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'''スティーブン・ミルハウザー'''('''Steven Millhauser''',[[1943年]][[8月3日]] - )は[[ニューヨーク]]生まれ、[[コネティカット州]]育ちの現代アメリカ作家。現在は[[サラトガ・スプリングス]]に住み、[[スキットモア・カレッジ]]で教鞭を取りながら作品を発表している。現代アメリカでは極めて稀な幻想的・耽美的・ロマン主義的な作風で知られ、子供と芸術家を主人公に据えた物語を好んで書く。
 
1972年、『エドウィン・マルハウス』でデビュー。11歳のときに不朽の傑作小説『まんが』を書きあげた天才少年エドウィンの伝記を類稀な記憶力を持つ友人が綴るという内容の、伝記文学のパロディ『エドウィン・マルハウス』デビュー。ある[[フランス]]で、独特な手法を用いた作品に与えられる[[メディシス賞]]外国語部門を受賞した。今なおミルハウザーの最高傑作と評され、[[ペンギンブックス]]にも加えられた(現在は絶版)。日本ではこの作品のみ[[岸本佐知子]]が翻訳している(他は[[柴田元幸]]訳)
今なおミルハウザーの最高傑作と評され、現在は絶版だがペンギンブックスにも加えられた。日本ではこの作品のみ[[岸本佐知子]]さんに翻訳され、あとは[[柴田元幸]]氏によって翻訳されている。ジョークを訳すことにかけては定評のある岸本佐知子さんがミルハウザー作品中もっとも冗談の多い本作を訳し、中期~後期作品の職人的に精緻な文章を、翻訳界の現人神、柴田元幸氏が訳しているのはもう奇跡的なめぐりあわせと言う他無い。
 
次作『ある浪漫主義者の肖像』、1986年に出版された『モルフェウスの国から』『イン・ザ・ペニーアーケード』は批評家に支持されず、アメリカでは埋もれた存在になるが、日本では白水社から刊行された「新しいアメリカの文学」シリーズに『イン・ザ・ペニー・アーケード』が加えられ、好評を博す。
 
中編集『三つの小さな王国』、短編集『バーナム博物館』を経て、20世紀初頭のホテル経営者マーティンのアメリカン・ドリーム実現と失墜を描いた、ミルハウザーにしてはいささか社会性の強い長編『マーティン・ドレスラーの夢』で[[ピューリッツァー賞]]を受賞。
 
にわかにミルハウザー再評価の空気が流れるも、本人はほとんど白けていたらしい。次作の『ナイフ投げ師』、『Enchanted Night』、『The King in the Tree』で再び、親密な雰囲気の屋根裏部屋のようにこじんまりとした、幻想的で精緻に構築されたミニアチュールのように職人的な作風に戻っている
 
2006年、短編「幻影師、アイゼンハイム」を原作にした映画『The Illusionist』が[[エドワード・ノートン]]主演で公開された。
その作風は[[エドガー・アラン・ポー]]や[[ナサニエル・ホーソーン]]などのアメリカ浪漫派の流れを汲み、[[ボルヘス]]や[[イタロ・カルヴィーノ]]や[[ナボコフ]]的な知的遊戯も見られるが、むしろ最大の影響源はドイツ浪漫派か。[[トーマス・マン]]、[[ホフマン]]、[[クライスト]]などの影響は特に色濃く、中でもトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』はその最たる例。ミルハウザー作品に常に登場する“天才的な才能を持ちながら、現実および商業主義に敗退し、破滅する芸術家”はおそらくこの二作から取られている。(比較的ありがちなモチーフではあるが。)また、ひたすら現実に目を背ける天才と、現実的かつ才能もありながら決して天才ではないキャラクター、という対比が頻出するため、しばし映画[[アマデウス]]のモーツァルトとサリエリを絡めて語られる。
 
