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== 選手としての特徴 ==
江川の球速は高校時代にすでにピークを迎えていたともいわれ、当時スピードガンはまだなかったが150km/hを超えていたのではないかと推定されている{{Sfn|されど江川 (1988)|p=46}}(プロ入り後の最速は151km/h<ref>https://www.nikkansports.com/baseball/column/mirai/news/1488334.html</ref>)。江川が出演する『[[Going!Sports&News|Going!Sports&News]]』にて<ref>[[2015年]][[11月22日]]23時55分~[[11月23日|23日]]0時55分放送の回。</ref>、現役時代の江川の球速(ある1球)を[[スーパーコンピュータ]]で解析したところ、160km/hだったと推定されるという。なおスピードガンが各球場に導入されだし投手としては指江川のストレートの球速短めだったこ135km/h前後もその理由であ表示され。指記録映像短めだたことは、スピンをかけてい。これは有利だったがついて[[掛布雅之]]、[[フォークボール西本聖]]などの[[球種 (野球)|変化球槙原寛己]]を投げるなど多数人物が異口同音「江川の球速が140km/hを下回ること適さありえかった。そい」と証言、当時ためスピードガンは精度が低くプロ入りまで変化球数値の正確さにカーブ疑問があると指摘か投げられなかっている。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていだろう」と述べている
 
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、[[フォークボール]]などの[[球種 (野球)|変化球]]を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や[[高木豊]]の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。
 
[[1985年]]頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当に[[コシヒカリ]]が贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度は[[メロン]]を貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している<ref>『豪球列伝』の江川の項参照。</ref>。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている<ref>『巨人-阪神論』p.113</ref>。
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阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/824159?page=3 ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?]([[Sports Graphic Number|Number Web]]、2015年9月16日)</ref>。
 
9回を完投するため、中心バッターには「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた<ref name="kyoshinp62">『巨人-阪神論』pp.62-64</ref>。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている<ref name="kyoshinp62"/>。現役時代にチームメイトだった[[篠塚和典]]は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している
 
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている<ref name="ktv140705">『さんまのまんま』(関西テレビ)2014年7月5日放送回にて本人談。{{出典無効|date=2018年1月|}}</ref>。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている<ref>『巨人-阪神論』pp.99-100</ref>。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという<ref>『巨人-阪神論』p.101</ref>。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。