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{{Infobox military conflict
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| conflict = ツェルベルス作戦<br>(チャンネルダッシュ)
'''ツェルベルス作戦'''<ref>福田誠、光栄出版部 編集『第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~45』、光栄、1998年、ISBN 4-87719-606-4、222ページ</ref><ref>木俣滋郎『欧州海戦記2 ヨーロッパの海を奔騰させた23隻の航跡』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2271-5、266ページ</ref>、またはケルベルス作戦<ref>呪われた海、302ページ</ref>、ケルベロス作戦([[ドイツ語]]:'''{{lang|de|Unternehmen Cerberus}}''')とは、[[第二次世界大戦]]中の[[1942年]]2月に[[フランス]]の[[ブレスト_(フランス)|ブレスト]]港にいた[[ドイツ]]の[[巡洋戦艦]][[シャルンホルスト_(巡洋戦艦)|シャルンホルスト]]、[[グナイゼナウ_(巡洋戦艦)|グナイゼナウ]]、[[重巡洋艦]][[プリンツ・オイゲン_(重巡洋艦)|プリンツ・オイゲン]]などが、フランスの基地にいる[[ドイツ空軍]]の航空支援を受け[[ドーバー海峡]]を通ってドイツ本国への帰還に成功した作戦を指す。ツェルベルスとはドイツ語で[[ギリシア神話|ギリシャ神話]]における地獄の番犬[[ケルベロス]]を意味する。イギリス海峡 ({{lang|en|English Channel}}) をダッシュしたことから[[英語]]で'''チャンネルダッシュ''' ('''{{lang|en|Channel Dash}}''') とも呼ばれる。
| partof = [[第二次世界大戦]]における[[大西洋の戦い (第二次世界大戦)|大西洋の戦い]]
| image = File:Operation Cerberus-fr.svg
| image_size = 300px
| caption = ツェルベルス作戦の推移(フランス語表記)
| date = 1942年2月11–13日
| place = [[イギリス海峡]]
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| result = ドイツ軍の勝利(作戦目的の達成)
| combatant1 = {{flag|Nazi Germany}}
| combatant2 = {{UK}}
| commander1 = {{flagicon|Nazi Germany|naval}} [[オットー・チリアクス]]
| commander2 = {{flagicon|UK|naval}} [[バートラム・ラムゼー]]
| strength1 = {{plainlist|
* 戦艦 2
* 重巡洋艦 1
* 駆逐艦 6
* 水雷艇 14
* [[Sボート]] 26
* 爆撃機 32
* 戦闘機 252 }}
| strength2 = {{plainlist|
* 駆逐艦 6
* 護衛駆逐艦 3
* 高速魚雷艇 32
* 航空機 約450 }}
| casualties1 = {{plainlist|
* 戦艦 損傷2
* 駆逐艦 損傷1
* 駆逐艦 小破1
* 水雷艇2
* 航空機 喪失22
* 戦死(海上兵員)13名
* 負傷 2名
* 戦死(航空兵員)23名 }}
| casualties2 = {{plainlist|
* 駆逐艦 大破1
* 航空機 喪失42
* 戦死又は行方不明40名
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[[File:Operation Cerberus-fr.svg|thumb|300px|ツェルベルス作戦の航跡図]]
'''ツェルベルス作戦'''<ref>{{Citation|和書|last=福田|first=|author-link=福田誠 (小説家)|editor=[[コーエー|光栄]]出版部 編集『|title=第二次大戦海戦事典 W.W.II SEA BATTLE FILE 1939~451939&#x301c;45|publisher=光栄|series=War history books|year=1998年、ISBN |isbn=4-87719-606-4|page=222ページ}}</ref><ref>{{Citation|和書|last=木俣|first=滋郎|author-link=木俣滋郎|title=欧州海戦記2 ヨーロッパの海を奔騰させた23隻の航跡|publisher=[[光人社]]|series=光人社NF文庫|year=2000年、ISBN |isbn=4-7698-2271-5|page=266ページ}}</ref>、またはケルベルス作戦<ref>{{Citation|和書|author=カーユス・ベッカー|title=呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録|translator=[[松谷健二]]|publisher=[[中央公論新社]]|year=2001|isbn=4-12-003135-7|page=302ページ}}</ref>、ケルベロス作戦([[ドイツ語]]:'''{{lang|de|Unternehmen Cerberus}}''')とは、[[第二次世界大戦]]中の[[1942年]]2月に[[フランス]]の[[ブレスト_(フランス)|ブレスト]]港にいた[[ドイツ]]の[[巡洋戦艦]][[シャルンホルスト_(巡洋戦艦)|シャルンホルスト]]、[[グナイゼナウ_(巡洋戦艦)|グナイゼナウ]]、[[重巡洋艦]][[プリンツ・オイゲン_(重巡洋艦)|プリンツ・オイゲン]]などが、フランスの基地にいる[[ドイツ空軍]]の航空支援を受け[[ドーバー海峡]]を通ってドイツ本国への帰還に成功した作戦を指す。ツェルベルスとはドイツ語で[[ギリシア神話|ギリシャ神話]]における地獄の番犬[[ケルベロス]]を意味する。イギリス海峡 ({{lang|en|English Channel}}) をダッシュしたことから[[英語]]で'''チャンネルダッシュ''' ('''{{lang|en|Channel Dash}}''') とも呼ばれる。
 
