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→‎受容史: モラヴィア中心都市であるブルノがスロヴァキアの一部であったとの事実はない筈
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== 受容史 ==
『嘆きの歌』の初演は、[[1901年]][[2月17日]]に[[ウィーン]]にてマーラー本人指揮の[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]によって行われたが、演奏が不出来だったらしく、そのため評価は今一つであったと伝えられる。初演は最終稿によっており、この最終稿は初演より前の1899年にヴィーンのヴァインベルガー社より出版された<ref name="a">「マーラーのすべて」[[音楽の友]]・別冊、[[音楽之友社]]、1987年、214頁。</ref>。マーラーはこの青年の熱情を込めて作曲したカンタータを作品番号1とした。破棄された第1部は1934年に[[チェコスロバキア]]の[[ブルノ]]で初演され<ref>[[ベルナルト・ハイティンク]]指揮[[アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団]]のCD(Philips 420 113-2)のカール・シューマンによる解説。</ref>、出版は1973年になってからであった<ref name="a"/>。初稿はマーラーの遺族が保存していたが、1969年になってアメリカのエール大学の図書館に譲渡された。時あたかも[[レナード・バーンスタイン]]がマーラーの全交響曲演奏に取り組み、バリトンの[[ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ]]の歌曲演奏で、マーラーの作品が注目されていた時期であった。このマーラー・ブームのなかで、マーラーの音楽の原点ともいうべき処女作品への関心が高まり、当初は2部構成の最終稿に初稿の第1部を置いた3部作の構成で演奏されるようになった。第2部、第3部含めた初稿全体は[[1997年]]に出版され、同年10月に録音された[[ケント・ナガノ]]指揮[[ハレ管弦楽団]]のCDが「初稿版・世界初録音」と銘打って発売された。こうして初稿の演奏が、最終稿にとって代わる状況となっていたものの、2011年の[[ザルツブルク音楽祭]]開会演奏会で[[ピエール・ブーレーズ]]指揮[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]によって演奏された際は1898/99年の最終稿であった<ref>[http://www.salzburgerfestspiele.at/archivdetail/programid/4525/id/715/j/2011 過去の演奏記録] - ザルツブルク音楽祭公式サイトから</ref>。初稿全3部の[[日本]]初演は、[[1998年]]5月に[[東京交響楽団]]によって行われた。
 
== 脚註 ==