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'''櫛羅藩'''(くじらはん)は、[[幕末]]に[[大和国]](現在の[[奈良県]][[御所市]][[櫛羅]])に存在した[[藩]]。藩庁は[[櫛羅陣屋]]。[[大和新庄藩]]の後身であり、領地は同じで、同じく[[永井氏]]が治めた。
 
== 藩史概要 ==
[[文久]]3年([[1863年]])、[[大和国|大和]][[大和新庄藩|新庄藩]]の第8代藩主[[永井直壮]]は、幕府による[[文久の改革]]の一端である[[参勤交代]]制度改革の余波を受けて、[[陣屋]]を櫛羅に新設したことから、櫛羅藩を立藩した。櫛羅は藩領の中でも特に栄えていたところで、要害の地でもあったことが理由だったとされている。直壮は領民の移住や集住を奨励し、藩名も正式に櫛羅藩と改めたが、[[慶応]]元年([[1865年]])8月19日に死去し、跡を[[永井直哉]]が継ぐ。直哉は翌年3月、歴代藩主として初めて藩領に入部したが、まもなく[[明治維新]]を迎える。そして[[明治]]2年([[1869年]])6月24日の[[版籍奉還]]で直哉は櫛羅[[知藩事|藩知事]]となるが、同4年([[1871年]])7月14日の[[廃藩置県]]で廃藩となり、櫛羅藩はその後は櫛羅県を経て[[奈良県]]に編入された。
 
== 歴代藩主 ==
;=== 永井家 ===
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[[譜代大名|譜代]] 1万石
 
([[大和国|大和]][[大和新庄藩|新庄藩]]より)
#[[永井直壮]]
#[[永井直哉]]