削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
項目を整理
1行目:
'''殺陣'''(たて)もしくは'''技斗'''・'''擬斗'''・'''擬闘'''(ぎとう)は、[[演劇]]・[[映画]]・[[テレビドラマ]]で[[俳優]]が格闘シーン時に素手素足もしくは武器を用いた[[演技]]。'''技斗'''・'''擬斗'''・'''擬闘'''とも呼称される。殺陣(たて)は主に時代劇、技斗(ぎとう)は主に現代劇に用いる<ref name="takase12">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.12 2013年</ref>。
{{出典の明記|date=2011年6月}}
'''殺陣'''(たて)もしくは'''技斗'''・'''擬斗'''・'''擬闘'''(ぎとう)は、[[演劇]]・[[映画]]・[[テレビドラマ]]で[[俳優]]が格闘シーン時に素手素足もしくは武器を用いた[[演技]]。殺陣(たて)は主に時代劇、技斗(ぎとう)は主に現代劇に用いる<ref name="takase12">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.12 2013年</ref>。
 
== 演劇上名称意義由来 ==
[[新国劇]]の座長・[[沢田正二郎]]が、公演の演目を決める際に冗談で「殺人」として座付きの作家・[[行友李風]]に相談したところ、穏やかでない言葉なので「陣」という字を当てることを提案したことが「殺陣」の語源と言われている<ref>[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa061014.html なにわ人物伝 -光彩を放つ-沢田正二郎 ―さわだ しょうじろう―]</ref><ref>[[小川順子]]『殺陣という文化-チャンバラ時代劇映画を探る』[[世界思想社]]、2007年、15-16、31-32頁</ref>。この演目は[[1921年]]に初めて演じられたが、読みは「さつじん」であった。[[1936年]]の沢田の七回忌記念公演で『殺陣田村』として演じられた時から「たて」と読まれるようになった<ref>[http://gogen-allguide.com/ta/tate_satsujin.html 殺陣] 語源由来辞典</ref>。ただ「タテ(たて)」自体はそれ以前から存在し、歌舞伎の立ち回り(激しい格闘場面とは限らない)の略とされる<ref>日本大百科全書(ニッポニカ)「[https://kotobank.jp/word/殺陣-93666#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 殺陣]」</ref>。なお「さつじん」でも誤りではなく、そう読ませる場合もある<ref>[[東映]]1964年の[[大殺陣]]は「だいさつじん」([[岡田茂 (東映)#「うちで当てたやつのタイトル、ほとんどつけた」]])。なお同作に出演している[[大友柳太朗]]や[[河原崎長一郎]]が属する[[新国劇]]では「さつじん」と言う模様([[チャンバラ#概要]])。</ref>。
[[クレジットタイトル]]など、一般的には[[時代劇]]のものを'''殺陣'''、[[現代劇]]のものを'''技斗'''・'''擬闘'''・'''擬斗'''という<ref name="takase12" />。また一般的に殺陣は刀等を用いたアクションなのに対し、技斗はそれらを用いない素手のアクションが中心である<ref name="takase15" />。なお、技斗は現代殺陣ともいう<ref name="takase15" />。また[[チャンバラ]]を剣殺陣ということもある<ref name="takase15" />。
 
なお、「技斗」は日活撮影所の殺陣師・高瀬将敏の造語で、時代劇の「殺陣」の名称を現代劇の格闘振り付けの名称として用いるのは先人に失礼と考えて考案され用語で<ref name="takase13">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.13 2013年</ref>。[[1954年]](昭和29年)に製作された『俺の拳銃は素早い』([[野口晴康|野口博志]]監督)で初めてクレジットに使用された<ref name="takase13" />。類語の「擬闘」は新劇から発生した舞台用語で、時代・現代劇を問わず用いられる。
難度が高く危険の大きいシーンはスタントマンが演じることもあるが、これらのシーンも可能であれば俳優本人が演じたほうが作品の満足度は上がる<ref name="takase15">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.15 2013年</ref>。
 
