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2006年12月、スポーツ用品ブランド「[[リーボック]]」とのパートナー契約を締結<ref>{{Cite web|url=http://jp.reebok.co.jp/press_release/2006/200611_01.pdf|title=リーボック、格闘家山本“KID”徳郁とパートナー契約締結|publisher=[[リーボック]]プレスリリース|date=2006-11-27|accessdate=2006-11-27|deadlinkdate=2018-09-19}}</ref>。
 
2006年12月31日、[[K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!]]で総合格闘技のリングに一時復帰。[[アテネオリンピック (2004年)|アテネオリンピック]]レスリング・グレコローマン55kg級金メダリストの[[イストバン・マヨロシュ]]と対戦し、スタンドパンチ連打首相撲からの膝蹴りでKO勝ち。
 
[[2007年]]1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦でアテネオリンピック銅メダルの[[井上謙二]](自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本に対しての発言があった。