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;阿蘇カルデラ - [[熊本県]]
:[[火国]]一の宮[[阿蘇神社]]があり、[[日子八井命]]や[[健磐龍命]]をはじめとする神々が、祀られている。[[神代]]から[[天照大御神]]や[[ニニギノミコト]]、[[神武天皇]]の子孫でもある[[多氏]][[阿蘇氏]]が[[祭祀]]を執り行い続けている<ref>阿蘇社と大宮司 阿蘇品保夫 一の宮町史 平成11年3月。</ref>。
:[[石原洋三郎]]は、高天原は「[[阿蘇カルデラ]]台地」であると述べている<ref>『[https://www.worldcat.org/identities/viaf-311157100642772740008/ 邪馬台国 ]』 [[石原洋三郎]] 令和元年10月 第一印刷P18-35 石原は高天原の要件として、次の五つを挙げている。①「ヤマト発祥の地」であるので、やまとらしい風情がある。([[大和]]参照)②日向の[[高千穂]]から昇る位置にある([[ニニギノミコト]]は[[高天原]]から高千穂へ降臨されたため)。③地上と同じような山や川があり、「高原平野」が広がっている。④高天原では、営みがなされているが、自然災害もある。⑤[[ニニギノミコト]]は雲海の中を日向の高千穂のくじふるに降り立った。そのため、[[筑紫国]](白日別)・[[豊国]](豊日別)・[[熊襲]](建日別)ではなく、隣接する[[火国]]「[[建日向日豊久士比泥別]]」の何処かに高天原はあった。</ref>。[[阿蘇カルデラ]]は山跡で山に囲まれた処の山のふもとにあり、標高500m程度の高原平野で、[[阿蘇山]] を擁する。[[阿蘇山]]は火国の由来ともなり、[[火の本]]である。[[天孫降臨]]の日向の[[高千穂]]に隣接しており、[[雲海]]の名所で知られている。神武天皇は[[神武東征]]後、九州北部・中部を第2代[[綏靖天皇]]の同母兄[[神八井耳命]]に与え、その子[[健磐龍命]]に「[[阿蘇]]」を拠点とさせた([[皇孫還御]])。[[ニニギノミコト]]は高天原から[[高千穂]]へ[[天孫降臨]]されたが、皇孫の[[健磐龍命]]は日向に帰り、神武天皇を祭る[[宮崎神宮]]を整え、[[高千穂]]から昇って、「[[建日向日豊久士比泥別]]」[[阿蘇]]へ向かわれている<ref>『[https://www.worldcat.org/identities/viaf-311157100642772740008/ 邪馬台国]』 [[石原洋三郎]] 令和元年10月 第一印刷P18-35 九州北部・中部は、神武天皇からすれば、元々は本領であり重要な基盤であるが、石原は[[神武天皇]]が孫の[[健磐龍命]]に[[阿蘇]]を拠点とさせたことに注目している。古来より、[[火国]]本拠地「[[阿蘇]]」は、[[ヤマト王権|ヤマト皇権]]にとって重要な拠点であった。</ref>。
:中国の[[歴史書]](正史)である[[南史倭国伝]]』によれば、「倭国、その先の出た場所、及び所在については北史に詳しく記述されている」とあり、『[[北史]]([[北史倭国伝]]』では、[[阿蘇山]]が詳述されている。<ref >北史『有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。』</ref>されている。すなわち、倭国の先の出た場所とは、[[阿蘇山]]を示していると考えられる<ref >『[https://www.worldcat.org/identities/viaf-311157100642772740008/ 邪馬台国] [[石原洋三郎]] 2019年(令和元年)十月 第一印刷P43-44、P46-48</ref>。
;[[蒜山 (地名)|蒜山]](ひるぜん) - [[岡山県]][[真庭市]]
:茅部神社の山を登ったところ。天岩戸、真名井の滝、天の浮橋等がある。