== 歴史 ==
俳優へ指導や人選をする者を'''殺陣師'''(たてし){{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 161 - 163|loc = 日本のアクション監督}}または'''技斗(擬斗・擬闘)スタッフ'''と呼ぶ。殺陣師の上に位置する役職に'''[[アクション監督]]'''がある{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 161 - 163|loc = 日本のアクション監督}}。アクション監督は殺陣師と違い、カメラアングルなどに関する権限も有する{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 161 - 163|loc = 日本のアクション監督}}。日本のアクション監督に相応するのは、セカンドユニットの監督であるとされる{{Refnest|セカンドユニットは主演俳優の映らないシーンを撮影し、スタントシーンも担当するため{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 163 - 169|loc = アメリカのアクション監督}}}}。
殺陣の歴史的展開は、草創期・展開期・定型化期・殺陣の革新・ポスト黒澤期の5つに分けられる<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=小川順子|title=チャンバラ時代劇映画における「殺陣」の変遷|journal=日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要|volume=24|pages=37-54|publisher=国際日本文化研究センター|ref=harv|doi=10.15055/00000685}}</ref>。
 
草創期は映画が日本に導入された[[1896年]]~[[1920年代]]前半までを指す。時代劇映画の出発点は歌舞伎の舞台の引き写しであり、殺陣も[[歌舞伎]]の「殺陣の型」を模倣したものであった<ref name=":0" />。そんな中で、[[尾上松之助]]は歌舞伎から離れたテンポで殺陣を加え、多くの観客の心をつかんだ<ref name=":0" />。
{{Main|アクション監督}}
 
展開期は1920年代~[[1945年]]までを指す<ref name=":0" />。この時期には、真剣を使わずにスピード感やリアリティがある[[新国劇]]の殺陣や垂直方向や水平方向に移動するアクロバティックな動きをする外国映画、ダンス的コレオグラフィーの導入などの影響を受けた<ref name=":0" />。
[[ハリウッド映画]]では「アクションスーパーバイザー」と呼ばれており<ref>[http://www.13hw.com/jobcontent/02_05_20.html 殺陣師・アクションスーパーバイザー 13歳のハローワーク]</ref>、格闘専門の指導スタッフは殺陣の[[振付師]](ファイト・コレオグラファー)と呼ばれる{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 163 - 169|loc = アメリカのアクション監督}}。
 
定型化期は[[東映]]時代劇全盛期の[[1950年代]]を指す。東映全盛期のスターの半分は、戦前からのスターであり、歌舞伎的舞踊的な動きを身につけていたため、殺陣にも自然と舞踊的要素が濃厚になった<ref name=":0" />。この風潮を一変させたのが[[黒澤明]]の時代劇で、黒澤は斬れば音が出て血が流れるリアリティのある殺陣を生み出した<ref name=":0" />。
=== 「殺陣」の由来 ===
[[新国劇]]の座長・[[沢田正二郎]]が、公演の演目を決める際に冗談で「殺人」として座付きの作家・[[行友李風]]に相談したところ、穏やかでない言葉なので「陣」という字を当てることを提案したことが「殺陣」の語源と言われている<ref>[http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa061014.html なにわ人物伝 -光彩を放つ-沢田正二郎 ―さわだ しょうじろう―]</ref><ref>[[小川順子]]『殺陣という文化-チャンバラ時代劇映画を探る』[[世界思想社]]、2007年、15-16、31-32頁</ref>。この演目は[[1921年]]に初めて演じられたが、読みは「さつじん」であった。
 
