「遠藤康子」の版間の差分

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遠藤は同日の午後5時40分頃、ヒラタオフィスの担当マネージャーと共に母親の経営する喫茶店へ向かい、母親を交えた3人で歌手デビューに向けての打ち合わせが行われた。7時10分頃に話し合いが終わり、20分ほど母親と会話したあと「ママごめんね」という言葉を残し店を出る。その後、喫茶店の隣のビルに進入し、屋上にイヤリングを残して身を投げた<ref name="example">『[[女性セブン]]』 1986年4月24日号、56頁</ref>。8時34分、路上で倒れているところを通行人に発見され、[[墨田区]]内の病院に搬送されるが午後9時30分過ぎに死亡が確認された。享年17。
 
動機は事務所に恋人との交際続行を反対されたためと言われていたが<ref name="nichigai" /><ref>(『[[週刊平凡]]』4月25日号「遠藤康子さんの恋人が涙の告白」{{要『[[週刊平凡]]』4月25日号、105ページ番号|date=2017年12月}})</ref>、母親やヒラタオフィス関係者は否定している。
母親によると死の1ヶ月ほど前から様子がおかしく、それまでは[[遠藤周作]]のエッセイ『愛と人生をめぐる断想』などを読んでいたのが、突然『[[野獣死すべし]]』、『戦士の挽歌』、『過去(リメンバー)』などのハードボイルド小説を読み始め、遠藤自身も「死」という言葉を頻繁に口にしていたことから、休みもなく多忙な仕事やプレッシャーで疲れてしまったのではないかと語っている。
また、遠藤は発売予定だったデビュー曲のB面曲、『テレフォン』の歌詞を非常に気に入っていたという。