「焼き芋」の版間の差分

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=== 現代 ===
[[File:Tokyo 2017 (37711494615).jpg|thumb|right|250px||[[軽トラック]]による石焼き芋販売]]
終戦後の[[1950年]]にサツマイモが統制の対象外となると、伝統的なかまどや壺を使わず[[リヤカー]]に鉄製の箱型釜と石を載せて[[移動販売]]する[[石焼き芋]]が[[向島 (墨田区)|向島]]で登場した<ref name="2005_inoue_11"/>。重量があるため特注のリヤカーが使われ、大磯三分と呼ばれる建材の小石を用いた同じ業態が下町を中心に急速に広まった<ref name="2005_inoue_11"/>。[[1960年代]]半ばの最盛期には、[[東京都]]の販売員は冬季の[[出稼ぎ]]に来た人々を中心に1,000人以上に達している<ref name="2005_inoue_11"/>。一方、第二次大戦後の焼き芋は比較的高価な食べ物となっている<ref name="2005_inoue_5"/>。また、[[軽トラック]]に石焼き釜を載せる形式が主流になっていった<ref name="alic_2015-11">{{Cite web |date= 2015-11|url= https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/wadai/1511/wadai.html|title= 焼きいもブームの歴史とその背景|publisher= 農畜産業振興機構|accessdate=2020-05-29}}</ref>。その後、[[1970年]]の[[日本万国博覧会|大阪万博]]を機に[[ファストフード]]のチェーン店が増加した影響などを受け、石焼き芋屋は減少していった<ref name="2005_inoue_11"/>。