ポスト黒澤期は[[1962年]]以降を指すが、基本的に黒澤の行った殺陣の革新を繰り返すに留まる<ref name=":0" />。
[[1936年]]の沢田の七回忌記念公演で『殺陣田村』として演じられた時から「たて」と読まれるようになった<ref>[http://gogen-allguide.com/ta/tate_satsujin.html 殺陣] 語源由来辞典</ref>。ただ「タテ(たて)」自体はそれ以前から存在し、歌舞伎の立ち回り(激しい格闘場面とは限らない)の略とされる<ref>日本大百科全書(ニッポニカ)「[https://kotobank.jp/word/殺陣-93666#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 殺陣]」</ref>。なお「さつじん」でも誤りではなく、そう読ませる場合もある<ref>[[東映]]1964年の[[大殺陣]]は「だいさつじん」([[岡田茂 (東映)#「うちで当てたやつのタイトル、ほとんどつけた」]])。なお同作に出演している[[大友柳太朗]]や[[河原崎長一郎]]が属する[[新国劇]]では「さつじん」と言う模様([[チャンバラ#概要]])。</ref>。
 
2015年現在、'''殺陣'''・'''擬闘'''('''擬斗'''・'''技斗''')は[[劇団]]の[[研究所]]で俳優の正式科目として採用されているが、これまでは指導・育成する団体は少なく、[[日本]]では[[1960年代]]以前、俳優の代わりに[[吹き替え]]で対応されることが多かった。戦闘シーンで相手役がいなく不都合が生じていた千葉真一は[[1970年]]に''JAC'' を設立し、吹き替えでなく演じることのできる俳優を育成し始めている<ref>{{Cite news |url = http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2003/sun030330.html |title = インタビュー <日曜のヒーロー> 第355回 千葉真一 |newspaper = [[日刊スポーツ]] |publisher = [[nikkansports.com]] |date = 2003-3-30 |accessdate = 2009-6-26 <!--|archiveurl = http://megalodon.jp/2011-1224-1459-23/www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2003/sun030330.html |archivedate = 2011-12-24--> }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = 黒田邦雄 |authorlink = 黒田邦雄 |date = 1982-8-1 |title = ザ・[[インタビュー]] 千葉真一 |journal = [[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume = 1655 |issue = 841 |pages = 130 - 133 |publisher = [[キネマ旬報社]] |authorlink=黒田邦雄}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = [[橋本与志夫]] |date = 1985-4-1 |title = 出演者陣の“酔いどれ講釈” |journal = 第IV回JACミュージカル [[酔いどれ公爵]] |page = 32 |publisher = [[新宿コマ劇場|新宿コマ・スタジアム]] |format = [[小冊子|パンフレット]] }}</ref>( ⇒ そのほかは[[#団体・人物]]を参照)。
なお、「技斗」は日活撮影所の殺陣師・高瀬将敏が、時代劇の「殺陣」の名称を現代劇の格闘振り付けの名称として用いるのは先人に失礼と考えて考案した用語で1954年(昭和29年)に製作された『俺の拳銃は素早い』([[野口晴康|野口博志]]監督)で初めてクレジットに使用された<ref name="takase13" />。類語の「擬闘」は新劇から発生した舞台用語で、時代・現代劇を問わず用いられる。
 
=== 技斗演劇上歴史意義 ===
戦前の邦画ア[[ションレジットタイトル]]など、一般的に[[時代劇]]ものを'''殺陣が中心で'''、[[現代]]ものを'''技斗'''・'''擬闘'''・'''擬斗'''という<ref name="takase12" />。また一般的に殺陣は刀等を用いたアクションなの対し、技斗はそれらを用う名称もまだく傍流い素手位置づけアクションが中心であった<ref name="takase13takase15">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.1315 2013年</ref>。なお、技斗は現代殺陣ともいう<ref name="takase15" />。また[[チャンバラ]]を剣殺陣ということもある<ref name="takase15" />。
 
難度が高く危険の大きいシーンはスタントマンが演じることもあるが、これらのシーンも可能であれば俳優本人が演じたほうが作品の満足度は上がる<ref name="takase15">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.15 2013年</ref>。
技斗は見栄えと迫力を重視し、斬る・殴打のシーンに[[効果音]]が加えられることで視聴者には本当に行われているように感じさせる意図だが、あくまでも演技であるため演者同士が「怪我をしない、させない」配慮が不可欠である。
 
