「ドイツ勲章」の版間の差分

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2人目の受章者は「[[ユダヤ人問題の最終的解決]]」の執行者として悪名高き[[ラインハルト・ハイドリヒ]][[親衛隊大将]]であった。ハイドリヒは[[ベーメン・メーレン保護領]](チェコ)副総督をしていた1942年5月27日に[[プラハ]]でイギリス政府の放ったチェコ人暗殺部隊の襲撃を受け、その時の負傷がもとで6月4日になって死亡している。6月9日に同勲章が追贈された<ref name="後藤(2000)52"/>。
 
このように死後の追贈が多という形でしか授与されていない勲章だったのでため「死の勲章」などとも呼ばれていた<ref name="後藤(2000)50"/>が、1945年の終戦間際になって生前叙勲が行われるようになっている
 
ナチス・ドイツにおいて受章者数が非常に少ない勲章の一つである。
 
== 11名の受章者 ==