載せている<ref>[https://web.archive.org/web/20160309143023/http://www.peeep.us/50086959 猫を償うに猫をもってせよ 2013-02-12 藤原書店に勝訴]</ref>。「原告敗訴」であることに小谷野が気付いたのはその2日後であった<ref>[https://twitter.com/tonton1965/status/302275834373341185 2013年2月14日 - 20:39のツイート]</ref>。
 
=== 文芸同人誌における国文学者の発言をめぐり提訴を警告 ===
[[兵庫県]][[姫路市]]の同人誌『文芸日女道』531号・532号・533号で元[[賢明女子学院短期大学]]教授の[[森本穫]]から「小谷野は『剽窃の名人』である」、『[[#CITEREF小谷野2011b|久米正雄伝]]』は[[関口安義]]の『評伝松岡譲』を基礎にして成り立っているが、どこにも関口著の題名は出てこない、などと悪口を書かれ、[[2012年]]9月、森本に提訴を警告し、内容証明を送り、謝罪文を書かせた<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120921/1349311307 猫を償うに猫をもってせよ 2012-09-21 『文芸日女道』と森本穫事件]</ref>。
 
=== レビューアーの個人情報開示をめぐりアマゾンジャパン株式会社を提訴 ===
[[2013年]]2月、アマゾンジャパン株式会社を東京地裁に提訴して係争中であることを明らかにした<ref>[https://twitter.com/tonton1965/status/303806804037599232 2013年2月19日 - 2:02のツイート]</ref>。「大河好き。」と名乗るレビューアー<ref>[https://archive.is/LCEOS 大河好き。 "大河好き。"さんが書き込んだレビュー (と〜ほぐ地方)] </ref>から小谷野の著書『[[#CITEREF小谷野2012a|遊君姫君――待賢門院と白河院]]』(アルファベータ、2012年)に対して「[[大河ドラマ]]と[[渡辺淳一]]『天上紅蓮』の便乗作で、これがなければ書かれることもなかっただろう」とのカスタマーレビューを投稿され、これを自らへの名誉毀損とみなした小谷野が「大河好き。」の個人情報開示を求めて提訴したものだったが、2013年9月、小谷野の敗訴に終わった<ref name="amazon">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130911 猫を償うに猫をもってせよ 2013-09-11 アマゾン訴訟始末]</ref>。小谷野はまた、「大河好き。」の正体と信じる私人の実名をブログで公開しているが<ref name="amazon" />、「大河好き。」の正体に擬せられた当人は人違いであると発言している<ref>[http://web.archive.org/web/20140320001349/https://twitter.com/j_u_t_u_n_a/status/378039253344604160 @j_u_t_u_n_a 2013年9月11日 - 23:15]</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20140320001126/https://twitter.com/j_u_t_u_n_a/status/378052473329418241 @j_u_t_u_n_a 2013年9月12日 - 0:08]</ref>。
 
===著書の企画を潰されたとして集英社インターナショナルを提訴===
このほか、「知のトレッキング叢書」から刊行される予定だった小谷野の著書の企画が一編集者に潰されたとされる件をめぐり、[[集英社インターナショナル]]を提訴している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120616 猫を償うに猫をもってせよ 2012-06-16]</ref><ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120623 猫を償うに猫をもってせよ 2012-06-23 集英社インターナショナル]</ref><ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120709 猫を償うに猫をもってせよ 2012-07-09 佐藤眞とは何者か]</ref><ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20140806 猫を償うに猫をもってせよ 2014-08-06]</ref><ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20140823 猫を償うに猫をもってせよ 2014-08-23 言論封殺魔デター]</ref>。
 
これら一連の法廷闘争について、小谷野は「裁判って中毒性がある」「裁判をやってもらうために税金を払っていたわけで、これは納税者の重要な権利である。どうも日本人は訴訟狂でなさすぎる傾向があるね」と発言している<ref name="haneko"/>。
 
==法的トラブル==
===脅迫罪で京都府の女性から刑事告訴された顛末===
2009年、2ちゃんねるへの書き込みをめぐって京都府在住の女性と揉め事になった小谷野は「必ず復讐はします」「あなたの名前を明らかにします」というメールを女性に送信。その後、2010年、このメールが脅迫罪にあたるという女性の申し立てで刑事告訴が受理され、京都府警の任意事情聴取を受けたことがある<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20100510/1273918219 猫を償うに猫をもってせよ 2010-05-10]</ref>。書類送検を経て、京都地検で不起訴となった(起訴猶予)。この一連の騒動について、小谷野は小説と称してブログに書き、さらに女性を攻撃した。さらに、京都府警の任意事情聴取の録音をyoutubeにアップロードしたこともある<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20121005 猫を償うに猫をもってせよ 2012-10-05 京都府南警察のうそつき取り調べ]</ref>。のち、小谷野は告訴人の代理人弁護士を所属弁護士会に懲戒請求したが、却下された。
 
===「代理夫婦」事件===
[[2015年]]、小谷野は「代理夫婦」と題する私小説をブログに発表した<ref>[http://web.archive.org/web/20161125110953/http://ameblo.jp/tonton1962/entry-12039764583.html 代理夫婦(上)|小谷野敦のブログ - アメーバブログ]</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20161125111143/http://ameblo.jp/tonton1962/entry-12040802561.html 代理夫婦(中)|小谷野敦のブログ - アメーバブログ]</ref><ref>[http://web.archive.org/web/20161125110836/http://ameblo.jp/tonton1962/entry-12041690213.html 代理夫婦(下)|小谷野敦のブログ - アメーバブログ]</ref>。小谷野を師と仰ぐフリーライター[[小林拓矢]]夫妻をモデルとした作品であったが、作中の描写をめぐり小林夫妻から抗議を受け、東京都迷惑防止条例違反で警視庁調布警察署に通報される騒ぎに発展した<ref>[http://web.archive.org/web/20161125113800/http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20150626 代理夫婦その後 - 猫を償うに猫をもってせよ]</ref>。
 