俳優へ指導や人選をする者を'''殺陣師'''(たてし){{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 161 - 163|loc = 日本のアクション監督}}または'''技斗(擬斗・擬闘)スタッフ'''と呼ぶ。殺陣師の上に位置する役職に'''[[アクション監督]]'''がある{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 161 - 163|loc = 日本のアクション監督}}。アクション監督は殺陣師と違い、カメラアングルなどに関する権限も有する{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 161 - 163|loc = 日本のアクション監督}}。日本のアクション監督に相応するのは、セカンドユニットの監督であるとされる{{Refnest|セカンドユニットは主演俳優の映らないシーンを撮影し、スタントシーンも担当するため{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 163 - 169|loc = アメリカのアクション監督}}}}。
一方で[[映画]]『[[子連れ殺人拳]]』([[1976年]])、『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]])では、[[主演]]・[[千葉真一]]と戦闘相手の[[ジャパンアクションクラブ]] (''JAC'' ) 演者は実際に[[殴打技]]・[[蹴り技]]を打撃し合い、これらをノーマルスピードからハイスピードへ切り替わりながら[[カット#映像作品における「カット」|ワンカット]]で[[撮影]]された<ref name = "中村">{{Cite book |和書 |author = 中村カタブツ |authorlink = 中村カタブツ |year = 1999 |title = 極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 |publisher = ぴいぷる社 |pages = 172 - 186 |isbn = 4893741373 }}</ref>。当時は[[コンピューターグラフィックス|CG]]がなかったためにこの技法が採用され、信憑性と凄みのある映像となっている<ref name = "中村"/>。ほかにも[[映画監督]]・[[五社英雄]]は斬られた時の効果音の開発や、鉄身を使って刃引きはしてあるものの重量は[[日本刀|真剣]]と同じものを使用し、[[夏八木勲]]を主演に据えた時代劇映画『牙狼之介』([[1966年]])と『[[牙狼之介 地獄斬り]]』([[1967年]])では<ref>{{cite episode |title = あの人に会いたい File No.369 夏八木勲(なつやぎ いさお)1939~2013 |episodelink = |url = http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/past/2013/369.html |series = <!-- The name of the series the episode belongs to. --> |serieslink = <!-- The title of a Wikipedia article about the series. As with episodelink, do not link this yourself. If the citation is being used in the article about the series itself, this call is not necessary and will in fact create improper formatting --> |credits = <!-- Writers, directors, performers, producers, etc. --> |station = [[NHK]] |city = <!-- City of the local station (if any) or network. --> |airdate = 2013-10-12 |accessdate = 2013-10-13 <!--|archiveurl = http://web.archive.org/liveweb/http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/past/2013/369.html |archivedate = 2013-10-13--> }}</ref>、様式美的な殺陣とは対極的なリアル感を表現していた<ref name = "刀を当てる">{{Cite journal |和書 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-5-13 |title = 夏八木勲さん 五社監督と「刀を当てる」殺陣の流儀を貫いた |journal = 週刊ポスト |issue = 2013年4月26日号 |publisher = NEWSポストセブン |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130513_188035.html |accessdate = 2013-7-14 <!--|archiveurl = http://web.archive.org/liveweb/http://www.news-postseven.com/archives/20130513_188035.html |archivedate = 2013-7-14--> }}</ref>。夏八木は「[[東映京都撮影所]]では[[竹光]]を使うが、五社さんの場合は鉄身だから[[日本刀|刀]]と刀がぶつかると『パシャーン』といい音がして、火花が散ることもあった。五社さんは『刀は本当に当てろ。当てないと噓になるからな』と指示してくるの対して、[[東映]]には腹すれすれで斬ったように見せる流儀があった」と様々な手法があることを語っている<ref name = "刀を当てる"/>。
 