==背景==
[[File:Halifaxes over Brest Dec 1941 IWM C 4109.jpg|thumb|right|240px|ブレスト軍港でイギリス空軍の空襲を受ける「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」)([[1941年]])]]
[[File:Gneisenau e kal sec'h Brest 06 04 1941.jpg|thumb|right|240px|ブレスト軍港で入渠中の「グナイゼナウ」)(1941年)]]
大西洋での通商破壊作戦([[ベルリン作戦]])を終えた「グナイゼナウ」と「シャルンホルスト」は1941年3月後半に[[ブレスト (フランス)|ブレスト]]に到着した。イギリス軍はすぐに攻撃を開始し、4月6日には「グナイゼナウ」が魚雷を受けた。5月、戦艦「[[ビスマルク_(戦艦)|ビスマルク]]」と重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」による通商破壊作戦([[ライン演習作戦]])が実行されたが「ビスマルク」は撃沈され、「プリンツ・オイゲン」はブレストに入港した。ヒトラーは水上艦による通商破壊作戦に否定的となり、また通商破壊艦のための補給船が何隻も沈められた。7月24日には空襲で「シャルンホルスト」が被弾し、「プリンツ・オイゲン」にも7月1日に爆弾が命中した。11月13日、ヒトラーは艦隊がドーバー海峡を通って帰還できるかとレーダーにたずねた。12月には艦隊の帰還についてレーダーと軍令部長フリッケに意見が聞きたいとのヒトラーの希望が伝えられたが、これに対する彼らの意見は海峡突破は不可能であるというものであった。それに対してヒトラーは艦隊がノルウェーの防衛に必要であることと艦隊の海峡突破を主張した。そして、1942年1月12日にレーダーやフリッケ、国防軍総司令部総長カイテル、空軍総参謀長ハンス・イェショネクなどの出席した会談で海峡突破は決定された。
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その後、この3艦はブレストがキールに変わっただけで相変わらず空襲を受け続け、まずグナイゼナウが1942年[[2月26日]]に空襲を受けて大破、結局廃艦となった。シャルンホルストはキールからさらにノルウェーに避退したが、1943年[[12月26日]]の[[北岬沖海戦]]で撃沈された。プリンツ・オイゲンは同じくノルウェーに避退したが[[潜水艦]]に[[魚雷|雷撃]]されて中破。本国回航と修理に成功し以後バルト海にて対地支援に従事する。終戦を迎え、連合国軍に引き渡された後に[[クロスロード作戦|ビキニ原爆実験]]の標的艦となり、実験後曳航中に沈没した。
 
== 勝敗の要因 ==
イギリス側にはドイツ艦隊は夜間に海峡を通過するという[[先入観]]があり、夜襲を前提とした作成計画しか用意していなかった。一方、ドイツ側は航空戦力の援護を得られることやブレスト出港を夜間に設定できることなどのメリットを優先して白昼の海峡通過を選択したため、イギリス軍は裏をかかれたかたちとなった。その結果、イギリス軍は適切な対応ができずに情報伝達の遅れや戦力の逐次投入という悪手を打ち、ドイツ艦隊の海峡突破を許した<ref>{{sfn|井上孝司『現代ミリタリー・インテリジェンス入門―軍事情報の集め方・読み方・使い方』潮書房光人社、|2014年、|p=97頁。</ref>}}
 
また、作戦の実施にあたり、ドイツ海軍は[[Uボート]]3隻を[[通商破壊]]作戦から引き抜いて[[アイルランド]]沖に派遣し、気象データの収集にあたらせていた<ref>{{sfn|井上孝司『現代ミリタリー・インテリジェンス入門―軍事情報の集め方・読み方・使い方』潮書房光人社、|2014年、|p=90頁。</ref>}}
 
また、作戦の実施にあたり、ドイツ海軍は[[Uボート]]3隻を[[通商破壊]]作戦から引き抜いて[[アイルランド]]沖に派遣し、気象データの収集にあたらせていた<ref>井上孝司『現代ミリタリー・インテリジェンス入門―軍事情報の集め方・読み方・使い方』潮書房光人社、2014年、90頁。</ref>。
==脚注==
{{Reflist}}
 
==参考文献==
* {{Citation|和書|last=井上|first=孝司|title=現代ミリタリー・インテリジェンス入門―軍事情報の集め方・読み方・使い方|publisher=[[潮書房光人社]]|year=2014|isbn=978-4-7698-1567-9}}
*カーユス・ベッカー、『呪われた海 ドイツ海軍戦闘記録』、[[松谷健二]] 訳、中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003135-7
 
==文献 ==
* John Deane Potter (Non-fictions): 『高速戦艦脱出せよ』、[[内藤 一郎]] 訳、[[早川書房]]〈[[ハヤカワ文庫]]〉、1990年、ISBN {{ISBN2|4-15-050002-9}}。
 
==脚注==
<references />
 
{{Campaignbox-bottom|大西洋の戦い}}