== 著作 ==
=== 単著 ===
==== ノンフィクション ====
評論・エッセイ・評伝などを挙げる。
* {{Cite book|和書|title=八犬伝綺想――英米文学と『南総里見八犬伝』|date=|year=1990|month=6|accessdate=|publisher=[[福武書店]]|series=Fukutake books 21|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|ref={{Harvid|小谷野|1990}}|author=}} - 参考文献:pp.276-277。
** {{Cite book|和書|title=新編八犬伝綺想|date=――英米文学と『南総里見八犬伝』|year=20001990|month=2|accessdate=6|publisher=[[筑摩福武]]|series=[[ちくま学芸文庫]]Fukutake books 21|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-8288-3320-X|ref={{Harvid|小谷野|2000a1990}}|author=}} - 『[[#CITEREF小谷野1990|八犬伝綺想]]』(福武書店、1990年刊)の増補。「江戸の二重王権」と「八犬伝の海防思想」の論参考二編が追加されている献:pp.276-277
* *{{Cite book|和書|title=夏目漱石を江戸から読む――しい女と古い男|date=編八犬伝綺想|year=19952000|month=3|accessdate=2|publisher=中央公論社[[筑摩書房]]|series=[[中公新書ちくま学芸文庫]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-08540-8|ref={{Harvid|小谷野|19952000a}}|author=}} - 各章末:参考『[[#CITEREF小谷野1990|八犬伝綺想]]』(福武書店、1990年刊)の増補。「江戸の二重王権」と「八犬伝の海防思想」の論二編が追加されている
*{{Cite book|和書|title=夏目漱石を江戸から読む――新しい女と古い男|year=1995|month=3|publisher=中央公論社|series=[[中公新書]]|isbn=4-12-101233-X|ref={{Harvid|小谷野|1995}}}} - 各章末:参考文献。
** 『夏目漱石を江戸から読む』中公文庫、2018年5月。 - 付・正宗白鳥「夏目漱石論」
**{{Cite book|和書|title=夏目漱石を江戸から読む 付・正宗白鳥「夏目漱石論」|date=2018年5月25日|year=2018|publisher=中央公論新社}} - 文庫化
* {{Cite book|和書|title=男であることの困難――恋愛・日本・ジェンダー|date=|year=1997|month=10|accessdate=|publisher=[[新曜社]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|ref={{Harvid|小谷野|1997a}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=であること困難――〉の文学史|date=愛・日本・ジェンダー|year=1997|month=12|accessdate=10|publisher=朝日[[|series=[[朝日選書]] 590|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-7885-0622-X|ref={{Harvid|小谷野|1997b1997a}}|author=}} - 文献あり。
*{{Cite book|和書|title=〈男の恋〉の文学史|year=1997|month=12|publisher=朝日新聞社|series=[[朝日選書]] 590|isbn=4-02-259690-2|ref={{Harvid|小谷野|1997b}}}} - 文献あり。
** 『定本 〈男の恋〉の文学史 『万葉集』から田山花袋、近松秋江まで』 [[勉誠出版]]、2017年8月
* {{Cite book|和書|title=間宮林蔵〈隠密説〉の虚実|date=|year=1998|month=10|accessdate=|publisher=[[教育出版]]|series=江戸東京ライブラリー 1|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-316-35700-X|ref={{Harvid|小谷野|1998}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=もてない男――恋愛論を超えて|date=|year=1999|month=1|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=[[ちくま新書]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-05786-2|ref={{Harvid|小谷野|1999a}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=江戸幻想批判――「江戸の性愛」礼讃論を撃つ|year=1999|month=12|publisher=新曜社|isbn=4-7885-0698-X|ref={{Harvid|小谷野|1999b}}}}
** {{Cite book|和書|title=江戸幻想批判――「江戸の性愛」礼讃論を撃つ|edition=改訂新版|year=2008|month=12|publisher=新曜社|isbn=978-4-7885-1130-9|ref={{Harvid|小谷野|2008g}}}}
* {{Cite book|和書|title=恋愛の超克|date=|year=2000|month=11|accessdate=|publisher=[[角川書店]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-04-883643-9|ref={{Harvid|小谷野|2000b}}|author=}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=バカのための読書術|date=|year=2001|month=1|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=ちくま新書|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-05880-X|ref={{Harvid|小谷野|2001a}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=軟弱者の言い分|year=2001|month=3|publisher=[[晶文社]]|isbn=4-7949-6479-X|ref={{Harvid|小谷野|2001b}}}}
** {{Cite book|和書|title=新編 軟弱者の言い分|date=|year=2006|month=11|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=ちくま文庫|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-42279-X|ref={{Harvid|小谷野|2006d}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=片思いの発見|year=2001|month=9|publisher=[[新潮社]]|isbn=4-10-449201-9|ref={{Harvid|小谷野|2001c}}}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=聖母のいない国――the North American novel|year=2002|month=5|publisher=[[青土社]]|isbn=4-7917-5962-1|ref={{Harvid|小谷野|2002a}}}}
** {{Cite book|和書|title=聖母のいない国――the North American novel|year=2006|month=4|publisher=[[日本点字図書館]] (製作)|ref={{Harvid|小谷野|2006b}}}} - [[厚生労働省]]委託。
** {{Cite book|和書|title=聖母のいない国――the North American novel|year=2008|month=6|publisher=河出書房新社|series=[[河出文庫]]|isbn=978-4-309-40906-1|ref={{Harvid|小谷野|2008d}}}}
* {{Cite book|和書|title=退屈論|year=2002|month=6|publisher=[[弘文堂]]|series=シリーズ生きる思想 1|isbn=4-335-00051-0|ref={{Harvid|小谷野|2002b}}}}
** {{Cite book|和書|title=退屈論|date=中庸、ときどきラディカル――新近代主義者宣言|year=20072002|month=10|accessdate=9|publisher=河出筑摩書房新社|series=河出文庫|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-81445-0|ref={{Harvid|小谷野|2007f2002c}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=中庸、ときどきラディカ学校のシャ――新近代主義者宣言パンティエ|year=20022003|month=93|publisher=筑摩書房青土社|isbn=4-4807917-814456020-04|ref={{Harvid|小谷野|2002c2003a}}}}
* {{Cite book|和書|title=中学校性と愛シャルパンティエ|date=日本語講座|year=2003|month=36|accessdatepublisher=筑摩書房|publisherseries=青土社ちくま新書|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-06118-5|ref={{Harvid|小谷野|2003a2003b}}|author=}} - 年表あり。
* {{Cite book|和書|title=性と愛の日本語講座|date=反=文藝評論――文壇を遠く離れて|year=2003|month=6|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=ちくま曜社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-7885-0859-1|ref={{Harvid|小谷野|2003b2003c}}|author=}} - 年表文献あり。
* {{Cite book|和書|title=反=文藝評論――文壇俺も女遠く離れ泣かせ|date=みたい|year=20032004|month=6|accessdate=7|publisher=新曜社筑摩書房|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-81467-1|ref={{Harvid|小谷野|2003c2004a}}|author=}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=俺も女を泣かせてみたいすばらしき愚民社会|year=2004|month=78|publisher=筑摩書房新潮社|isbn=4-48010-81467449202-17|ref={{Harvid|小谷野|2004a2004b}}}}
* *{{Cite book|和書|title=すばらしき愚民社会|date=|year=20042007|month=8|accessdate=2|publisher=新潮社|isbnseries=[[新潮文庫]]|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9isbn=978-4-10-130671-1|ref={{Harvid|小谷野|2004b2007a}}|author=}}
** {{Cite book|和書|title=すば評論家入門――清貧でもいいか物書愚民社会|date=になりたい人に|year=20072004|month=2|accessdate=11|publisher=新潮平凡社|series=[[平凡社潮文庫]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-582-85247-5|ref={{Harvid|小谷野|2007a2004c}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=評論家入門――清貧でもいいから物書きになりたい人に|date=恋愛の昭和史|year=20042005|month=11|accessdate=3|publisher=平凡社|series=[[平凡社新書文藝春秋]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-16-366880-2|ref={{Harvid|小谷野|2004c2005}}|author=}} - 年表あり。
* *{{Cite book|和書|title=恋愛の昭和史|year=20052008|month=3|publisher=[[文藝春秋|series=[[文春文庫]]|isbn=978-4-16-366880771769-28|ref={{Harvid|小谷野|20052008b}}}} - 年表あり。
** {{Cite book|和書|title=恋愛の昭和史|date=帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて|year=20082005|month=3|accessdate=7|publisher=文藝春秋筑摩書房|series=[[文春文庫]]ちくま新書|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-06246-7|ref={{Harvid|小谷野|2008b2005}}|author=}} - 年表あり。
* {{Cite book|和書|title=帰ってきたもなぜ悪人を殺しはいけないのか――女性嫌悪を超えて反時代的考察|year=20052006|month=73|publisher=筑摩書房|series=ちくま曜社|isbn=4-4807885-062460985-7|ref={{Harvid|小谷野|20052006a}}}}
* {{Cite book|和書|title=なぜ悪谷崎潤一郎伝――堂々たるを殺してはいけないのか――反時代的考察|date=|year=2006|month=3|accessdate=6|publisher=[[中央公論]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-12-003741-X|ref={{Harvid|小谷野|2006a2006c}}|author=}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=谷崎潤日本の有名郎伝――堂々たる人生近代エスタブリッシュメントの系図集|year=20062007|month=69|publisher=幻冬舎|series=[[中央公論幻冬舎]]|isbn=978-4-12344-00374198055-X6|ref={{Harvid|小谷野|2006c2007c}}}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=日本の有名一族売春史――近代エスタブリッシュメ遊行女婦からソープラトの系図集|date=ドまで|year=2007|month=9|accessdate=|publisher=幻冬舎新潮社|series=[[幻冬舎潮選]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-10-603590-6|ref={{Harvid|小谷野|2007c2007d}}|author=}} - 文献年表あり。
* {{Cite book|和書|title=日本売春史――遊行女婦からソープランドまで|date=退屈論|year=2007|month=9|accessdate=10|publisher=河出書房社|series=新潮選書河出文庫|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-309-40871-2|ref={{Harvid|小谷野|2007d2007f}}|author=}} - 年表あり。
* {{Cite book|和書|title=リチャード三世は悪人か|date=|year=2007|month=10|accessdate=|publisher=[[NTT出版]]|series=NTT出版ライブラリーレゾナント 39|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-7571-4167-4|ref={{Harvid|小谷野|2007g}}|author=}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=リアリズムの擁護――近現代文学論集|date=|year=2008|month=3|accessdate=|publisher=新曜社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-7885-1090-6|ref={{Harvid|小谷野|2008a}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=猫を償うに猫をもってせよ|year=2008|month=7|publisher=[[白水社]]|isbn=978-4-560-03184-1|ref={{Harvid|小谷野|2008e}}}}
