「アシッドジャズ」の版間の差分

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== 日本のジャズ ==
1979年、DJであり、レコードの流通業者でもあったトニー・モンソンが、西ロンドン・ハマースミスのレコード店「フライ・オーヴァー」で日本のジャズ・ファンクとフュージョンの輸入レコードを販売したことに始まる。[[渡辺貞夫]]や、イギリスでは無名であった[[向井滋春]]、[[日野皓正]]、福村博のレコードは「ジャップ・ジャズ」と呼ばれ、<ref name="jfa"/>1枚15ポンド〜20ポンド(1980年のレートで7500円〜10000円に相当)という高額で販売されていた<ref>[https://donutsmagazine.com/interview/gillespeterson] DONUTS MAGAZINE Gilles Peterson インタビュー 〜 ジャイルス・ピーターソンのキャリアからおすすめレコードまで 2018/7/6]</ref>。これらのアーティストの楽曲を、ダンカン・ユーレンやマルコム・ジェームスといった日本ジャズ専門のDJの他に、クリス・ヒル、クリス・ブラウン、ショーン・フレンチらジャズ・ファンクのDJがプレイしたことで、日本のジャズはイギリス全土で爆発的な人気となった。
 
ポール・マーフィーは「Electric Ballroom」でDJをする際に、渡辺貞夫のアルバム『Open Road』に収録された「Felicidade」を選曲し、パトリック・フォージは、日野皓正の「Merry-Go-Round」をアシッド・ジャズの神髄であると評し、DJをする際に選曲をしていた。また、ダンカン・ユーレンのJAPANESE JAZZ CHARTでは、[[渡辺香津美]]と[[坂本龍一]]のアルバム『[[KYLYN (アルバム)|KYLYN]]』に収録された「Akasaka Moon」や[[中村照夫]]のアルバム『ルート80』に収録された「A Day In The Life Of A Frog」が選ばれている。<ref name="jfa"/>