{{Main|アクション監督}}
2015年現在、'''殺陣'''・'''擬闘'''('''擬斗'''・'''技斗''')は[[劇団]]の[[研究所]]で俳優の正式科目として採用されているが、これまでは指導・育成する団体は少なく、[[日本]]では[[1960年代]]以前、俳優の代わりに[[吹き替え]]で対応されることが多かった。戦闘シーンで相手役がいなく不都合が生じていた千葉真一は[[1970年]]に''JAC'' を設立し、吹き替えでなく演じることのできる俳優を育成し始めている<ref>{{Cite news |url = http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2003/sun030330.html |title = インタビュー <日曜のヒーロー> 第355回 千葉真一 |newspaper = [[日刊スポーツ]] |publisher = [[nikkansports.com]] |date = 2003-3-30 |accessdate = 2009-6-26 <!--|archiveurl = http://megalodon.jp/2011-1224-1459-23/www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2003/sun030330.html |archivedate = 2011-12-24--> }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = 黒田邦雄 |authorlink = 黒田邦雄 |date = 1982-8-1 |title = ザ・[[インタビュー]] 千葉真一 |journal = [[キネマ旬報|KINEJUN キネマ旬報]] |volume = 1655 |issue = 841 |pages = 130 - 133 |publisher = [[キネマ旬報社]] }}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author = [[橋本与志夫]] |date = 1985-4-1 |title = 出演者陣の“酔いどれ講釈” |journal = 第IV回JACミュージカル [[酔いどれ公爵]] |page = 32 |publisher = [[新宿コマ劇場|新宿コマ・スタジアム]] |format = [[小冊子|パンフレット]] }}</ref>( ⇒ そのほかは[[#団体・人物]]を参照)。
 
また'''擬闘'''('''擬斗'''・'''技斗''')は特に[[刑事ドラマ]](1970年代から80年代にかけての)や格闘ドラマ、[[スーパー戦隊シリーズ]]などのアクションシーンで近現代的な格闘である[[ボクシング]]や[[レスリング]]などといった競技の手法を取り入れた演技で使用される。この技斗を専門に扱う[[スタントマン]]として「技斗師」と呼ばれる人がおり、出演者が技をかけているように見せる「擬斗」と呼ばれる演技指導も行われる。
 
現在、殺陣の技術を有する者として、正しくこなすには難易度の高い二刀流や両刀薙刀も美しく扱う事のできる京都・東映の[[峰蘭太郎]]が「日本一殺陣技術の優れた者」との意見がある。また、刀はもちろん、小太刀、二刀は言うに及ばず、当第一の抜刀居合の速さ、槍捌きなど総合的な技術、美しさなどから役者・殺陣師の[[室町大助]](現、室町帝助)を「第2の若山富三郎として日本一」と推す声もある。また室町は殺陣師でありながら殺陣の殺の字を避け殺を使わない”演陣”と書いてタテと読むなどと言った新たな殺陣(演陣)文化の振興を提唱している。更に薙刀においてはハリウッドでも活躍する、役者[[真田広之]]が日本一との声も高い。
 
[[ハリウッド映画]]では「アクションスーパーバイザー」と呼ばれており<ref>[http://www.13hw.com/jobcontent/02_05_20.html 殺陣師・アクションスーパーバイザー 13歳のハローワーク]</ref>、格闘専門の指導スタッフは殺陣の[[振付師]](ファイト・コレオグラファー)と呼ばれる{{Sfn|坂本浩一|1996|pp = 163 - 169|loc = アメリカのアクション監督}}。
=== ステージ・コンバット ===
西洋劇ではステージ・コンバット(stage combat)と呼ばれ、本当に攻撃や防御を行っているように効果的かつ安全に闘いのシーンを見せる技術をいう<ref>[http://www.dellarte-c.com/combat.htm ステージ・コンバット] デラルテ舎、2019年1月6日閲覧。</ref>。
 
