「南部の失われた大義」の版間の差分

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== 20世紀での使われ方 ==
[[File:Confederate_Rebel_Flag.svg|thumb|南軍旗の20世紀版]]
[[File:Flag of Mississippi (2001–2020).svg|thumb|100px|ミシシッピ州旗、2001-2020年]]
[[File:Flag of the State of Georgia (1956-2001).svg|thumb|100px|ジョージア州旗、1956年–2001-2001年]]
[[File:Flag of Arkansas.svg|thumb|100px|アーカンソー州旗]]
[[File:Flag of Alabama.svg|thumb|100px|アラバマ州旗]]
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{{quotation|1950年代初期から、「南軍古参兵の息子達の会」役員は軍旗の風化に対して、またそれを掲示することが非愛国的でありあるいは人種差別的であると主張する者達に対してその一体性を守った。「南軍古参兵の息子達の会」報道官は、南部が独立のための合法的な戦争を戦ったのであり、奴隷制を守るための戦争ではなかったこと、および優勢な「[[ヤンキー]]」の歴史観は南部を誤って中傷しており、軍旗に関する解釈で大衆を誤った方向に導いているという一貫した議論を改めて表明した。<ref>Coski p. 193. Coski (p. 62) は次の様にも記した: この軍旗が戦争中にアメリカ連合国民族自決主義の最も重要な表象となったように、戦争を記憶する時期(19世紀後半から1920年代にかけて)に失われた大義を象徴的に体現するものになった。</ref>}}
 
アメリカ連合国は1861年から1865年まで存在した間に幾つかの国旗を使った。南北戦争が終わって以来、南軍旗またそれから派生した旗はかなりの議論の下に個人的におよび公式に使われ続けた。現在2020年ま使用された[[ミシシッピ州]]旗は南軍旗のデザインを最後まで強く引き摺ったままであり、[[アーカンソー州]]、[[アラバマ州]]、[[ジョージア州]]および[[フロリダ州]]の州旗は南軍旗の要素を幾らか残しているとされている。失われた大義の信念は20世紀後半の新南部運動、特に雑誌「サザン・パルティザン」で奨励されている。
 
現代の歴史家は、脱退が奴隷所有者によって動機付けられたのではないという議論に対してほとんど同調していない。歴史家のケネス・M・スタンプは、両軍共に都合の良いときにのみ州の権限あるいは連邦政府の権限を支持したと主張した<ref>Stampp, The Causes of the Civil War, page 59</ref>。スタンプはまた、アメリカ連合国副大統領[[アレクサンダー・スティーブンズ]]の『先の州間の戦争に関する憲法解釈』を、戦争が始まったときは奴隷制が「南部の礎石」であると言い、南部が敗北した後は戦争が奴隷制ではなく州の権限のためだったと言った南部指導者の例として引用した。スタンプに拠れば、スティーブンズは「失われた大義」の最も熱心な守護者の1人になった<ref>Stampp, The Causes of the Civil War, pages 63-65</ref>。