==作風==
評論家の三浦雅士氏によると、ミルハウザー作品は2タイプに分けることが出来る。現実のミニアチュールを作ることに憑かれた男の物語と、ミルハウザーが空想した架空の世界を肌理細やかに描写して提示する構築的な散文詩の作品だだ。大方はこれで説明がつきそうだが、目立たない存在ではあるものの、ミルハウザーには女性を主人公とした作品が存在する。これは大抵の場合、堅固に見えた現実の中に潜む危機的な状況の前でなすすべもなく立ちすくむ、といったリアリズム小説の体裁を取る。
その作風は[[エドガー・アラン・ポー]]や[[ナサニエル・ホーソーン]]などのアメリカ浪漫派の流れを汲み、[[ボルヘス]]や[[イタロ・カルヴィーノ]]や[[ナボコフ]]的な知的遊戯も見られるが、むしろ最大の影響源はドイツ浪漫派に最大の影響を受けている。[[トーマス・マン]]、[[ホフマン]]、[[クライスト]]などの影響は特に色濃く、中でもトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』はその最たる例である。ミルハウザー作品に常に登場する“天才的な才能を持ちながら、現実および商業主義に敗退し、破滅する芸術家”はおそらくこの二作から取られている。(比較的ありがちなモチーフではあるが。)また、ひたすら現実に目を背ける天才と、現実的かつ才能もありながら決して天才ではないキャラクター、という対比が頻出するため、しばし映画[[アマデウス]]』における[[モーツァルト]][[サリエリ]]を絡めて語られる。
ミルハウザー作品の中で女性が芸術家であることは決してなく、「王妃・小人・土牢」といった作品の中では臆面も無く女性蔑視的な発言も見られる。また、一見芸術家風の「フランクリンペインの小さな王国」の主人公の妻コーラでさえも、その俗物性を主人公と比較されるに過ぎない。
 
評論家の[[三浦雅士]]によると、ミルハウザー作品は2タイプに分けることが出来るという。現実のミニアチュール細密画を作ることに憑かれた男の物語と、ミルハウザーが空想した架空の世界を肌理細やかに描写して提示する構築的な散文詩の作品だ。大方はこれで説明がつきそうだが、目立たない存在ではあるものの、ミルハウザーにはその他に女性を主人公とした作品が存在する。これは大抵の場合、堅固に見えた現実の中に潜む危機的な状況の前でなすすべもなく立ちすくむ、といったリアリズム小説の体裁を取る。ミルハウザー作品の中で女性が芸術家であることは決してなく、「王妃・小人・土牢」といった作品の中では臆面も無く女性蔑視的な発言も見られる。また、一見芸術家風の「J. フランクリン・ペインの小さな王国」の主人公の妻コーラでさえも、その俗物性を主人公と比較されるに過ぎない
本人は「もっともインスピレーションを受けた作品」としてポーランドの前衛作家[[ブルーノ・シュルツ]]の『大鰐通り』と、イギリスの歴史家[[R・D・オールティック]]の『ロンドンの見世物』を挙げており、美の極致を行くような艶かしい文体、懐古趣味的なオブジェの羅列とその微に入り細を穿った描写といった点でこれらの作品との類似が見られる。
 
本人ミルハウザーは「もっともインスピレーションを受けた作品」としてポーランドの前衛作家[[ブルーノ・シュルツ]]の『大鰐通り』と、イギリスの歴史家[[Rリチャード・D・オールティック]]の『ロンドンの見世物』を挙げており、極致を行くような艶かしい文体、懐古趣味的なオブジェの羅列とその微に入りを穿ったかい描写といった点でこれらの作品との類似が見られる。
 
==作品リスト==
*『エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死』(''Edwin Mullhouse: The Life and Death of an American Writer 1943-1954, by Jeffrey Cartwright'')、1972年
*''Portrait of a Romantic'' (1977)
*『イン・ザ・ペニー・アーケード』(''In the Penny Arcade'')、1986年
*『モルフェウスの国から』(''From the Realm of Morpheus'')、1986年
*『バーナム博物館』(''The Barnum Museum'')、1990年
*『三つの小さな王国』(''Little Kingdoms'')、1993年
*『マーティン・ドレスラーの夢』(''Martin Dressler: The Tale of an American Dreamer'')、1996年 - ピューリッツァー賞受賞
*『ナイフ投げ師』(''The Knife Thrower '')、1998年
*''Enchanted Night'' (1999)
*''The King in the Tree'' (2003)
 
==外部リンク==
* [http://www.randomhouse.com/boldtype/1199/millhauser/ ランダムハウス社の著者紹介]
 
[[categoryCategory:アメリカ合衆国の小説家|みるはうさ すていふん]]
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[[category:アメリカ合衆国の小説家|みるはうさ]]
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