「浅井惟安」の版間の差分

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| 官位 =
| 幕府 =
| 主君 = [[浅井久政]][[浅井長政|長政]]
| 藩 =
| 氏族 = [[浅井氏]]
| 父母 = 父:[[浅井清政]]
| 兄弟 = [[浅井碧潤|碧潤]]、'''惟安'''、[[浅井貞政|貞政]]、[[田屋明政]]、[[浅井秀信|秀信]]
| 妻 =
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| 特記事項 =
}}
 
'''浅井 惟安'''(あざい これやす)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]。[[浅井氏]]の家臣。
 
== 来歴 ==
* [[浅井氏当主・清政]]の子として誕生。[[浅井久政|久政]]の近侍を務める。

[[永禄]]3年([[1560年]])に久政が隠居した後もこれに従った。[[小谷城]]の福寿丸に居を構えその名が庵号となった。
 
* [[天正]]元年([[1573年]])、[[小谷城の戦い]]では[[小谷城#京極丸・小丸・山王丸|京極丸]]を守備する。小丸に移動してからは久政の介錯を務めた後、自害した。子孫は[[美濃国]]に落ち延びたと伝わる。
 
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