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[[349年]]11月、義陽王[[石鑑]]が帝位に即いたが、実権は[[石閔]]・[[李農]]に掌握されており、傀儡政権に過ぎなかった。
 
12月、石閔らの専横を恐れた石鑑は、張才・楽平王[[石苞 (後趙)|石苞]]・[[中書令]][[李松 (後趙)|李松]]に暗殺を命じた。張才らはこれに応じ、琨華殿にいる石閔らへ夜襲を掛けたが、失敗してしまった。これにより宮中は大混乱に陥り、石鑑は石閔らの報復を大いに恐れ、この件に一切関係ないかのように振る舞い、石苞張才らを反逆者として弾劾した。その為、石苞張才はその夜のうちに西中華門において処刑された。
 
== 参考文献 ==