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== 概要 ==
もともと国王の財産を管理するために宮廷内の収支・財産管理を行った[[イングランド]]・[[イギリス]]の官庁であり、後に国家財政を担当するようになった官庁である
 
[[エリザベス1世]]治世期に[[財務省 (イギリス)|財務省]] ([[:en:wikipedia:Exchequer{{enlink|The Exchequer]]) }}から分離、設置された。当初'''大蔵卿'''('''[[:en:wikipedia:Lord High Treasurer{{enlink|Lord High Treasurer]]''')}}を長とし、王室の私的財産を扱う小さな組織だったが、しだいに組織の規模が大きくなり、[[17世紀]]には事実上国家財政の担当官庁となった。[[18世紀]]初めに大蔵卿廃止され、かわって'''大蔵卿委員会'''(''{{enlink|Lords Commissioners of Her Majestythe Treasury'')}}を設置。委員会の長たる'''[[第一大蔵卿]]''' (''{{enlink|First Lord of the Treasury'') }}が大蔵省の責任者となった。
 
[[ロバート・ウォルポール]]以降に第一大蔵卿が実質的な[[イギリスの首相|首相]]になると、'''第二大蔵卿''' (''{{enlink|Second Lord of the Treasury'') Treasury​}}である'''[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]]''' (''[[:en:wikipedia:Chancellor of the Exchequer{{enlink|Chancellor of the Exchequer]]'') }}が大蔵省の責任者となり、財政担当大臣になった。その後、[[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)の財政改革などを経て、財務に関する権力および実務大蔵省へ集中していき、財務省組織として形骸化していっが生じた。
 
[[チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)|チャールズ・グレイ]]内閣時代の[[1833年]]、財務省正式に廃止されるに至り、国家の財務機能大蔵省に統合された。ただし、現在においても財政担当大臣の公式な名称は "Chancellor of the Exchequer" であり、ここに財務省の名残りをみることができる。近年、"HM Treasury" の訳語に大蔵省財務省の双方が当てられているが、歴史学上先述、以上の経緯から「大蔵省」の訳語を当てることが多い。
 
== 関連項目 ==