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== 略歴 ==
[[ロンドン]]生まれ。[[叔父]]で[[歴史家]]・[[社会活動家]]の[[アーノルド・トインビー]](1852-1883)と区別するため、ミドルネームの「J」を入れて表記されることが多い。西欧中心の歴史観でなく、[[イスラム]]、[[仏教]]、それに特殊な存在としての[[日本]]にも着目して、各文明国の発展を描いた『'''[[歴史の研究]]'''』(原著1934-1961年)を著す。[[1911年]]、[[オックスフォード大学]]卒業。アテナイの考古学院の研究生として[[ギリシア]]に行き、帰国後、母校で研究員としてギリシア・[[ローマ]]の古代史研究と授業にあたる。[[1912年]]、[[キングス・カレッジ・ロンドン]]で歴史学の教授に就任。[[1914年]]の[[第一次世界大戦]]の勃発により「われわれは歴史の中にいる」という実感に目覚める。[[1929年]]には[[太平洋問題調査会|太平洋問題調査委員]]として来日。この際に[[松本重治]]との友情を深めた。
 
[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]教授、[[王立国際問題研究所]]理事、外務省調査部理事等を務める傍ら『ギリシャ歴史思想』『平和会議後の世界』等を執筆。最も有名な著書『歴史の研究』は全25巻。