「ジャンセニスム」の版間の差分

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ジャンセニスムのルーツは[[16世紀]]の[[ルーヴァン]]の神学者[[ミシェル・バイウス]](Michael Baius,[[1513年]] - [[1589年]])の唱えた教説にあるといわれる。バユスとも呼ばれたバイウスの説の特徴は神の恩寵の意味の絶対化と人間の非力さの強調であった。同地で活躍していた[[イエズス会|イエズス会員]]たちはそこに[[ジャン・カルヴァン]]の影響を感じ取り、すぐに反論した。
 
その後、同じく[[ネーデルランド]]出身の神学者で、イプルの司教コルネリウス・ヤンセンが生涯の研究の成果として完成させた著作『アウグスティヌス-人間の本性の健全さについて』(Augustinus;humanae naturae sanitate)が、彼の死後の[[1640年]]に遺作として発表された。ヤンセンはバイウスの説に影響を受けており、同書ではアウグスティヌスの恩寵論をもとに、バイウスと同じように人間の自由意志の無力さ、罪深さが強調されていた。ここにいわゆる「ジャンセニスム」がはっきりと姿を現した。
 
[[ファイル:Blaise Pascal Versailles.JPG|left|thumb|180px|1646年にジャンセニスムに入信した[[ブレーズ・パスカル]]は『[[パンセ]]』において「人間は考える葦である」と述べた。]]
ヤンセンの盟友であった[[ジャン・デュヴェルジェ・ド・オランヌ]](Jean Duvergier de Hauranne)はフランス人の[[アントワーヌ・アルノー]]の知己を得て、同書を携えて[[パリ]]へ赴き、そこで[[1641年]]に出版した。これがフランスの上流階級の間で反響を呼ぶ。デュヴェルジュは本名よりも「アベ・ド・サン・シラン」(サン・シラン修道院長、以下サン・シラン)という名前で知られるようになる。やがてサン・シランはアルノーの姉妹が暮らしていた[[パリ]]郊外の女子修道院[[ポール・ロワヤル修道院]]の霊的指導者となり、そこをジャンセニスムの拠点するようになった。サン・シランはかねてよりイエズス会員の道徳教説が信徒の堕落を招いていると考えており、ジャンセニスムに名を借りたイエズス会攻撃を行った。これにイエズス会員たちが反論したため、以後、ジャンセニスム対イエズス会という図式が出来上がっていく。
 
当時のフランスでジャンセニスムに傾倒した著名人の中には哲学者[[ブレーズ・パスカル]]や戯曲作家[[ジャン・ラシーヌ]]もいた。パスカルがジャンセニスムに傾倒していたことは有名だが、彼はジャンセニスムへの批判に反論して[[1656年]]に『プロヴァンシアル』を執筆している。
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当時のフランス国王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]は政治的見地からジャンセニスムを弾圧し、その中心地となった[[ポール・ロワヤル修道院]]を[[1710年]]に閉鎖させたが、国内的にジャンセニスムを弾圧する一方で、対外的にはジャンセニスムを[[ローマ教皇]]との政争の具として利用もしている。
 
果てのない論争が繰り返された後で最終的に[[クレメンス11世 (ローマ教皇)|クレメンス11世]]が回勅『ウニゲニトゥス』([[1713年]])でジャンセニスムを禁止し、論客パスキエ・ケネルの著作に含まれる命題を誤謬であるとした。ジャンセニスムの源流ともいうべきコルネリウス・ヤンセンに関しては、その著作『アウグスティヌス』こそ問題となったが、本人の死後に発行されたという事情も考慮され、ヤンセン自身が断罪されることはなかった。こうしてジャンセニスム論争そのものは[[18世紀]]には終焉したが、オランダではジャンセニスムの精神を引く一派がカトリック教会から離れ、やがて[[復古カトリック教会]]という分派誕生することになる。
 
ジャンセニスムの精神は20世紀初頭に至るまで、フランスのみならず全ヨーロッパのカトリック信徒に影響を及ぼした。その証左として、20世紀の初頭の教皇[[ピウス10世 (ローマ教皇)|ピウス10世]]が回勅において、頻繁な[[聖体拝領]]と子供の早期初[[聖体]]を奨めていることが挙げられる。これは、ジャンセニスムの影響を受けて[[秘跡]]を敬遠するようになった多くの信徒が結果的に教会から離れてしまっていた当時の状況に対応しようとする試みであった。
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== 思想 ==
ジャンセニスムは[[アウグスティヌス]]の人間理解が根底にあるが、人間の[[原罪]]の重大性と[[恩寵]]の必要性を過度に強調し、[[予定説]]からの強い影響を受けていた。
ジャンセニスム思想によれば、人間は生まれつき罪に汚れており、恩寵の導きなしには善へ向かい得ない。このため罪の状態でイエスの体である聖体を受けることは恐れ多いことである。だから、[[聖体拝領]]に際しての準備と祈りはどんなに行っても十分すぎることはないとした(結果的にジャンセニスムの影響を受けた信徒たちは聖体拝領の回数を著しく減らすことになった)。
 
さらにジャンセニスムは[[ジャン・カルヴァン]]思想の影響を受けて、救われることが予定付けられている人間は本当に少ないと説いた。