* {{Cite book|和書|title=日本の歴代権力者|date=|year=2008|month=9|accessdate=|publisher=幻冬舎|series=幻冬舎新書|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-344-98092-1|ref={{Harvid|小谷野|2008f}}|author=}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=里見弴伝――「馬鹿正直」の人生|year=2008|month=12|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-12-003998-0|ref={{Harvid|小谷野|2008h}}}} - 文献・著作目録・索引あり。
* {{Cite book|和書|title=『こころ』は本当に名作か――正直者の名作案内|year=2009|month=4|publisher=新潮社|series=[[新潮新書]] 308|isbn=978-4-10-610308-7|ref={{Harvid|小谷野|2009b}}}}
* {{Cite book|和書|title=東大駒場学派物語|date=|year=2009|month=4|accessdate=|publisher=[[新書館]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-403-23113-1|ref={{Harvid|小谷野|2009c}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=美人好きは罪悪か?|date=|year=2009|month=6|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=ちくま新書 788|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-480-06492-9|ref={{Harvid|小谷野|2009e}}|author=}} - 並列シリーズ名:Chikuma shinsho。
* {{Cite book|和書|title=私小説のすすめ|date=|year=2009|month=7|accessdate=|publisher=平凡社|series=平凡社新書 473|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-582-85473-2|ref={{Harvid|小谷野|2009f}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=禁煙ファシズムと断固戦う!|date=|year=2009|month=10|accessdate=|publisher=[[ベストセラーズ]]|series=[[ベスト新書]] 249|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-584-12249-5|ref={{Harvid|小谷野|2009g}}|author=}} - 並列シリーズ名:Best shinsho。
* {{Cite book|和書|title=大河ドラマ入門|year=2010|month=1|publisher=[[光文社]]|series=[[光文社新書]] 442|isbn=978-4-334-03546-4|ref={{Harvid|小谷野|2010a}}}} - 索引あり。
* {{Cite book|和書|title=文学研究という不幸|year=2010|month=1|publisher=ベストセラーズ|series=ベスト新書 264|isbn=978-4-584-12264-8|ref={{Harvid|小谷野|2010b}}}} - 並列シリーズ名:Best shinsho。
* {{Cite book|和書|title=天皇制批判の常識|date=|year=2010|month=2|accessdate=|publisher=[[洋泉社]]|series=新書y 231|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-86248-517-5|ref={{Harvid|小谷野|2010c}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=日本文化論のインチキ|date=|year=2010|month=5|accessdate=|publisher=幻冬舎|series=幻冬舎新書 165|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-344-98166-9|ref={{Harvid|小谷野|2010d}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=現代文学論争|date=|year=2010|month=10|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=[[筑摩選書]] 0004|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-480-01501-3|ref={{Harvid|小谷野|2010e}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=能は死ぬほど退屈だ――演劇・文学論集|year=2010|month=11|publisher=論創社|isbn=978-4-8460-1058-4|ref={{Harvid|小谷野|2010f}}}}
* {{Cite book|和書|title=名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか|date=|year=2011|month=4|accessdate=|publisher=青土社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-7917-6597-3|ref={{Harvid|小谷野|2011a}}|author=}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=久米正雄伝――微苦笑の人|year=2011|month=5|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-12-004200-3|ref={{Harvid|小谷野|2011b}}}} - 文献・年譜・索引あり。
* {{Cite book|和書|title=猿之助三代|year=2011|month=5|publisher=幻冬舎|series=幻冬舎新書 215|isbn=978-4-344-98216-1|ref={{Harvid|小谷野|2011c}}}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|title=友達がいないということ|date=|year=2011|month=5|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=[[ちくまプリマー新書]] 159|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-480-68860-6|ref={{Harvid|小谷野|2011d}}|author=}} - 並列シリーズ名:chikuma primer shinsho。
* {{Cite book|和書|title=「昔はワルだった」と自慢するバカ|year=2011|month=11|publisher=ベストセラーズ|series=ベスト新書 349|isbn=978-4-584-12349-2|ref={{Harvid|小谷野|2011g}}}} - 並列シリーズ名:BEST SHINSHO。
* {{Cite book|和書|title=小谷野敦のカスタマーレビュー――2002〜2012|year=2012|month=4|publisher=アルファベータ|isbn=978-4-87198-655-7|ref={{Harvid|小谷野|2012b}}}} - 索引あり。
* {{Cite book|和書|title=21世紀の落語入門|date=|year=2012|month=5|accessdate=|publisher=幻冬舎|series=幻冬舎新書 こ-6-5|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-344-98263-5|ref={{Harvid|小谷野|2012c}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=文学賞の光と影|date=|year=2012|month=7|accessdate=|publisher=青土社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-7917-6659-8|ref={{Harvid|小谷野|2012d}}|author=}} - 索引あり。
* {{Cite book|和書|title=日本恋愛思想史――記紀万葉から現代まで|year=2012|month=11|publisher=中央公論新社|series=中公新書 2193|isbn=978-4-12-102193-9|ref={{Harvid|小谷野|2012e}}}} - 文献・索引あり。
* {{Cite book|和書|title=日本人のための世界史入門|date=|year=2013|month=2|accessdate=|publisher=新潮社|series=新潮新書 506|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-10-610506-7|ref={{Harvid|小谷野|2013a}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=ウルトラマンがいた時代|date=|year=2013|month=4|accessdate=|publisher=ベストセラーズ|series=ベスト新書 403|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-584-12403-1|ref={{Harvid|小谷野|2013b}}|author=}} - 文献・年表あり。
* {{Cite book|和書|title=高畑勲の世界|year=2013|month=4|publisher=青土社|isbn=978-4-7917-6693-2|ref={{Harvid|小谷野|2013c}}}} - 文献・年譜あり。
* {{Cite book|和書|title=川端康成伝――双面の人|year=2013|month=5|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-12-004484-7|ref={{Harvid|小谷野|2013d}}}} - 文献・年譜・索引あり。
* {{Cite book|和書|title=ムコシュウト問題――現代の結婚論|year=2013|month=8|publisher=弘文堂|isbn=978-4-335-55157-4|ref={{Harvid|小谷野|2013e}}}}
* {{Cite book|和書|title=面白いほど詰め込める勉強法――究極の文系脳をつくる|year=2013|month=9|publisher=幻冬舎|series=幻冬舎新書 こ-6-6|isbn=978-4344983175|ref={{Harvid|小谷野|2013f}}}}
* {{Cite book|和書|title=頭の悪い日本語|year=2014|month=4|publisher=新潮社|series=新潮新書 568|isbn=978-4106105685|ref={{Harvid|小谷野|2014b}}}}
* {{Cite book|和書|title=病む女はなぜ村上春樹を読むか|year=2014|month=5|publisher=ベストセラーズ|series=ベスト新書 439|isbn=978-4-584-12439-0|ref={{Harvid|小谷野|2014c}}}}
* {{Cite book|和書|title=江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学|date=|year=2015|month=2|accessdate=|publisher=筑摩書房|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|ref={{Harvid|小谷野|2015a}}|author=}}
** {{Cite book|和書|title=江藤淳と大江健三郎 ──戦後日本の政治と文学|date=2018年8月10日|year=2018|publisher=筑摩書房}} - 文庫化
* {{Cite book|和書|title=このミステリーがひどい!|year=2015|month=10|publisher=飛鳥新社|isbn=978-4-584-12439-0|ref={{Harvid|小谷野|2015b}}}}
* {{Cite book|和書|title=俺の日本史|year=2015|month=10|publisher=新潮社|series=新潮新書|isbn=978-4-106-10615-6|ref={{Harvid|小谷野|2015c}}}}
* {{Cite book|和書|title=天皇制批判の常識|year=2015|month=11|publisher=猫猫塾|ASIN= B018PXWI0S|ref={{Harvid|小谷野|2015d}}}}
* {{Cite book|和書|title=宗教に関心がなければいけないのか|date=|year=2016|month=2|accessdate=|publisher=筑摩書房|series=ちくま新書|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|ref={{Harvid|小谷野|2016a}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=反米という病 なんとなくリベラル|date=|year=2016|month=3|accessdate=|publisher=飛鳥新社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|ref={{Harvid|小谷野|2016b}}|author=}}
* {{Cite book|和書|title=弁慶役者 七代目幸四郎|year=2016|month=7|publisher=飛鳥新社|isbn=978-4-791-76941-4|ref={{Harvid|小谷野|2016c}}}}
* {{Cite book|和書|title=本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝|year=2016|month=10|publisher=新潮社|series=新潮新書|isbn=978-4-106-10688-0|ref={{Harvid|小谷野|2016d}}}}
* {{Cite book|和書|title=文章読本X|year=2016|month=10|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-120-04911-8|ref={{Harvid|小谷野|2016e}}}}
* {{Cite book|和書|title=芥川賞の偏差値|year=2017|month=3|publisher=二見書房|isbn=978-4-57617-029-9}}、2017年3月。
* {{Cite book|和書|title=文豪の女遍歴|year=2017|month=11|publisher=』[[幻冬舎新書|isbn=978-4-34498-466-0}}]]、2017年9月。
* {{Cite book|和書|title=純文学とは何か|year=2017|month=11|publisher=中公新書ラクレ|isbn=978-4-12150-604-7}}、2017年11月。
* {{Cite book|和書|title=司馬遼太郎で読み解く幕末・維新|year=2018|month=2|publisher=ベスト新書|isbn=978-4-58412-572-4}}、2018年2月。
* {{Cite book|和書|title=忘れられたベストセラー作家|year=2018|month=3|publisher=イースト・プレス|isbn=978-4-78161-647-6}}、2018年3月。
* {{Cite book|和書|title=近松秋江伝-情痴と報国の人|yeardate=2018年12月7日|monthyear=122018|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-12005-149-44120051498}}
* {{Cite book|和書|title=この名作がわからな哲学嫌 ポストモダンのインチキ|yeardate=2019年10月19日|monthyear=92019|publisher=二見書房秀和システム|author=|isbn=978-4-57619-104-14798060046}}
* {{Cite book|和書|title=哲学嫌歌舞伎に女優が ポストモダンのインチキた時代|yeardate=20192020/3/6|monthyear=102020|publisher=イースト・プレス中央公論新社|isbn=978-4-57619-104-14121506801}}
* {{Cite book|和書|title=歌舞伎に女優がいた時代|year=2020|month=3|publisher中公新書ラクレ|isbn=978-4-12150-680-1}}
 
