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== 2代目 ==
*[[2代目笑福亭松鶴#3代目 - のちの'''[[笑福亭圓笑|32代目笑福亭松鶴圓笑]]'''
{{落語家
| 芸名 = 2代目 {{ruby|笑福亭|しょうふくてい}} {{ruby|松鶴|しょかく}}
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| 画像コメント =
| 本名 = 松本 豊七
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| 出身地 = {{JPN}}
| 死没地 =
| 生年 = 不詳
| 生月 =
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| 没年 = 1891
| 没月 = 8
| 没日 = 8
| 師匠 = [[笑福亭松鶴#初代|初代笑福亭松鶴]]
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| 名跡 = 1. 初代[[笑福亭鶴松]]<br />2. 3代目[[笑福亭吾竹]]<br />3. 2代目[[笑福亭松鶴]]<br />4. 2代目[[笑福亭圓笑]]
| 出囃子 =
| 活動期間 =
| 活動内容 = [[上方落語]]<br />[[講談|講談師]]
| 配偶者 =
| 家族 =
| 所属 =
| 公式サイト =
| 主な作品 =
| 受賞歴 =
| 備考 =
}}
'''2代目 笑福亭 松鶴'''(? - [[1891年]][[8月8日]])は、本名:松本豊七。享年不詳。
 
[[天保]]・[[弘化]]年間頃の生まれ、初代松鶴の門人。[[笑福亭鶴松|初代鶴松]]、[[笑福亭吾竹|3代目(4代目とも)吾竹]]、2代目松鶴を経て、[[笑福亭圓笑|2代目圓笑]]を名乗り、後に[[講談|講談師]]となる。松橋を名乗っていた時期もあるらしい。
 
元は紺屋の形置職人で、仕事の合間に桃などの果物を売り歩いたため、落語家となった後も「桃屋」とあだ名される。また、夏祭りには流しの[[俄]]も演じていたという。
 
舞踊の名手で、「松尽くし」(一枚歯の下駄を履いて碁盤などの小台に乗り、五枚の扇を広げて舞う芸)の元祖はこの2代目松鶴と伝える。初代文枝が得意にした『[[三十石]]』に、師・初代松鶴の作った舟唄を加味し、当時の評判を取ったという(その写真は『落語系圖』p106に掲載されている)。一方では、高座を這い回ったり、役者のように目を剥くなどのケレンがあっともいう。
 
[[1876年]]頃には東京で修行、帰阪後は東京の上品な噺をめざしたという。
 
講談師になってからは、『加賀騒動』『業平文治』などを十八番にしたと伝える。
 
===門下===
*[[笑福亭圓篤#初代|初代笑福亭圓篤]]
*[[笑福亭松鶴#3代目|3代目笑福亭松鶴]]
*[[笑福亭木鶴#2代目|2代目笑福亭木鶴]]
*[[笑福亭福松#初代|初代笑福亭福松]]
*[[桂文屋|笑福亭だら助]]
*[[笑福亭松右衛門]]
 
== 3代目 ==