「三木露風」の版間の差分

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旧居宅は[[1990年]]([[平成]]2年)まで現存していたが、現在は庭の[[マツ|松の木]]だけが残り、三鷹市により「三木露風旧居跡」として案内板が設置されている。所在地は三鷹市牟礼4-17-18<ref name="kanko">[http://kanko.mitaka.ne.jp/docs/2014102800015/ 観光スポット一覧>井の頭・玉川上水エリア] みたか都市観光協会公式サイト</ref><ref name="spot">[http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/056/056884.html 観光情報>市内の各スポット解説(井の頭エリア・牟礼エリア)] 三鷹市公式サイト</ref>。
 
[[1963年]](昭和38年)に[[紫綬褒章]]受章。翌[[1964年]](昭和39年)[[12月21日]]午前9時15分頃、三鷹市内の[[下連雀]][[郵便局]]から出てきたところを、[[タクシー]]にはね飛ばされ[[頭蓋骨骨折]]で病院に運ばれるも意識不明の重体となる<ref>{{Cite book|和書|author=竹田百合子|year=2019|title=富士日記(上)|publisher=中公文庫 |pages=P.50}}</ref>。その8日後の[[12月29日]]午後3時35分頃に[[脳内出血]]により75歳で死去。
 
旧居宅にもほど近い、[[大盛寺]]別院墓地(三鷹市牟礼2-14-16)に墓がある。戒名は穐雲院赤蛉露風居士<ref>[[工藤寛正|岩井寛]]『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)308頁</ref>。死去の翌年、[[1965年]](昭和40年)に[[勲四等]][[瑞宝章]]受章。