==== フィクション ====
小説を挙げる。
* {{Cite book|和書|title=悲望|year=2007|month=8|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=978-4-344-01367-4|ref={{Harvid|小谷野|2007b}}}}<ref>文藝春秋社法務部が表題作についてモデル女性からの訴訟を恐れた結果、文藝春秋社からは刊行を拒否されたという。同社のこの判断について小谷野は「そんなことはありえない。却って目立つだけだし、当人は外国にいるからだ」と述べている。{{Harvtxt|小谷野|2009f|p=209}}を参照。</ref>
*{{Cite book|和書|title=悲望|year=2007|month=8|publisher=[[幻冬舎]]|isbn=978-4-344-01367-4|ref={{Harvid|小谷野|2007b}}}}<ref>文藝春秋社法務部が表題作についてモデル女性からの訴訟を恐れた結果、文藝春秋社からは刊行を拒否されたという。同社のこの判断について小谷野は「そんなことはありえない。却って目立つだけだし、当人は外国にいるからだ」と述べている。{{Harvtxt|小谷野|2009f|p=209}}を参照。</ref>
** {{Cite book|和書|title=悲望|date=|year=2011|month=8|accessdate=|publisher=幻冬舎|series=[[幻冬舎文庫]]|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|ref={{Harvid|小谷野|2011f}}|author=}}
**{{Cite book|和書|title=悲望|year=2011|month=8|publisher=幻冬舎|series=[[幻冬舎文庫]]|isbn=978-4-344-41716-8|ref={{Harvid|小谷野|2011f}}}}
** 「悲望」(初出は本人の[[mixi]]の日記における連載。その後『[[文學界]]』2006年7月号に掲載)
** 「なんとなく、リベラル」(初出『[[文學界]]』2007年2月号、『悲望』単行本に所収)
* {{Cite book|和書|title=童貞放浪記|year=2008|month=5|publisher=幻冬舎|isbn=978-4-344-01503-6|ref={{Harvid|小谷野|2008c}}}}
** {{Cite book|和書|title=童貞放浪記|date=|year=2009|month=6|accessdate=|publisher=幻冬舎|series=幻冬舎文庫 こ-25-1|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-344-41330-6|ref={{Harvid|小谷野|2009d}}|author=}}
** 「童貞放浪記」(『文學界』2007年10月号) - [[小沼雄一]]監督で映画化、[[2009年]]3月[[ゆうばり国際ファンタスティック映画祭]]にて初上映<ref>{{Cite web |url = https://web.archive.org/web/20160304200528/http://www.cinematopics.com/cinema/c_report/index3.php?number=3651&to=next&offset=0|title = 『童貞放浪記』初のIQIQの高い童貞青春映画を山本浩司、神楽坂恵が演じる|website CINEMA TOPICS ONLINE|url= https://web.archive.org/web/20150329181442/http://www.cinematopics.com/cinema/c_report/index3.php?number=3651|publisher website= CINEMA TOPICS ONLINEweb.archive.org|date = 20162015-03-0429|accessdate = 2019-1210-2630}}</ref>、2009年8月から10月にかけて単館上映(配給:アルゴ・ピクチャーズ)<ref>{{Cite web|title=童貞放浪記 {{!}} 映画-Movie Walker|url = httpshttp://archive.is/haG42|title = 童貞放浪記pNj5p|website = moviearchive.goo.ne.jp|publisher = goo映画is|date = 20172016-1011-2825|accessdate = 2019-1210-2630}}</ref>
** 「黒髪の匂う女」(書き下ろし)
** 「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」(書き下ろし)
* {{Cite book|和書|title=美人作家は二度死ぬ|year=2009|month=1|publisher=[[論創社]]|isbn=978-4-8460-0696-9|ref={{Harvid|小谷野|2009a}}}}
** 「山室なつ子の生涯」(本人のブログに発表。[[樋口一葉]]が夭折せず、凡庸な作家として生涯を送ったという設定のパラレルワールドの物語)
** 「純文学の祭り」(書き下ろし)
* 「告白の代償」(2009年9月、本人のブログに発表)
* {{Cite book|和書|title=中島敦殺人事件|year=2009|month=12|publisher=論創社|isbn=978-4-8460-0908-3|ref={{Harvid|小谷野|2009i}}}}
** 「中島敦殺人事件」(書き下ろし)
** 「天皇の煙草」(2009年7月、本人のブログに発表)
* {{Cite book|和書|title=母子寮前|year=2010|month=12|publisher=文藝春秋|isbn=978-4-16-329830-6|ref={{Harvid|小谷野|2010g}}}}
** 「母子寮前」(『文學界』2010年9月号、第144回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]候補作)
* {{Cite book|和書|title=東海道五十一駅|year=2011|month=8|publisher=[[アルファベータ]]|isbn=978-4-87198-652-6|ref={{Harvid|小谷野|2011e}}}}
** 「東海道五十一駅」(本人のブログに前半を発表)
** 「ロクシィの魔」(書き下ろし)
** 「あなたの肺気腫を悪化させます」(本人のブログに前半を発表)
* {{Cite book|和書|title=遊君姫君――待賢門院と白河院|year=2012|month=1|publisher=アルファベータ|isbn=978-4-87198-653-3|ref={{Harvid|小谷野|2012a}}}} - 年表あり。
** 「遊君姫君---待賢門院と白河院」(書き下ろし)
* {{Cite book|和書|title=馬琴綺伝|year=2014|month=3|publisher=河出書房新社|isbn=978-4309022703|ref={{Harvid|小谷野|2014a}}}}
** 「馬琴綺伝」(書き下ろし)
 
