「グナエウス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前169年の執政官)」の版間の差分

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== 経歴 ==
カエピオが最初に資料に登場するのは、[[紀元前179年]]に[[アエディリス|アエディリス・クルリス]](上級按察官)を務めたときである<ref>Servilius 45, 1923 , s. 1780.</ref><ref>Broughton, 1951 , p. 392.</ref>。同僚はアッピウス・クラウディウス・ケントであったが、不吉な前兆のためルディの競技会を繰り返すことを余儀なくされた<ref>リウィウス『ローマ建国史』、[[:en:s:From_the_Founding_of_the_City/Book_40#59|XL, 59, 6.]]</ref>。[[紀元前174年]]、カエピオは[[プラエトル]](法務官)に就任し、[[ヒスパニア・ウルテリオル]]属州の総督となった。この年は彼の父が死去した年でもあった<ref>Broughton, 1951 , p. 404.</ref>。カエピオは翌年も前法務官としてヒスパニア・ウルテリオルに滞在した<ref>リウィウス『ローマ建国史』、[[:en:s:From_the_Founding_of_the_City/Book_41#21|XLI, 21, 3.]]</ref>。
 
[[紀元前172年]]、カエピオは[[アンティゴノス朝|マケドニア]]王[[ペルセウス (マケドニア王)|ペルセウス]]に派遣された使節団の一員となった(他の使節は按察官時代の同僚のケントとティトゥス・アンニウス・ルスクスであった)。使節団はペルセウスの条約違反を非難し、「不平不満の解消」を要求したが、ペルセウスはこれを拒絶した。このためマケドニアとの友好提携の解消を宣言した。ローマに戻った使節団は[[元老院]]にペルセウスが戦争の準備をしていることを伝えた<ref>リウィウス『ローマ建国史』、[[:en:s:From_the_Founding_of_the_City/Book_42#25|XLII, 25.]]</ref>。その結果、新たな戦争が避けられなくなり、マケドニア王国の滅亡につながった。しかし、歴史学者の中には、この使節団についての話は年代記編者の作り話であるという意見を持つものもいる<ref>Servilius 45, 1923 , s. 1780-1781.</ref>。