=== 殺陣由来技法 ===
1920年代から30年代の[[サイレント映画]]の俳優はスタントマンさながらの演技を行っていた<ref name="takase12" />。1923年の『要人無用』で主演を務めた[[ハロルド・ロイド]]は別の映画作品の撮影中に指を欠損する事故を負いながらも時計台にぶら下がるアクションシーンを演じた<ref>高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 pp.12-13 2013年</ref>。サイレント映画にはセリフがなく俳優の体当たりのアクションが演技の原点となっていた<ref name="takase13" />。
一方戦前の邦画アクションは時代劇の殺陣が中心、現代活劇のアクションには技斗という名称もまだなく傍流の位置づけであった<ref name="takase13" />。[[映画]]『[[子連れ殺人拳]]』([[1976年]])『[[激殺! 邪道拳]]』([[1977年]])では、[[主演]]・[[千葉真一]]と戦闘相手の[[ジャパンアクションクラブ]] (''JAC'' ) 演者は実際に[[殴打技]]・[[蹴り技]]を打撃し合い、これらをノーマルスピードからハイスピードへ切り替わりながら[[カット#映像作品における「カット」|ワンカット]]で[[撮影]]された<ref name = "中村">{{Cite book |和書 |author = 中村カタブツ |authorlink = 中村カタブツ |year = 1999 |title = 極真外伝 〜極真空手もう一つの闘い〜 |publisher = ぴいぷる社 |pages = 172 - 186 |isbn = 4893741373 }}</ref>。当時は[[コンピューターグラフィックス|CG]]がなかったためにこの技法が採用され、信憑性と凄みのある映像となっている<ref name = "中村" />。ほかにも[[映画監督]]・[[五社英雄]]は斬られた時の効果音の開発や、鉄身を使って刃引きはしてあるものの重量は[[日本刀|真剣]]と同じものを使用し、[[夏八木勲]]を主演に据えた時代劇映画『牙狼之介』([[1966年]])と『[[牙狼之介 地獄斬り]]』([[1967年]])では<ref>{{cite episode |title = あの人に会いたい File No.369 夏八木勲(なつやぎ いさお)1939~2013 |episodelink = |url = http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/past/2013/369.html |series = <!-- The name of the series the episode belongs to. --> |serieslink = <!-- The title of a Wikipedia article about the series. As with episodelink, do not link this yourself. If the citation is being used in the article about the series itself, this call is not necessary and will in fact create improper formatting --> |credits = <!-- Writers, directors, performers, producers, etc. --> |station = [[NHK]] |city = <!-- City of the local station (if any) or network. --> |airdate = 2013-10-12 |accessdate = 2013-10-13 <!--|archiveurl = http://web.archive.org/liveweb/http://www.nhk.or.jp/archives/anohito/past/2013/369.html |archivedate = 2013-10-13--> }}</ref>、様式美的な殺陣とは対極的なリアル感を表現していた<ref name = "刀を当てる">{{Cite journal |和書 |author = 春日太一 |authorlink = 春日太一 |date = 2013-5-13 |title = 夏八木勲さん 五社監督と「刀を当てる」殺陣の流儀を貫いた |url=http://www.news-postseven.com/archives/20130513_188035.html|journal = 週刊ポスト |issue = 2013年4月26日号 |publisher = NEWSポストセブン |url = http://www.news-postseven.com/archives/20130513_188035.html |accessdate = 2013-7-14 <!--|archiveurl = http://web.archive.org/liveweb/http://www.news-postseven.com/archives/20130513_188035.html |archivedate = 2013-7-14--> |authorlink=春日太一}}</ref>。夏八木は「[[東映京都撮影所]]では[[竹光]]を使うが、五社さんの場合は鉄身だから[[日本刀|刀]]と刀がぶつかると『パシャーン』といい音がして、火花が散ることもあった。五社さんは『刀は本当に当てろ。当てないと噓になるからな』と指示してくるの対して、[[東映]]には腹すれすれで斬ったように見せる流儀があった」と様々な手法があることを語っている<ref name = "刀を当てる" />。
 
殺陣の類似例としては、西洋劇ではステージ・コンバット(stage combat)と呼ばれがありこれは本当に攻撃や防御を行っているように効果的かつ安全に、戦いのシーンを見せる技術をいう<ref>[http://www.dellarte-c.com/combat.htm ステージ・コンバット] デラルテ舎、2019年1月6日閲覧。</ref>。
その後、[[西部劇]]が登場したが、西部劇の格闘シーンはベア・ナックル・ファイトと呼ばれ、日本の現代活劇の技斗にも影響を与えた<ref name="takase14">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.14 2013年</ref>。
 