* 『グンはバスでウプサラへ行く 小谷野敦作品集』 (猫猫塾) 2015年1月26日
* 『鴎たちのヴァンクーヴァー 小谷野敦作品集』 (猫猫塾) 2015年3月23日
* 『ヌエのいた家』 (文春e-book) 2015年5月29日(第152回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]候補作)
* 『お嬢様放浪記 小谷野敦作品集』 (猫猫塾) 2015年6月20日
* 『東十条の女弁慶役者 七代目幸四郎幻戯書房、2018青土社 2016372322
* 『信長の孫:三法師・秀信のその後』(電子書籍)2018年1月17日
* 『吾輩は童貞(まだ)である- 童貞について作家の語ること-』共著 キノブックス、 2018年7月29日
* 『とちおとめ東十条ババロア青土社、幻戯書房 2018年1132023
 
=== 共著 ===
 
* {{Cite book|和書|editor=[[川本皓嗣]]・[[井上健 (比較文学者)|井上健]] 編|year=1997|month=4|title=翻訳の方法|publisher=[[東京大学出版会]]|isbn=4-13-083024-4|ref={{Harvid|川本|井上|1997}}}}<ref>{{Cite web |url = http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-083024-9.html|title = 翻訳の方法|website = www.utp.or.jp|publisher = 東京大学出版会|date = |accessdate = 2019-12-26}}</ref>
* {{Cite book|和書|editor=[[延廣眞治川本皓嗣]]・[[井上健 編|title=江戸の(比較学者)|chapter=近松神話の形成序説井上健]] 編|year=20001997|month=4|title=翻訳の方法|publisher=ぺりかん社[[東京大学出版会]]|isbn=4-831513-0937083024-X4|url=http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-083024-9.html|ref={{Harvid|延廣川本|小谷野井上|20001997}}}} - 年譜あり。
* {{Cite book|和書|editor=[[日本エッセイスト・クラブ延廣眞治]] 編|title=象が歩いた江戸の文事|chapter=ケータイを捨てよ、書を取れ|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|date=近松神話の形成序説|year=20022000|month=7|accessdate=4|publisher=文藝春秋|series=ベスト・エッセイ集 2002年版ぺりかん社|isbn=4-8315-0937-X|ref={{Harvid|日本エッセイスト・クラブ延廣|小谷野|20022000}}|author=}} - 年譜あり。
** {{Cite book|和書|editor=[[日本エッセイスト・クラブ]] 編|title=象が歩いた|chapter=ケータイを捨てよ、書を取れ|year=20052002|month=7|publisher=文藝春秋|series=文春文庫 ベスト・エッセイ集 2002年版|isbn=4-16-743420358740-23|ref={{Harvid|日本エッセイスト・クラブ|小谷野|20052002}}}}
**{{Cite book|和書|editor=[[日本エッセイスト・クラブ]] 編|title=象が歩いた|chapter=ケータイを捨てよ、書を取れ|year=2005|month=7|publisher=文藝春秋|series=文春文庫 ベスト・エッセイ集 2002年版|isbn=4-16-743420-2|ref={{Harvid|日本エッセイスト・クラブ|小谷野|2005}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[池田清彦]] ほか|year=2003|month=7|title=天皇の戦争責任・再考|chapter=マッカーサーの後継者たち|series=新書y 090|publisher=洋泉社|isbn=4-89691-745-6|ref={{Harvid|池田ほか|2003}}}} - [[池田清彦]]・[[小浜逸郎]]・[[橋爪大三郎]]・[[吉田司]]・[[井崎正敏]]・[[八木秀次 (法学者)|八木秀次]] 共著。
*{{Cite book|和書|author=[[池田清彦]] ほか|year=2003|month=7|title=天皇の戦争責任・再考|chapter=マッカーサーの後継者たち|series=新書y 090|publisher=洋泉社|isbn=4-89691-745-6|ref={{Harvid|池田ほか|2003}}}} - [[池田清彦]]・[[小浜逸郎]]・[[橋爪大三郎]]・[[吉田司]]・[[井崎正敏]]・[[八木秀次 (法学者)|八木秀次]] 共著。
* {{Cite book|和書|editor=[[藤井淑禎]] 編|title=江戸川乱歩と大衆の二十世紀|chapter=偉大なる通俗作家としての乱歩|year=2004|month=8|publisher=至文堂|series=「国文学解釈と鑑賞」別冊|ref={{Harvid|藤井|小谷野2004}}}} - 年譜あり。
* {{Cite book|和書|authoreditor=[[渡部直己]]|coauthors=[[吉本謙次藤井淑禎]] 共著|title=綿矢りさ江戸川乱歩と大衆二十世紀|chapter=偉大なる通俗作家とくみての乱歩|year=2004|month=98|publisher=太田出版至文堂|series=Love & peace 12|isbn=4-87233-878-2「国文学解釈と鑑賞」別冊|ref={{Harvid|藤井|小谷野|渡部|吉本|2004}}}} - 年譜あり。
* {{Cite book|和書|editorauthor=[[今井清人渡部直己]]|coauthors=[[吉本謙次]] 共著|title=村上春樹スタディーズ2000-2004|chapter=『ノルウェイ綿矢りさ森』を徹底批判するしくみ|year=20052004|month=59|publisher=若草書房太田出版|series=Love & peace 12|isbn=4-94875587233-85878-02|ref={{Harvid|今井|小谷野|2005渡部|吉本|2004}}}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|editor=[[諏訪春雄]]・[[高田衛今井清人]] 編|title=復興する八犬伝村上春樹スタディーズ2000-2004|chapter=『南総里見八犬伝ノルウェイの森総論を徹底批判する|year=20082005|month=25|publisher=勉誠出版若草書房|isbn=978-4-585948755-0317585-80|ref={{Harvid|諏訪|高田今井|小谷野|20082005}}}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|editor=[[諏訪春雄]]・[[高田衛]] 編著|title=1Q84スタディーズ復興する八犬伝|chapter=村上春樹は私小説を書くべきである『南総里見八犬伝』総論|year=20092008|month=112|publisher=若草書房|series=Murakami Haruki study books 13勉誠出版|isbn=978-4-904271585-0403175-9|volume=book 18|ref={{Harvid|諏訪|高田|小谷野|2009h2008}}}}
* {{Cite book|和書|editortitle=洋泉社編集部 編1Q84スタディーズ|titlechapter=村上春樹はが愛した大河ドラマ|date=小説を書くべきである|year=20122009|month=2|accessdate=11|publisher=洋泉社若草書房|series=歴史新書Murakami Haruki study books 13|isbn=978-4-904271-04-9|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9volume=book 1|ref={{Harvid|小谷野|洋泉社編集部|20122009h}}|author=}} - 文献あり。
*{{Cite book|和書|editor=洋泉社編集部 編|title=私が愛した大河ドラマ|year=2012|month=2|publisher=洋泉社|series=歴史新書|isbn=978-4-86248-871-8|ref={{Harvid|小谷野|洋泉社編集部|2012}}}} - 文献あり。
*{{Cite book|和書|title=この名作がわからない|date=2019年9月27日|year=2019|publisher=二見書房|isbn=4576191047}}
 
