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== 来歴 ==
=== 現役時代 ===
京東高校から[[農業協同組合 (韓国)|韓国農業銀行]]を経に進む。[[捕手]]とし{{by|1962年}}1月の第4回[[1962年アジア野球選手権大会|アジア野球選手権大会]]韓国代表に選出された。同年に[[北海道日本ハムファイターズ|東映フライヤーズ]]に[[捕手]]として入団。当時の野球協約では、入団時に外国籍でも出生時に[[日本国籍]]を持っていた選手を外国人扱いとしない規定だった事から、日本人扱いとなる。日本で野球の勉強をするというつもりだったが、入団時の触れ込みは『韓国球界が生んだ最強捕手』。韓国側では外国在勤者として[[徴兵制度|兵役]]を免除した(のちに方針変更、詳細は後述)。
 
{{by|1963年}}に初出場。翌{{by|1964年}}シーズン後半には[[安藤順三]]に代わり正捕手の座を獲得。{{by|1965年}}には14本塁打を記録、三振の少ないシュアな打撃で活躍する。同年9月には[[種茂雅之]]に定位置を譲り外野手に転向、評価の高い打撃を活かしクリーンアップとして起用された。{{by|1967年}}には初の[[規定打席]](11位、打率.280)に到達、{{by|1972年}}には打率.315(3位)、19本塁打の好記録を残す。