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* [[鐘楼]](吹放し型) - 山門を入って左の鐘は自由に撞ける。
* 愛媛パゴダ - レンガ造りの大きな建物。ビルマの戦没者を祀る。
[[File:Isiteji 20200627 02.jpg|thumb|石手寺懸造の観音堂]]
* 観音堂 - 鉄筋コンクリート造の[[懸造]]の土台に木造入母屋造。本尊観音菩薩。
* 釈迦堂
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** 愛宕社(祠) - 愛宕山の山頂は平で広く展望台になっていて愛宕権現を祀る祠がある。松山城や松山市街地が展望できる。
[[File:Isiteji 20200627 01.jpg|thumb|祭芭蕉翁冢(裏・表)]]
* 句碑・歌碑・川柳碑 - 正岡子規「南無大師石手の寺よ稲の花」、前田伍健「鎌倉のむかしを今に寺の鐘」が露店が並ぶ仲見世の右に、宇田零雨「石手寺の松を拝みて年迎ふ」が左にある。種田山頭火「うれしい古ともかなしい古とも草しける」が地蔵院の中にあり、参道に戻り仁王門の右前に重松俊章「御佛の瞳は慈悲に輝きて 悩みと罪の子等に微笑む」がある。境内中央には松尾芭蕉「宇知与利氐波奈以礼佐久戻牟女津波几」で祭芭蕉翁冢<ref group="注釈">芭蕉77周忌の1770年(明和7年)に建てられ花入塚と呼ばれ、県下で3番目に古い。</ref>が三重塔の北斜面の樹木の中に、正岡子規「身の上や御鬮を引けば秋の風」が納経所に向かって左に、さらに入って宝物館入口右手前に尾崎行信「石据える手にきて蟻が喰ひさがる」、左の池の向こうに関谷嘶風「花はいさ鐘つかりけり石手寺」、がある。一つの石の前と側面に刻まれている与謝野晶子「伊予の秋石手の寺の香盤に海のいろして立つ煙かな」「石手寺や平和観音おはします香の煙は御山め久りて」が阿弥陀堂の左の鐘楼前にあり、愛媛パコタの横に藤井徳二郎「故郷の山に御霊よ帰りませ永久奈る平和を共に祈らむ」が、さらに西の出口へ向かう追悼エリアに篠原梵「葉櫻の中の無数の空さわぐ」、84句が書かれた愛媛平成連句の碑、富田狸通「一山の堂塔高き大夕焼」、有馬白陽「撞きす天し鐘の余韻乃桜可那」などがある。なお、仲見世を出て右に門屋春風「麗らかや平和の碑塚とこしへに」と原田則人「見遙かす松山城や寺の秋」が、左に西村清雄「やま知古えて一人由希登主の手ニす加れる身ハ安介志」がある。
県道より伝説の残る渡らずの橋、衛門三郎像の横を過ぎ、仲見世を行くと国宝仁王門に至る。くぐると、右に茶堂・納経所、左右に鐘楼があって、その先に阿弥陀堂がある。正面奥に進んで一段高い位置に石段を上ると本堂が建つ。本堂の右に絵馬堂あり、その先に大師堂が並ぶ。本堂大師堂の背後にある山にはマントラ洞窟といわれる洞窟があり、本堂左後方に入口があり大師堂の裏に出口がある。大師堂右側には訶梨帝母天堂(祠)があり、石段を下りるとその右に三重塔が、左に一切経堂、護摩堂、弥勒堂が並ぶ。ここから左奥に入ると宝物館、大講堂がある。
* [[宿坊]]:なし