=== 編著 ===
* {{Cite book|和書|author=[[田山花袋]]|editor=[[坪内祐三]]・小谷野敦 共編|title=田山花袋|year=2001|month=5|publisher=筑摩書房|series=明治の文学 第23巻|isbn=4-480-10163-2|ref={{Harvid|田山|坪内|小谷野|2001}}}} - 年表あり。
* {{Cite book|和書|author=[[A.ゴッダード]]|coauthors=[[L.M.パターソン]]|others=小谷野敦・[[由本陽子]] 編注|title=ことばとジェンダー|year=2002|month=1|publisher=英宝社|isbn=4-269-14039-9|ref={{Harvid|ゴッダード|パターソン|小谷野|由本|2002}}}}
* {{Cite book|和書|title=恋愛論アンソロジー――ソクラテスから井上章一まで|year=2003|month=10|publisher=中央公論新社|series=中公文庫|isbn=4-12-204277-1|ref={{Harvid|小谷野|2003}}}}
* {{Cite book|和書|editor=小谷野敦 編著|author=[[斎藤貴男]]|coauthors=[[栗原裕一郎]]|title=禁煙ファシズムと戦う|year=2005|month=10|publisher=ベストセラーズ|series=ベスト新書|isbn=4-584-12099-4|ref={{Harvid|小谷野|斎藤|栗原|2005}}}}
* {{Cite book|和書|title=童貞小説集|year=2007|month=9|publisher=筑摩書房|series=ちくま文庫|isbn=978-4-480-42366-5|ref={{Harvid|小谷野|2007e}}}}
* {{Cite book|和書|title=翻訳家列伝101|year=2009|month=12|publisher=新書館|isbn=978-4-403-25102-3|ref={{Harvid|小谷野|2009j}}}} - 文献あり。
* {{Cite book|和書|author=[[里見弴]]|title=木魂|毛小棒大――里見弴短篇選集|date=|year=2011|month=2|accessdate=|publisher=中央公論新社|series=中公文庫 さ55-1|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-12-205443-1|ref={{Harvid|里見|小谷野|2011}}}}
 
* {{Cite book|和書|title=谷崎潤一郎対談集 - 藝能編|year=2015|month=2|publisher=中央公論新社|isbn=978-4-120-04649-0|ref={{Harvid|小谷野|2014}}}}
* {{Cite book|和書|title=川端康成詳細年譜|year=2016|month=8|publisher=勉誠出版|isbn=978-4-585-29107-7|ref={{Harvid|小谷野|2015}}}}
 
=== 翻訳 ===
* {{Cite book|和書|author=[[{{仮リンク|ウィリアム・シュウェンク・ギルバート]]|en|W. S. Gilbert}}|title=喜歌劇ミカド――十九世紀英国人がみた日本|year=2002|month=8|publisher=中央公論新社|isbn=4-12-003302-3|ref={{Harvid|ギルバート|小谷野|2002}}}} - 原タイトル:''The Mikado''。
* {{Cite book|和書|author=[[ハロルド・ブルーム]]|others=[[アルヴィ宮本なほ子]] 共訳|title=影響の不安――詩の理論のために|year=2004|month=9|publisher=新曜社|isbn=4-7885-0920-2|ref={{Harvid|ブルーム|小谷野|アルヴィ宮本なほ子|2004}}}} - 原タイトル:''The anxiety of influence''。(2nd ed.)
* {{Cite book|和書|author={{仮リンク|エリザベス・テイラー (小説家)|en|Elizabeth Taylor (novelist)}}|title=エンジェル|year=2007|month=11|publisher=白水社|isbn=978-4-560-09201-9|ref={{Harvid|テイラー|小谷野|2007}}}} - 原タイトル:''Angel''。
* {{Cite book|和書|author7=|author8=|author9=|others=[[二葉亭四迷]] 原著|title=浮雲――もてない男訳|date=|year=2010|month=2|accessdate=|publisher=河出書房新社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=978-4-309-01963-5|ref={{Harvid|小谷野|二葉亭|2010}}|author=}} - 原タイトル:『[[浮雲 (二葉亭四迷の小説)|浮雲]]』。
*『妻に恋した男: 当世風の偏見』ラ=ショッセ 原著(電子書籍)2019年2月20日 - 原タイトル:Le Préjugé à la mode
 
=== 序文 ===
* {{Cite book|和書|author=[[高塚省吾]]|year=2009|month=2|title=高塚省吾画集 美しうるわし|publisher=[[芸術新聞社]]|isbn=978-4-87586-173-7|ref={{Harvid|高塚|小谷野|2009}}}} - 年譜あり。
 
=== 解説 ===
* {{Cite book|和書|editor=[[カタログハウス]] 編|year=2002|month=2|title=大正時代の身の上相談|series=ちくま文庫|publisher=筑摩書房|isbn=4-480-03710-1|ref={{Harvid|カタログハウス|2002}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[宮沢章夫]]|date=|year=2002|month=9|title=よくわからないねじ|series=新潮文庫|accessdate=|publisher=新潮社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-10-146323-9|ref={{Harvid|宮沢|2002}}}} - 『百年目の青空』 ([[マガジンハウス]]、平成11年刊) の改題。
* {{Cite book|和書|author=[[筒井康隆]]|year=2003|month=4|title=エンガッツィオ司令塔|series=文春文庫|publisher=文藝春秋|isbn=4-16-718112-6|ref={{Harvid|筒井|2003}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[夏石鈴子]]|year=2003|month=11|title=新解さんの読み方|series=[[角川文庫]]|publisher=角川書店|isbn=4-04-360402-5|ref={{Harvid|夏石|2003}}}} - [[リトル・モア]]1998年刊の増訂。
* {{Cite book|和書|author=[[大塚ひかり]]|date=|year=2005|month=7|title=ブス論|series=ちくま文庫|accessdate=|publisher=筑摩書房|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=4-480-42092-4|ref={{Harvid|大塚|2005}}}} - 『太古、ブスは女神だった』 (マガジンハウス、2001年刊) の改題。
 
=== 巻末対談 ===
* {{Cite book|和書|author=[[中村うさぎ]]|date=|year=2009|month=5|title=美人とは何か? 美意識過剰スパイラル|series=[[集英社文庫]] な47-1|accessdate=|publisher=集英社|isbn=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=978-4-08-746438-2|ref={{Harvid|中村|2009}}}} - [[文芸社]]2005年刊の文庫。
 
=== 漫画原作 ===
* {{Cite journal|和書|others=[[斉藤猛]] 漫画、[[小野登志郎]] 構成|year=2008|month=5|title=禁煙ファシズムと戦う|journal=[[実話漫画ナックルズ]]|issue=2008年5月号|publisher=[[ミリオン出版]]|ref={{Harvid|斉藤|小野|小谷野|2008}}}} - {{Harvnb|小谷野|斎藤|栗原|2005}}の漫画化。
 
== 映画出演 ==
* 『[[童貞放浪記]]』(2009年, [[カメオ出演]])
 
== 参考文献受賞歴 ==
* 2002年 『[[#CITEREF小谷野2002a|聖母のいない国]]』で[[サントリー学芸賞]](芸術・文学部門)
* [https://ci.nii.ac.jp/naid/40021216911 書評 小谷野敦著『川端康成伝 双面の人』]
 
* [https://ci.nii.ac.jp/naid/40006130908 書評 小谷野敦著『聖母のいない国--North American Novel』]
* [[2010年]] -「母子寮前」で[[芥川賞]]候補。
* [[2015年]] -「ヌエのいた家」で[[芥川賞]]候補<ref>[http://lite-ra.com/2015/01/post-813.html リテラニュース]2017年1月19日閲覧</ref>。
 
