「レジサイド (チャールズ1世)」の版間の差分

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=== 王政復古 ===
[[1658年]]にオリバー・クロムウェルが死去したことで、政治不安が再燃した。かつてイングランド内戦でチャールズ1世の捕縛まで付き従いながら空位時代中はクロムウェルに協力していた将軍[[ジョージ・マンク (初代アルベマール公)|ジョージ・マンク]]が軍隊を率いてスコットランドから南下、王党派と連携して政権を樹立し、1660年初頭に選挙を実施し[[仮議会 (1660年)|仮議会]]を復活させた。また彼は亡命中のチャールズ王太子(2世)と連絡を取り、[[ブレダ宣言]]を出させた。これはチャールズ2世が和解と「犯罪者」への許しをとなえ、宗教や政治において穏健な立場をとると宣言するものだった。これを受けてイングランド議会はチャールズ2世に帰国を要請し、[[イングランド王政復古|王政復古]]を受け入れた{{Sfn|Parker|2001|p=27}}。チャールズ2世は1660年5月25日に[[ドーバー (イギリス)|ドーヴァー]]に上陸し、30歳の誕生日にあたる[[5月29日]]にロンドンに入った{{Sfn|Fraser|2002|p=235}}。
 
== レジサイドの扱い ==