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上記のように「適切な角度で行えば通常の爆撃より速度が速い」との分析は実証されているものの、第二次世界大戦中のアメリカ軍の駆逐艦の撃沈破艦の約半数が特攻による損害であったという事実でも解るとおり、その攻撃有効性の高さも相まって、多種多様な角度で特攻機が命中しており、平均的な命中速度は通常の爆撃よりは遅かった<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=9}}</ref>。従って、特攻による艦内部の破壊は平均すると通常の航空攻撃(魚雷攻撃を含む)よりも少なく、駆逐艦においては、通常の航空攻撃(魚雷攻撃を含む)での被害艦の沈没比率は28.9%であったが、特攻による沈没率は13.7%と約半分であった<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=9}}</ref>。しかし、特攻による損害は被害艦を沈没まで至らせなくても重篤になることが多く、特に航空燃料による激しい火災は、特攻機の激突や爆弾に加えて艦の損傷を拡大させ、多くの人員に重篤な火傷を負わせて戦闘不能にさせた。また、適切な消火に失敗すると艦を再起不能の損傷に至らせている<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=286}}</ref>。また、第二次世界大戦末期のアメリカ軍は、それまでの経験により[[ダメージコントロール]]が格段に進歩しており、特攻による撃沈率を低減させるに成功している。例えば、硫黄島の戦いで海軍の第二御楯隊が大破させた正規空母[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]]の損傷具合は、第二次大戦初期に珊瑚海海戦で沈没した[[レキシントン (CV-2)|レキシントン]]より遙かに深刻であったと、両艦のいずれの被爆時にも乗艦していたパイロットのV・F・マッコルマック少佐が証言している<ref>{{Harvnb|冨永|安延|1972|p=104}}</ref>。また、12月30日に陸軍特攻進襲隊の特攻で大破した{{仮リンク|ガンズヴォート|en|USS Gansevoort}}は<ref>{{Harvnb|原勝洋|2006|p=304}}</ref>船体の損傷が非常に重篤で、前線の応急修理要員が経験したことのないレベルの損傷であったが、適切なダメージコントロールで沈没を逃れ、アメリカ本土に修理のため自力航行できるまでに応急修理をしている<ref>{{Harvnb|Destroyer Report|1945|p=11}}</ref>。
 
特攻への総合的な評価として、米国戦略爆撃調査団の報告書『UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT (Pacific War) 』では「日本軍パイロットがまだ持っていた唯一の長所は、彼等パイロットの確実な死を喜んでおこなう決意であった。 このような状況下で、かれらはカミカゼ戦術を開発させた。 飛行機を艦船まで真っ直ぐ飛ばすことができるパイロットは、敵戦闘機と対空砲火のあるスクリーンを通過したならば、目標に当る為のわずかな技能があるだけでよかった。もし十分な数の日本軍機が同時に攻撃したなら、突入を完全に阻止することは不可能であっただろう。 」と述べられている<ref>{{Cite web |author=Chuck Anesi |url=http://www.anesi.com/ussbs01.htm |title=United States Strategic Bombing Survey: Summary Report (Pacific War) |language=英語 |accessdate=2019-10-15}}</ref>。また、米国戦略爆撃調査団は太平洋戦争中の日本軍の航空戦力全般を分析して「日本人によって開発された唯一の最も効果的な航空兵器は特攻機で、戦争末期の数ヶ月間に、日本陸軍と日本海軍の航空隊が連合軍艦船にたいして広範囲に使用した」と評価している<ref>{{Harvnb|米国戦略爆撃調査団|1996|p=151}}</ref>。また、近年の[[アメリカ空軍]]の研究においても、特攻機は現在の[[対艦ミサイル]]に匹敵する誘導兵器と見なされて、当時の連合軍艦船の最悪の脅威であったと指摘されている。そして特攻機は比較的少数でありながら、連合軍の作戦に重大な変更を強いて、実際の戦力以上に戦況に影響を与える潜在能力を有していたとも評価している<ref>{{Cite web |url=https://archive.li/v4SuI#selection-259.0-261.34 |title=PRECISION WEAPONS, POWER PROJECTION, AND THE REVOLUTION IN MILITARY AFFAIRS |publisher=The Air Force History Support Office|language=英語 |accessdate=2019-10-19}}</ref>。
THE REVOLUTION IN MILITARY AFFAIRS |publisher=The Air Force History Support Office|language=英語 |accessdate=2019-10-19}}</ref>。
 
しかし、連合軍は大きな損害を被りながらも、レイテ島、ミンダナオ島、ルソン島と進撃を続けたので、特攻は結局のところは遅滞戦術のひとつに過ぎなかった<ref>{{Harvnb|米国戦略爆撃調査団|1996|p=171}}</ref>。それでも、日本軍からは特攻の戦果の確認が困難だったために、戦果報告は実際に与えた損害より過大となり、その過大報告がそのまま大本営発表となって国民に知らされた。[[日本放送協会|NHK]]や新聞各社は、連日新聞紙上やラジオ放送などで、大本営発表の華々しい戦果報道や特攻隊員の遺言の録音放送など一大特攻キャンペーンを繰り広げた<ref>{{Harvnb|大島隆之|2016|p=|loc=電子版, 位置No.917}}</ref>。国民はその過大戦果に熱狂し、新聞・雑誌は売り上げを伸ばすために争うように特攻の「大戦果」や「美談」を取り上げ続けた<ref>{{Harvnb|大島隆之|2016|p=|loc=電子版, 位置No.777}}</ref>。やがてこの過大戦果報道は特攻を万能絶対の威力を持つかのように過信させ、特攻隊を出し続ければ勝利を得られるかのような考え違いをも起こさせて<ref>{{Harvnb|高木俊朗①|2018|p=532}}</ref>、軍の中で特攻に反対していた人々の意見を封殺するようになっていった<ref>{{Harvnb|大島隆之|2016|p=|loc=電子版, 位置No.1058}}</ref>。