== 主な批判対象 ==
* [[赤松啓介]]
* [[朝倉喬司]]
* [[網野善彦]]
* [[フィリップ・アリエス]]『子供の誕生』
* [[井口時男]]
* [[上野千鶴子]]
* [[内田樹]]
* [[大塚英志]] - [[柳田國男]]に依拠して[[私小説]]を批判。その批判の内容について「大塚の文章は非論理的で、下手というより平然と論理をすり替える詭弁と、直感だけで書いていて、それを実証的に検証しようという姿勢がない」<ref>{{Harvnb|小谷野|2009f|pp=153f}}</ref>、「既に遠い昔、『少女民俗学』([[1989年]])を上梓した際に、大塚の議論の恣意性と杜撰さは[[浅羽通明]]から徹底批判されているが、その後も直っていない」<ref>{{Harvnb|小谷野|2009f|p=154}}</ref>、大塚の文章には「裏づけのない記述が多く、とてもまじめにつきあう気になれない」<ref name="ootsuka">{{Harvnb|小谷野|2009f|p=157}}</ref>、「こういう文章を書いて「文藝評論家」のように振舞えること自体が問題だろう」<ref name="ootsuka" />と小谷野から批判されている。
* [[大橋洋一 (文学研究者)|大橋洋一]] - 酒飲みであると同時に嫌煙家であるため「大橋洋一はアル中である。アル中が東大教授をやっていられるのも、日本が先進国ではないからだろう」「この禁煙ファシズムに気づかないでよく批評理論なんかやってられるな」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070726 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-26 ヨウスコウカワイルカ、あるいは禁煙ファシスト大橋洋一]</ref>と小谷野から揶揄されている。また、[[ネットカフェ難民]]への同情を表明した際には「ネットカフェにいるような「遠い」やつには同情できても、足元にいる職のない博士号取得者とかには無関心というのは、社会運動家みたいな連中によくあるパターンだ」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070731 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-31 大橋洋一の偽善]</ref>と小谷野から批判された。
* [[沖浦和光]]
* [[川村湊]] - 小谷野によると、小谷野と[[中込重明]]が[[2002年]]に[[法政大学]][[国際文化学部]][[教授]]の公募に申し込んで落とされたのは学部長の川村によって仕組まれた出来レースの「偽公募」のためであり、[[島田雅彦]]を採用することは予め決定されていたという。その後中込が[[脳腫瘍]]で早世したことを引き合いに出し、小谷野は「中込氏の怨霊になりかわって、私は法政大と島田と川村湊に嫌味を言い続けたい」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070519 猫を償うに猫をもってせよ 2007-05-19 田中貴子『鏡花と怪異』について]</ref>と述べた。さらに小谷野は川村を「極悪人」と呼んだこともあるが<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080930 猫を償うに猫をもってせよ 2008-09-30 川村湊の極悪人ぶり]</ref>、川村が『新刊展望』2008年11月号で[[西村賢太]]と小谷野を並べて「新私小説派」と呼んだ時には、掌を返したように「川村先生、極悪人なんて言ってすみません」と謝罪した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20081017 猫を償うに猫をもってせよ 2008-10-17 久しぶりに]</ref>。
* [[ドナルド・キーン]]
* [[黒古一夫]]
* [[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]
* [[小森陽一 (国文学者)|小森陽一]]
* [[佐伯順子]] - 「私は若いころから、佐伯順子さんに追いつくことを目標に生きてきた」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070115 猫を償うに猫をもってせよ 2007-01-15 教えてgoo症候群]</ref>と語るほどの傾倒ぶりを見せる一方で、佐伯の著書『遊女の文化史』における近世遊女観等に対しては『江戸幻想批判』の中で批判的見解を明らかにしている<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20061002 猫を償うに猫をもってせよ 2006-10-02 渋×知×事件顛末]</ref>。「佐伯順子さんは、『太陽』『宝島30』その他、四つくらい連載を持っていた。『日本の美学』などという商業学術誌にまで連載していた。そういう雑誌の発売日が来ると、短大の授業で疲れて帰ってきた夕刻、駅の最寄りの書店へ行って立ち読みし、憧れと嫉妬でぎりぎり脂汗を流した。のちに私は佐伯さんの仕事を厳しく批判することになるが、その根底にこの時の嫉妬と怨念があることは、否定できない」(『評論家入門』p.148)とも発言している。
* [[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]
* [[澁谷知美]]
* [[ハインリヒ・シュリーマン]]
* [[笙野頼子]]
* [[田中貴子 (国文学者)|田中貴子]]
* [[田中優子]]
* [[中島岳志]]
* [[中島義道]] - 自著『愛という試練』([[紀伊国屋書店]]、[[2003年]])の中で、留学先の[[ウィーン]]にて7人の女性から一度に求婚・求愛されたという若き日の体験を語ったため、小谷野から「中島義道が「生きるのが下手」(「私の嫌いな10の言葉」文庫版解説、[[宮崎哲弥]])なんて大嘘です。まあ中島先生、男にも女にももてもてで、よろしゅうございますねえ」と皮肉られた<ref>[http://web.archive.org/web/20161126001635/https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4314009276/ Amazon.co.jpにおける小谷野のレビュー(2004/1/27)]</ref>。その後、小谷野は『新潮45』2004年9月号の『罵事討風』欄で、「八月号『明狂死酔』で中島は、世間の人は本当のことを言わない、と言い、あたかも自分は本当のことを言っているかのように言っているかのように喧伝している。だが、中島の言っていることなどというのは、せいぜい苦笑を誘う程度のものでしかない。しかも、[[福田和也]]さんのゼミで話をした、と書いている。福田に対して、[[右翼]]だか[[左翼]]だか分からない二股膏薬のインチキ野郎、などとは決して言わないのだ。『大衆評論家』の[[加藤諦三]]は批判しても、現在論壇の覇権の握っている人には決して攻撃を加えない。[[イラク]]人質三人組に関しても、[[朝日新聞]]的な意見を言っているだけである。こんな姑息な処世術を駆使しながら、『ぐれる』なんて、ちゃんちゃらおかしい」などと続けて中島をこき下ろした。中島はこの攻撃に対し、同誌2005年1月号にて「私の粗製濫造ぶりにカチンと来るようだが、私は彼がゴミのような本を山のように書いても気にならない」、「小谷野さんには感謝しなければならないことが一つある。先ほども話した『人間学アカデミー』の講師として、私の前に呼ばれたのは小谷野さんであった。毎回、講義の後で飲み会を開くが、まあ小谷野さんの評判の悪いこと悪いこと。みんなから矢継ぎ早に、『中島さんのほうがずうっとまともだ』と言われ、全然嬉しくなかったが、彼があまりにも評判が悪かったから、私の評判が相対的に高まったわけで、彼には心から感謝しなければならない。小谷野さんありがとう!」、などと揶揄した。小谷野はこれを受けて、同誌同年2月号に『中島義道に答える』という文章内で、「[[イマヌエル・カント|カント]]研究者中島は、カントからは程遠い卑怯者の不道徳漢であると言うほかはない」と反撃した。その後、中島は『私の嫌いな10の人びと』(新潮社、2006年)や『哲学者というならず者がいる』(新潮社、2007年)の中で、小谷野を皮肉る論述を行っている。一方、小谷野も「中島は『喧嘩したあとで仲直りするのがうまい』と自慢している。こないだ私に『後悔と自責の哲学』を送ってきたが、開かずに[[ブックオフコーポレーション|ブックオフ]]行きである。なのにその前の、私の悪口が書いてある『私の嫌いな10の人びと』は送ってこなかった」、と公式ブログの記事内で中島を揶揄している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060522 猫を償うに猫をもってせよ 2006-05-22 自慢する中島義道]</ref>。
* [[中原昌也]]
* [[野田聖子]]
* [[野間易通]] - [[2006年]]から[[2009年]]頃、[[嫌煙権]]をめぐって小谷野が藤本祥和と論争していた当時は小谷野と共闘関係にあったが、[[2011年]]以降、小谷野の論敵の松沢呉一と野間の親交がきっかけで疎遠になる<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20150127 猫を償うに猫をもってせよ 2015-01-27]</ref>。その後、野間が[[在特会]]の批判を始めると、小谷野は野間の主張を「「在日特権」という語について、「在特会が許せないとしている特権はない」というのを「特権はない」にすりかえて語られているため、野間の周辺では「在日特権はある」と言うと、それがたちまち、在特会の肩をもつ、ということにされてしまう」と論難した<ref>[http://www.amazon.co.jp/review/REFYIK8FASRDL/ref=cm_cr_rdp_perm この本の(レ)トリック, 2015/1/28]</ref>。
* [[原武史]]
* [[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]
* [[久木尚志]] - 小谷野の高校時代の同級生。小谷野によると「いじめグループの親玉」<ref name="hisaki">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070604 猫を償うに猫をもってせよ 2007-06-04 憎まれっ子世にはばかる]</ref>。「本気で死んで欲しいと思っている」とも小谷野は発言している<ref name="hisaki"/>。小谷野はブログでその時のいじめのことを久木の実名で公表し<ref>{{Cite web|title=高校時代のいじめ|url=http://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/20061015|website=jun-jun1965の日記|accessdate=2019-10-28|language=ja|last=jun-jun1965|publisher=}}</ref>、数回ブログで久木のこと取り上げた<ref name="hisaki" /><ref>{{Cite web|title=久木尚志の父|url=http://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/20070610|website=jun-jun1965の日記|accessdate=2019-10-28|language=ja|last=jun-jun1965|publisher=}}</ref>。すると久木からはてなダイアリーを経由して、名誉毀損のため削除せよという連絡が小谷野のもとに来たが、小谷野は名誉毀損が成り立たないことと追及をやめないことを久木にメールで連絡した<ref>{{Cite web|title=久木尚志、動く|url=http://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/20070614|website=jun-jun1965の日記|accessdate=2019-10-28|language=ja|last=jun-jun1965|publisher=}}</ref>。また、2008年頃に久木は小谷野敦に謝罪を申し入れたが、小谷野は「馬鹿野郎。おまえなんか死ね」と謝罪を拒絶し、生きている限りいかに悪人か言い続けるとされ、小谷野にとって「悪」の代名詞とされた<ref>{{Cite book|和書|author=小谷野敦|title=宗教に関心がなければいけないのか|publisher=筑摩書房|page=142|date=2016-02-08|isbn=978-4-480-06866-8|year=}}</ref>。小谷野の自伝的小説「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」には「高木貴志」の名で登場。
* [[広末保]]
* [[ジークムント・フロイト]]
* [[松浦寿輝]] - 小谷野から「詩でも評論でも小説でもたくさん賞を貰っているが、私はひとつとして面白いと思ったことがない」「『折口信夫論』なんか何を言っているのかさっぱり分からない」と批判を受けている<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060807 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-07 「悲望」批評総括]</ref>。小谷野は松浦を「中身なき文学機械」<ref name="juteru">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071009 猫を償うに猫をもってせよ 2007-10-09 小野俊太郎の謎]</ref>「何か根本的に人間としておかしい人」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060811 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-11 松浦寿輝を追撃]</ref>と呼び、「[[古井由吉]]、[[ロラン・バルト]]、[[谷崎潤一郎]]、[[斎藤惇夫]]、何でも取り込んでよくできた作品に仕上げる。だがジュテル独自のものは、何もない」、ただし「政治力は凄い」と評している<ref name="juteru"/>。
* [[松沢呉一]] -「売春合法化」を唱える松沢を、かつて「売春反対論」を唱えていた際に盛んに攻撃していた。
* {{仮リンク|ジョン・マネー|en|John Money|preserve=1}} - [[ジェンダー]]概念を証明するために、ペニスを失った男児を女の子として育てた実験について:『ブレンダと呼ばれた少年』によりその失敗が明らかになった。
* [[三浦俊彦 (哲学者)|三浦俊彦]] - 小谷野の大学院の先輩。[[2001年]]頃、売買春の是非を巡って小谷野と争い、それ以後絶交に至った。
* [[宮台真司]] - [[天皇制]]に関する言説と[[フェミニズム]]に関する言説の間に整合性がないことを小谷野から「天皇のことになると平然と差別主義者になるのに、ことフェミニズムになると異常な平等主義者になる」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071030 2007-10-30 愛国戦隊大日本]</ref>と批判され、「天皇の正しい利用を唱えながら、私を「保守」呼ばわりして議論をしようとしない」「卑怯者」と糾弾されている<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070222 2007-02-22 「学者のウソ」]</ref>。小谷野はまた「東大文学部図書室に、宮台真司が返却していない図書一覧」をブログで暴露し、「なんだ、洋書をたくさん借りこんでいるのかと思ったらこの程度か」「借りて返さないのは「[[窃盗]]」だよね」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070712 猫を償うに猫をもってせよ 2007-07-12 宮台真司の不法行為]</ref>と揶揄すると共に、他方では「二十歳年下の東大名誉教授の娘と結婚して子供まで作ったという、人生上の幸福(少なくとも他からはそう見える)において、私は宮台に負けた」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070101 猫を償うに猫をもってせよ 2007-01-01 私は宮台真司に負けた]</ref>と宮台への[[劣等感]]を吐露している。ただし、2007年年頭の所感であり、同年小谷野がする超スピード結婚以前の文章であることに留意。現在でもそう考えているかは定かでない。
* [[ヨコタ村上孝之]] - 大阪大学言語文化研究科准教授(ロシア語)。比較文学者出身で『色男の研究』の著者。小谷野にとっては大学院の先輩であり、大阪大学時代の同僚でもあるが、その後犬猿の仲となった。小谷野は村上を「軽薄で、助平で、女にもてるという、徳川時代の遊冶郎そのもののような男」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060809 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-09 ふまじめな大学教師の肖像]</ref>と評している他、「学内セクハラをした」<ref name="murakami">[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080205 猫を償うに猫をもってせよ 2008-02-05 怒り炸裂]</ref>、「比較文学会をやめない理由にしたって、学会で出世したいからだ」<ref name="murakami"/>、「[[飲酒運転]]の前歴がある」<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080502 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-02 無題]</ref>、[[平川祐弘]]に「あからさまなおべっかを使」っている<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080522 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-22 恐るべきレベッカ]</ref>、等の批判をおこなっている。また、ヨコタ村上によると、小谷野は「ぼくが比較文学という方法に対する否定的な考えを持っているという理由で、日本比較文学会から除名しようという工作を熱心にした」という<ref>[http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~murakami/koyano.htm 品位ある批評を ヨコタ村上孝之]</ref>。
* [[渡辺秀樹 (英語学)|渡辺秀樹]] - 大阪大学言語文化研究科教授(専門は[[中世英語]])。小谷野の阪大時代の同僚。神経症で阪大辞職に追い込まれたのは渡辺から受けた恫喝のためであると小谷野は主張し<ref name="handai"/>、ブログでは渡辺の[[パワハラ]]行為に繰り返し言及している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20061017 猫を償うに猫をもってせよ 2006-10-17 渡辺秀樹余話]</ref><ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20081128 猫を償うに猫をもってせよ 2008-11-28 渡辺秀樹の悪業(再掲)]</ref>。小谷野は渡辺から受けた被害を阪大総長に書面で報告すると共に、阪大言語文化研究科パワハラ対策委員会に相談したこともあるが、当の渡辺がこの委員会の委員であることも災いし、相談しても埒が明かなかったという。小説「童貞放浪記」には山口政樹の名で登場。
 
