「国鉄205系電車」の版間の差分

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=== 車体 ===
[[国鉄101系電車|101系]]からの伝統的な 20 m 級片側4扉車体を有するが、車体は従来の[[炭素鋼|普通鋼製]]から軽量構造の[[ステンレス鋼|ステンレス]]製{{refnest|group="注"|国鉄では従来「高価である」「補修が難しい」「錆汚れ塗装業務落ちにくい省略されてしまう(労働組合からの反発)」「特定のメーカー(当時は東急の他には[[近鉄3000系電車|近鉄3000系]]を独自の工法で製造した近車のみ)しか製造技術を持っていない」などの理由で試験導入以外にステンレス車を採用しない傾向にあったが、昭和時代末期になると安価で製造できるようになり、補修や洗浄のノウハウも確立されたので、組合側も理解が進んだこともあり、本系列ではステンレス化で得られるメリットを優先し、東急車輛製造が1980年代初頭に実用化・量産化していた軽量ステンレス車体を採用することになった。この際国鉄は東急車輛に圧力をかけ、製造技術を半ば強制的に公開させて量産に至った<ref>「電車を創る」[[交友社]]</ref>。この結果、東急車輛式の軽量ステンレス車体が日本国内の他の車両メーカーでも製造可能となり、以後の日本におけるステンレス鉄道車両普及の大きなきっかけとなった。}}となり、大幅な軽量化と[[塗装]]工程を省略したことにより保守作業が大きく軽減された<ref name="Fan1985-4-1"/>。ステンレス車体とすることで、車両重量は201系より各車約7tの軽量化が実現されている<ref name="Fan1985-4-2">交友社「鉄道ファン」1985年4月号新車ガイド「205系デビュー」61-63頁記事。</ref> 。
 
外観は補強用のビード([[ローラー]]による断面が細い凸状の[[プレス加工]])を極限まで減らした外板に、初回製造分([[#0番台量産先行車|0番台量産先行車]])を除きバランサー付きの大きな1段下降窓を備えたものとなった。この1段下降窓への設計変更は[[横浜市営地下鉄]]の[[横浜市交通局2000形電車|2000形]](2006年に全廃)がヒントになっている。量産先行車の落成時、国鉄の車両設計責任者が[[東急車輛製造]](以下東急車輛と略)の工場を訪問した際、同時期に製造中であった横浜市2000形が本系列と並んでいた。同形式の1段下降窓を見たその責任者曰く「1段下降窓の方がすっきりする。ステンレス車体なら腐食の心配もないから保守上の問題もない」とのことで、以後の量産車は1段下降窓で製造された<ref>『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] 1993年5月号』[[交友社]] p.108</ref>。
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国鉄ではかつて[[国鉄10系客車|10系客車]]の一部[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]や[[国鉄157系電車|157系電車]]、それに[[急行列車|急行]]形[[グリーン車]]([[国鉄153系電車|153系サロ152]]、[[国鉄457系電車|451系サロ451]]、[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系キロ28/キロ58]])などの鋼製車で1段下降窓を採用した前例があるが、いずれも車体下部の水抜き穴設置が不十分で、内側にたまった鉄粉や泥が水分を保持して車体の腐食を進めることで車両の寿命を縮めた<ref group="注">延命が必要となった一部の急行用グリーン車は上段下降・下段上昇式の外はめ型[[ユニット窓|ユニット式]]2段窓への改造工事を強いられた。</ref>。そのため、当時の国鉄では下降窓車は御法度となっていたが、オールステンレス構造の本系列であれば腐食の心配もないことから、戦後の通勤形車両として初めて1段下降窓が採用された。このほか、車体側面の[[戸袋]]窓と連結面にある妻面窓が廃止された<ref group="注">側面の戸袋窓の廃止は先に製造された地下鉄[[東京メトロ千代田線|千代田線]]直通用[[国鉄203系電車|203系]]において採用されているが、同車はコストダウンよりもむしろ地下鉄線走行に要求される性能を確保するための「軽量化」が主目的である。</ref>。ステンレス車両の場合、外板が強度を確保する上で重要な役割があり、窓を設ける場合には骨組みで固める必要がある。しかし、窓をなくせばその分軽量化やコストダウンを図ることができる。
 
また、それまでの車体全面塗装から窓の上下に各路線ごとの[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]を糊付き[[フィルム]]の帯で表す方法を採ったことで、非常にすっきりとした印象を利用者に与えている<ref group="注">帯が採用されたのは先代の[[国鉄203系電車|203系]]も同様であるが、これはむしろ使用系統の理由によるもので、先々代にあたる[[国鉄301系電車|301系]]でも[[アルミニウム|アルミ]]地肌(後に塗装され灰色地)に帯というカラー[[スキーム]]配色が採用されている。また、地下鉄直通用の[[国鉄103系電車|103系]]1000・1200番台も車体を灰色に塗装して帯を配色している。</ref><ref name="Fan1985-4-2"/>。当初は1色のみだったが、国鉄の分割・民営化以降は最大で3色まで使われるようになり、従来同じ[[黄緑6号|うぐいす色]]の車両で運行されていた[[山手線]]・[[埼京線]]・[[川越線]]・[[横浜線]]がそれぞれ別の帯色となった(後述する[[#番台区分]]や[[#投入線区]]の写真を参照)。
 
前面は、先代の[[国鉄201系電車|201系]]と同じく設計に参加した東急車輛のカラーが反映された、前面の窓周りを黒色でまとめた左右非対称の[[デザイン]]が採用されたが、[[前照灯]]の位置が窓下に変更されている<ref name="Fan1985-4-1"/>。この位置変化は[[国鉄203系電車|203系]]からの流れともいえる<ref name="Fan1985-4-1"/>。また、前面にもラインカラー帯を配し、前照灯はカラー帯上に配置されている。東日本地区でJR化後の横浜線投入分以降に製造された車両では前面上部右側に種別表示器が追加されたが、実際は横浜線と[[京葉線]]以外では路線名のみを掲出していた例が多く、2000年代以降はほとんど使用されていない。