1920年代から30年代の[[サイレント映画]]の俳優はスタントマンさながらの演技を行っていた<ref name="takase12" />。1923年の『要人無用』で主演を務めた[[ハロルド・ロイド]]は、別の映画作品の撮影中に指を欠損する事故を負いながらも、時計台にぶら下がるアクションシーンを演じた<ref>高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 pp.12-13 2013年</ref>。サイレント映画にはセリフがなく俳優の体当たりのアクションが演技の原点となっていた<ref name="takase13" />。その後、[[西部劇]]が登場したが、西部劇の格闘シーンは[[ベア・ナックル]]・ファイトと呼ばれ、日本の現代活劇の殺陣にも影響を与えた<ref name="takase14">高瀬將嗣著『基礎から始めるアクション』雷鳥社 p.14 2013年</ref>。さらに、[[1970年代]]の[[ブルース・リー]]の『[[燃えよドラゴン]]』(1973年)などの格闘シーンは、その後のアクション・スタイルを一変させたといわれている<ref name="takase14" />。
 
== 小道具 ==
{{出典の明記| section = 1| date =2011 2020年6月}}
厳しくリアリティを追求する場合や、俳優が殺陣の技術に優れている場合には本物の素材で作られている武器を用いることもあるが、現在は安全や経費の削減のために代用品が用いられることが多い。
;日本刀
:銀紙を貼った竹光や[[ジュラルミン]]製の[[模擬刀]]が使われることが多い。どちらも、安全性に優れる一方で、「軽い振り」になりがちであるというデメリットもある。
;金属製の棒
:外見は金属に似た色の布や合皮を用い、[[ゴム]]など、弾力性に優れた素材を内部に詰め込んでいる。警察で訓練に用いる「ソフト[[警棒]]」もこの一種
;足袋・草履
:立ち回りの機敏な動作を要求される演技の際、布底の足袋では滑りやすく、また、セットの床面等で足裏を負傷するのを防ぐために[[地下足袋|祭足袋]]が使用される。これは比較的簡易なゴム底を装備した[[地下足袋]]の一種だが、作業用の地下足袋に比べて爪先や踵部に補強布が一切なく、ゴム底部以外は普通の足袋と同様に見えるため、足袋はだしの状態で使われる。一方、素足の女優が裸足の状態で屋外撮影を行う場合、足裏の負傷を防止するためとして、あたかも素足であるかのように見せるため、肌色に染色された足袋を装着することがある。
:これは、比較的簡易なゴム底を装備した[[地下足袋]]の一種だが、作業用の地下足袋に比べて爪先や踵部に補強布が一切なく、ゴム底部以外は普通の足袋と同様に見えるため、足袋はだしの状態で使われる。
:一方、素足の女優が裸足の状態で屋外撮影を行う場合、足裏の負傷を防止するためとして、あたかも素足であるかのように見せる際に肌色に染色された足袋を装着することがある。
;銃器
: かつての西部劇では実銃に空包を装填することも多かったが、現代では[[ステージガン]]と呼ばれる専用の小道具や市販の[[モデルガン]]が使用される。
 
== 事故 ==
[[1989年]]の映画『[[座頭市 (1989年の映画)|座頭市]]』で、撮影中に俳優・[[鴈龍]]の振った真剣が殺陣師の首に刺さり死亡する事故が起きた(詳細は[[座頭市 (1989年の映画)]]を参照)。これにより、[[日本俳優連合]]に「殺陣対策委員会」(後のアクション部会)が設立され、撮影現場での安全対策や傷害保険加入などの問題解決に向かって動き出した。[[2005年]]、懸案だった「アクションライセンス制度」が設立され、俳優の殺陣技能の段位制による啓蒙が始まった。
 
== 団体・人物・商品 ==