== 関連項目 ==<!--項目の50音順-->
*[[エンストローム論文]] - 小谷野の「禁煙ファシズム」批判論の根拠の一つとなっている。ただし、この論文の信憑性については疑義も提出されている。
*[[新曜社]] - 『[[#CITEREF小谷野2008a|リアリズムの擁護]]』など小谷野の著書を7冊(2014年3月現在)刊行している出版社。小谷野は新曜社を「いわば私の『本丸』」と呼び、「よそでは出してくれないような、しかし出したい本を出してくれる。ただあまり部数が出ないのと高いのとで、若者などはあまり読まないらしく、私に関する誤解とか知識不足とかは、しばしば、新曜社の本を読まないところから出来する」と評している<ref>[http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20080423 猫を償うに猫をもってせよ 2008-04-23 呉智英対木越治]</ref>。『禁煙ファシズムと戦う』の共著者の一人である栗原裕一郎は、小谷野の紹介により、この出版社から『盗作の文学史』を刊行した。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2|colwidth=30em}}
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
* {{Anchor|猫を償うに猫をもってせよ (公式サイト)|}}[http://akoyano.la.coocan.jp/ 小谷野敦 公式ウェブサイト「猫を償うに猫をもってせよ](公式サイト)
* {{Anchor|猫を償うに猫をもってせよ (ブログ)|}}[httpshttp://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965.hatenablog.com/ jun-jun1965の日記(旧:猫を償うに猫をもってせよ](はてなダイアリーブログ
* [https://ameblo.jp/tonton1962 小谷野敦のブログ](amebaブログ)
* {{twitter|tonton1965}}
* {{facebook|atsushi.koyano.9}}
* [http://ameblo.jp/tonton1962/ 小谷野敦のブログ](未発表小説を発表)
{{デフォルトソート:こやの あつし}}
* [http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A1M7V5UX5IFYH2/ Amazon.co.jp 小谷野敦さんが書き込んだレビュー]
* [http://honto.jp/pd-review_819200021593.html honto - 小谷野敦さんのレビュー一覧]
 
{{Normdaten}}
 
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[[Category:日本の小説家]]
[[Category:日本の文学研究者]]